【SBA Internationalがやりたいこと 】
1.次世代を担う子供たちの教育
最近、新渡戸稲造著「武士道」、安部晋三著「美しき国へ」、藤原正芳著「国家の品格」という3冊の本を読んだ。3冊の本に共通するのは欧米の文化の流入により、日本古来の文化・倫理観・道徳観が失われつつあることに対する危機感である。そして、新渡戸、藤原両氏は世界に誇るべき日本人の倫理観・道徳観は武士道の精神に端を発すると述べている。私自身も武士の家系に生まれ、幼少時より武道を学んできたこともあり、この点には大いに同意できるし、私自身を形成してきた過程にも武士道の精神は大きく影響し、現在の私は武士道精神が根幹にあり成り立っているといっても過言ではない。
新渡戸稲造の著書を読む限り、現在の日本の精神的な荒廃ぶりは戦後に始まったものでなく、明治維新、文明開花を経て、西欧文化が流入し、西欧列強の植民地支配から日本を守るために急速に西欧化を図った頃からのものらしい。そして、第二次世界大戦の頃には武士道・武道という世界に誇るべき日本の伝統文化を国威発揚と戦争に悪用し、結果、戦後はGHQにより武道が禁止され、学校教育では『武道』は『格技』として教えられるようになった。これが決定的であったようにも思える。
SBA Internationalでは未来の日本の担い手である子供たちに武道を通して、武士道を中心とした日本の精神文化、芸術文化、平和文化を教え、自ずと郷土を愛する『愛国心』を教えたい。昨今のアジア各国で見られるような、自分の国さえ良ければいいという偏狭なナショナリズムに基づく、『愛国家心』ではなく、自国の文化と郷土と歴史を深く理解し、誇りをもって自らの国を愛し、他国の文化伝統をも尊重できるという真の『愛国心』を子供達の心に育てたい。そういった子供たちこそが日本発の真の国際人となる素養をもった子に成り得ると考える。
2.国・都道府県・市町村躰道協会の枠を超えての活動
平成の大合併が進む昨今だが、果たして従来の都道府県単位、市区町村単位の躰道協会運営でいいのだろうか?そんな疑問を以前から抱いていた。
私が設立当初から強く運営に関与していた翔鷹会も、活動メンバーは変わらないが、活動拠点は府中市、多摩市、稲城市と転々としていた。買い物などをする際の生活圏としてはこの3市は重複する部分が多く、躰道においても、行政単位の枠を超えた運営の必要性を感じていた。そのため、日本躰道協会への登録の際に「○○市躰道協会」をつけないで、「翔鷹会」として登録することを日本躰道協会へ提案したが、当時は認められなかった。活動拠点を一箇所に定めるようにと努力はしたが、そうすると体育館の予約がとれなかったりの理由で練習回数が減ったり、練習時間が変わったりするという問題が出てきた。
また、このような生活圏には交通網にも影響される。翔鷹会の活動拠点の稲城・多摩は主に京王線・小田急線沿線であるが、所属する多摩地区躰道協会の所属団体は西武線沿線に集まっている。西武線は新宿・池袋から東京都の北西へ走り、京王線は南西に走る。そして、これらを縦に結ぶ交通網が非常に乏しく(最近は多摩都市モノレールが出来たが)、理事会の開かれる東村山に稲城・多摩から参加するのは一苦労なのである。埼玉県も同様である所沢と大宮・浦和(現在のさいたま市)を結ぶ公共交通機関が少なく、所沢に住んでいた頃には大宮・浦和に行くのは非常に面倒であった。
私が現在住んでいる湯河原は神奈川県であるが、小さな川を一本越えるだけで、静岡県熱海市になる。横浜に出るより、熱海市躰道協会のほうが近い。現在のように道場・団体が少なく、剣道・柔道などのように各市区町村に一つの協会があるわけではないので、なお一層、都道府県・市区町村を超えた運営の必要性を感じる。
生活圏だけではなく、近くに躰道協会が存在しない、いわば、『躰道過疎地』が日本国中に存在する。私が以前、山口県に勤務していた頃のことであるが、本来所属する多摩地区から全日本大会に出場したかったが、予選会を兼ねる多摩大会に参加できなかった。このため、全日本大会に参加することが出来なくなりそうになり、実行委員会と交渉した結果、何とか山口県代表として出場する承諾を得たことがある。しかし、その際にも団体戦には参加できず、個人戦しか参加できなかった。このようなことは私以外に表に出ないが、経験したことがある人、今現在、悩んでいる人がいるのではないだろうか?「躰道協会が近くにない人は自分で団体を新しく作ればよい」との考えも出来るかもしれないが、実際に新しい団体を立ち上げて登録するには5名以上の会員が必要との規約があり、また、たった一人で団体を立ち上げるのは非常に困難である。このような人たちを拾い上げて、実際に活動する躰道人口を増やす対策は必要ではないだろうか?国内だけではない、世界中を見渡せば、躰道はまだまだ十分には普及しておらず、躰道未開発国、躰道発展途上国はたくさんある。
国内の躰道過疎地、世界の躰道未開発国、躰道発展途上国へ正統な躰道を普及し、発展させるためにも都道府県・市区町村、国の枠を超えた団体の存在が必須と思われる。
Sogo Budo Academyは、まず、この問題に取り組んでいきたい。では、このような都道府県・市区町村・国の枠を超えた団体を創り、運営していくにはどうしたらよいのだろうか?同じ生活圏の市区町村を纏め上げるのはそう難しいことではない。しかし、生活圏の違う市区町村、都道府県、国を湯河原という1地方都市にある道場が中心となり、まとめて行くにはどうしてもそれぞれの間の物理的な距離の問題を解決しなければならない。従来通りの指導者を派遣する方法ではこの物理的な距離は人的資源の問題に阻まれて、解決することはできない。
話は変わるが、大学時代の先輩に「躰道をやっている」と話しをしたら、「オレは北斗神拳を通信教育でマスターしたから、お前には負けないぞ!!」と言っていた。思い返せば自分自身も週刊誌の広告を見て、「人体経絡図、活殺法」なる、所謂、「人体のツボ・急所」に関する本(と言っても実際に届いたのは安っぽいパンフレットみたいなものだったが)を購入したことがある。蟷螂拳を通信教育で勉強していた友人もいた。先の先輩が本当に北斗神拳をマスターしていたかどうかは別にして、これだけインターネット環境が発達した現代では武道を指導する手段として通信教育も一つの方法かもしれない。
例えば、Webカメラの前に立たせて、中段構えや運足八法をこちらがお手本を見せながら指導することも出来るかもしれない。インターネットのよいところはやはり双方向性であろう。今までの通信教育のように一方的に上から下へ情報を流すだけでなく、分からないところがあれば、質問がリアルタイムに出来る。お互いの顔が見えるので限りなく、実際の指導に近づいた形になる。大学や予備校でも光ファイバーで接続し、本校で行なっている授業を遠く離れたサテライト校で学生が聴講している。実際に授業を聴講したことがないので、どんな感じかはよく分からないが、NOVAのお茶の間留学みたいな感じだろうか?これならば経験したことがあるが、駅前留学で授業を受けているのと何ら変わらなかった。
法形や実戦の指導ではビデオをデジタルデータとしてインターネット回線で送ってもらい、それにコメントをアフレコやテロップ、スロー再生などを織り交ぜながら生徒に戻していくことも出来そうだ。デジタルデータ保存のよいところは保存したデータを集積していくことにより、その生徒本人もしくは別の生徒に良い例・悪い例を示したりといった形でフィードバックできる。道場には年に数回、スクーリングという形で直接会って指導する形、もしくは各地に集合させて指導する形をとれば、さらに指導効果は高まるだろう。
構想は膨らむのだが、やはりネックになってくるのはこういったシステムを構築するためのIT関連の知識を持った人、実際に指導をしてくれる人である。確実に距離の問題は解決できそうだが、やはりマンパワーが一番の問題として残る。
3.日本武道・日本文化を世界へ発信
外国で躰道の指導に行くと、生徒が日本人以上に日本的であることに驚かされる。もともと日本の武道を学ぼうという意思を持って集まった人たちということもあろうが、日本で教えるより、生徒は熱心に集中し、素直にすべてを受け入れる姿勢が強く見られる。しかし、一番困るのは躰道では動功五戒に始まり、語感の良い四文字熟語などを多用し、徹底的に教え込む。日本人にとっては掛け算の九九と一緒で簡単に頭の中にinputでき、音を聞くと漢字が想像でき、そこから意味まで理解できるように工夫されているのだが、外国人に教えるにはいささか難がある。漢字から意味を想像するのは無理でも、音と意味が直結してくれればと思い、一生懸命教えるのだが、難しいようである。この他にも日本人には当たり前が外国人には通じず、結果として正しい躰道・日本武道が伝わらない可能性がある。SBA Internationalでは海外に躰道・武道を合理的・効果的・理論的に伝えるための研究をしていきたい。
4.躰道・武道の科学的研究および兵法的研究
甲野善紀という古武道研究家を御存じだろうか?最近では古武道を活用した介護法を紹介し、テレビや講演で引っ張りだこの人であるが、以前から古武道の理論的研究を行い、武術稽古研究会を主宰していた。私自身も躰道の動きの力学的な意義について興味を持ち、他武道の動きと対比しながら実証してきた。また、本職(?)の小児科診療においては、採血時に暴れるこどもの肘と肩関節を片手で固定し、反対の手で注射針を持って採血するなど、武道の技術を利用している。このように現代武道を、現代社会の中で活用するための理論的・科学的研究を行っていきたい。
さらに最高師範が常々お話されていた兵法についても、孫子のみならず、呉子、六稲・三略から五輪の書まで幅広く研究し、競技の中だけでなく、現代社会の中でどう活用していくかを研究したい。そして、最高師範が遺された躰道概論についても真に躰道を理解するために研究していきたい。
【名前の由来】
"Sogo Budo Academy International"という道場名というか団体名であるが、日本語にすると「総合武道〜」と思われる方がいらっしゃるかもしれないが、"Sogo"は「総合」ではなく、「そごう」という私の苗字を冠した。個人の名前を冠することにいささか抵抗はあったのだが、躰道以外の武道・格闘技では自分の名前を冠することは良くある。例えば、ブラジリアン柔術では「グレーシー柔術アカデミー」、総合格闘技では「高田道場」、柔道では「吉田道場」などなど。はたと躰道を振り返ってみると、ほとんど見当たらない。躰道の創始者である祝嶺正献最高師範以外のある特定の指導者をあたかも崇拝するかのように持ち上げ、宗家や最高師範をないがしろにするのはどうかと思うが、その団体・道場の指導者名を明確に示す意味で団体名に指導者の名前を入れるのは決して悪くはないと思う。躰道の分派とか流派に繋がると心配される方もおられるかもしれないが、新しい流派や分派を作るにはもとあったものとの違いを明確に示す必要があり、それが出来ずに新しい流派や分派を作っても、それは決して長続きするとは思えないし、全くもって無意味である。また、元々の団体にも分派した団体にも双方にとって有益なこととは思えない。最高師範が躰道と今までの武道の違いを明確に示したように、私が「今までの躰道」と「私が教える躰道」の差を明確に示すことが当然出来るはずもなく、私が指導する躰道はあくまで故祝嶺正献最高師範より教わった躰道以外にはない。従って、道場名には私の苗字である「そごう」を入れることにした。
さて、日本語の名前は漢字に意味をこめてつけた名前と音に意味を込めてつけた名前に大きく分けられる。武道の道場や流派の名前では一般に前者であり、漢文の中から何文字かの漢字を抜き出して、道場名・流派名とすることもある。はて、わが道場はどうしようかと考えたとき、世界に向けて躰道・日本武道を発信する道場でありながら、外国人に意味が分からなくては困ると考えた。以前、フィンランドに行った時に向こうの道場名に「Gentai」「Sugata]という名前の道場があった。どうやら、日本語らしく、フィンランド人から「『Gentai』とはどういう意味か?」、「『Sugata』とはどういう意味か?」と聞かれて困ったことがある。漢字が書いていないので、どういう意味か全く分からないのであった。「Gentai」も「玄躰」なのか、「原態」なのか分からないし、「Sugata」も「姿」なのかあるいは「菅田」という人名なのか全く分からなかった。そのときは「原態」「姿」として、フィンランド人には日本語の意味を説明したが、今思い返すと、「玄躰」「菅田」であったような気もしてくる。漢字名でつけた場合、日本人は字を見れば、その意味をある程度理解できるが、外国人には全く名前の意味が分からない。これは困る。異論はあると思うが、いまや世界の共通語といわれる英語名にすることとした。
"Sogo"という私の名前を道場名に入れること、英語名にすることは決まったが、さあ、最終的にどういった名前にしようかと迷ったときに、頭の中に思い浮かんだのは故祝嶺正献最高師範との思い出だった。
ひとつは私が高校を卒業して、高校躰道部の合宿にOBとして数人の仲間と参加したときのことだ。私たちOBと先生方、そして最高師範で夜遅くまでいろいろと話しをした。私たちは高校卒業後、躰道を続けるため、「翔鷹会」という団体を結成して、大会にも参加していたが、その翔鷹会を全日本学生躰道優勝大会に出場させようという話しになった。当時は学生大会に参加するためには大学躰道部に所属していなければならず(具体的な規定はなかったのだが)、当然、翔鷹会のメンバーが大会に参加する資格はなかった。そこで最高師範が提案したのが、「躰道学院大学というのを作るから、翔鷹会のメンバーは躰道学院大学の学生として出場しなさい」というものだった。そして、躰道学院大学として躰道の理論・実技の講義を最高師範や直接の師である近藤光男先生から受けるというものであった。結局、「躰道学院大学」構想は実現されず、学生大会へも「躰道学院大学」としては出場できず、「早稲田大学躰道サークル」として出場したのだった。
もうひとつの思い出は最高師範がご講義の際によく口にしていた、「全ての武道はいずれ躰道になる」という言葉だった。「敵対的に他武道と戦って、躰道の強さを誇示して、合併しよう」などという意味では、決してない。私の理解する限りでは「現代武道は明確に『武道とは何か?』との定義が出来ておらず、武道の意義すら見失い、極端なスポーツ化や勝負偏重の格闘技化をしているものすらある。躰道では武道とは何か?躰道とはなにか?ということを明確に明示し、体系的・理論的に教えている。武道の公理が共通するものである限り、方法論は異なろうとも、いずれ、他の武道もそのback boneとなる理論体系は同様なものにまとまるであろう。」という意味と考えている。もちもん、最高師範の言葉にはきっともっと深遠な意味が込められているだろう。その最高師範の言葉の一つ一つを理解するべく、努力していくのが私の修行だと思っている。
話しは道場名の決定に戻ると、この二つの思い出から「躰道学院」「全ての武道はいずれ躰道になる」のふたつがKey wordsだった。やはり私の道場は単に技術のみを教えるのでなく、躰道の理論、思想、哲学を教える場所でありたいし、それを、言わば、学問的、体系的に追究していく場でありたいという思いはあった。そして、私自身は6歳から剣道、大学では合気道と躰道以外の武道を学び、私という個人が形成されてきたことを考えると、私の教えるものはきっと「躰道」であって「躰道」でない、+αがあるはずである。そして、それは躰道の体系的な理論に組み込まれ、躰道として次世代へ伝えられるであろう。まさに最高師範の「全ての武道はいずれ躰道になる」とう言葉に通じるものはないだろうか?以前述べたことと矛盾するようであるが、誤解をおそれずに言うならば、私の教えるものは「躰道」であって「躰道」でない、しかし、紛れもない最高師範が創始した「躰道」を教えているのである。そこまで考えて、答えは出た。「躰道学院」を英訳すると「Taido Academy」になるが、先に述べたように私の教えるものは「躰道」であって「躰道」でない、そして、「全ての武道はいずれ躰道になる」のであれば、「武道学院」=「Budo Academy」でよいではないか。そして、道場責任者である私の名前を入れて、「Sogo Budo Academy」としよう、そして、「世界へ躰道、日本の武道を広めたい」との思いを込め、名前は「Sogo Budo Academy International」とすることとした。"International"という単語はインターネットに現されるように、何かを結ぶ、結びつけるというような意味合いがある"inter"と、国を意味する"national"が組み合わさっている。まさに私の道場が世界中の国と国を結ぶ架け橋になりたいと望むのである。こうしてSogo Budo Academy International (略称:SBA International)という名前が決まった。
【ロゴマークの由来】
名前が決定したところで、シンボルとなるものが欲しかった。通常、日本武道の道場には神棚があり、場合によっては床の間もあり、床の間には「天照大神」「鹿島大神宮」「香取大神宮」などの掛け軸がかけてあるのであるが、最初から私の道場には神棚も掛け軸も飾るつもりはなかった。なぜなら、神棚は名前の通り、神様を奉るものであり、必然的に宗教的なものになってくる。私の道場は世界中の人々に躰道と日本武道を伝えるのが目的であるから、ある特定の宗教色を出せば、それ以外の宗教を信仰する人が参加しにくくなる。日本の神道は『八百万の神』といって、様々な神様を受け入れる寛容なものではある。日本の歴史の中でも神仏習合と言って、神道と仏教が融合してきたという宗教的な歴史もある。そして、天皇家を中心として神道と日本文化は密接なつながりで日本の歴史を形成してきたという考えもあり、神道は宗教を超えた日本そのものであるという考えもある。しかし、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教などの一神教を信じる人々にとっては、彼らの神様以外は受け入れがたいはずである。私の道場は宗教、国境を問わず、武道と躰道を学びたい人たちが集まる場所にしたい。それゆえ、一切の宗教色を排除したいのだ。だからこそ、私の道場のシンボルとなるものが欲しかった。
小学校の頃から美術や図工の成績は悪かった方なので、芸術的センスのかけらもない。デザイナーに発注することも考えたが、家と道場の予算で精一杯なのに、ロゴのデザインを頼む予算があるはずもない。かといって、デザインを無料でお願いできるような友人もいない。仕方なく、自分で考えることにした。躰道の三元相関という考えから、三角形を取り入れたいと思った。そして、『木火土金水』の五行の思想にも繋がる躰道の『旋・運・変・捻・転』の動きも取り入れたいと思った。また、陰と陽、虚と実、表と裏、攻と防など躰道では二元論に基づいた考え方をする。躰道のロゴマークの元となったのは『矛盾』、盾と矛の形である。この二元論をも私の道場のロゴに取り入れたい。最高師範が「躰極」という文字を書かれた丸い皿があるが、その皿について最高師範がかつて「『躰(道)の極みは円である』そういう意味で丸い皿に書いた」とおっしゃられていた。であれば、円をロゴにも取り入れたい。そんな思いが頭の中を駆け巡った。数字で言うと「5」「3」「2」と3つも数字を取り入れなければならないし、形では三角と丸である。そんなたくさんのものを一つのロゴにまとめられるのだろうか?
そんなこんなで色々考えていたが、ある時、ふと頭に浮かんだものを黒マジックで紙に書いてみた。中々、形としてはイケている。それをスキャナで取り込み、色をつけてみた。そして、「INTERNATIONAL」の文字を入れてみた。結構イケてる。そんな感じで、出来上がるときは意外とあっさいりしていた。
どれがどういう意味があるとかの詳しい説明をするつもりはない。見た人が感じ取ってくれれば良いし、いろいろと考えてくれればよい。兎に角、ロゴに込めたかった意味合いは全て含めることが出来た。あとは見る人にお任せだ・・・・。