その15. 北限のヒメシャラ
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ブナ林の中のヒメシャラ (天城山万三郎岳) | |
●年▲月×日 | 倉田悟さんの「日本林業樹木大図鑑」巻末のヒメシャラの分布図を見ていて、ポツンと一つ他の分布地から離れて、東京都と山梨県の境界付近に点が打たれているのに気づいた。奥多摩のどこかである。ヒメシャラのオレンジ色の樹幹の混じるブナ林は独特の明るい雰囲気を持つのだが、そんなブナ林が奥多摩にあっただろうか。あのあたりの山に通った頃は今のような問題意識も無く、ただ通り過ぎただけだったし、最近はすっかりご無沙汰で記憶が無い。あったところで別段どうということは無いのだが、何となく気になった。 |
●年▲月×日 | ヒメシャラの分布について手持ちの図鑑を調べてみる。保育社も平凡社も、そして倉田さんの図鑑まで全て「箱根以西」となっている。そんな馬鹿なと思って分布図をよく見ると、わずかに箱根は奥多摩より西側にあった。何だか騙された気分である。では北限は?と見ると、どの図鑑にもその記述は無い。 |
●年▲月×日 | ネット上を検索して「日本のブナ林の植物社会学的体系の再構築」という論文(福島ほか 1992,http://www.nacsj.or.jp/pn/houkoku/h01-08/pdf/h03-no15.pdf)にたどり着く。日本の太平洋側のブナ林は「ブナ−スズタケ群団」と呼ばれているのだが、湿潤温暖な海洋性気候の影響下にある山地には「ブナ−ヤマボウシ群集」と呼ばれるタイプのブナ林が発達するとのこと。その説明の中に「奥多摩(三頭山、鷹巣山)ではこの群集は、より内陸部に発達するブナ−スズタケ群集と地形的に住み分け、その群集に対してはアブラチャン、ヒメシャラ、イヌツゲなどが識別種となる。」との記述を見つけた。倉田さんの分布図をよく見るとにヒメシャラの北限は東京と山梨の県境から少し山梨側に入ったところである。だとすれば、これは三頭山だ。 |
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●年▲月×日 | 都民の森の駐車場から鞘口峠を経て三頭山を往復する。頂上のブナ林の中にヒメシャラがあるかと思ったが、空振りに終わる。 ブナ、イヌブナ、クマシデ、ミズメ、ミズキ、オオイタヤメイゲツ、コハウチワカエデ、シナノキ、ミズナラ、ウリカエデ、リョウブ、ナツツバキ、モミ、ツガ等の林。林床にはスズタケが見られず、ミヤコザサが散生する程度ですっきりしているが、樹種は秩父などの太平洋側内陸部のブナ林のように見える。「地形的に棲み分け」た片側だけを見たのだろうか。地図を車の中に置き忘れて先行きに自信が持てず、東峰で昼食を摂って下山する。 |
●年▲月×日 | 三頭山のヒメシャラについての情報はないかと、Yahooの知恵袋に投稿して見る (http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1185535371)。すぐに反応があったが、紹介されたリンク先には「北限は箱根の駒ヶ岳」とあった。これは図鑑類の「箱根以西」を読み違えている。「箱根以西」については質問の中で触れ、倉田さんの分布図も添えているのに、そのことについて触れることはない。それなのにどうしてこの回答が「ベストアンサー」なんだろう。 |
●年▲月×日 | ヒコサンヒメシャラを見に箱根に行く。桃源台の駐車場に車を止め、箱根園から9:00のロープウェイで駒ヶ岳に上がって、雪のちらつく中を神山とのコルへ向かう。倉田さんがヒコサンヒメシャラが多いと書いている場所である。コルには数本のヒメシャラらしい木が生えているが、ヒコサンヒメシャラを見たことが無いので、一見では区別がつかない。枝先を見ると全てヒコサンヒメシャラだった。冬芽の鱗片が2枚なのがヒコサンヒメシャラ、数枚瓦重ね状に重なるのがヒメシャラである。樹皮はヒメシャラに比べてやや白く、はがれ方も細かいので、少し汚れた感じがするのだが、自信が無い。これは並べてみなければわからないかもしれない。平凡社の図鑑では4・5年枝が赤褐色なのがヒメシャラ、暗褐色〜灰褐色なのがヒコサンヒメシャラとのことだが見上げてもよくわからない。花が咲いていれば、大型で雄しべの基部が離れているのがヒコサンヒメシャラと区別がつくのだろうが、この季節ではわからない。結局枝先だけが区別のポイントである。とすれば両者の区別はやっかいである。 |
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ヒコサンヒメシャラ | ヒメシャラ |
時々枝先をチェックしながら神山を越え、大涌谷へと歩く。ほとんどはヒコサンヒメシャラで、ヒメシャラは少なかった。12:30大涌谷着。ロープウェイで桃源台に戻る。 | |
●年▲月×日 | 箱根と奥多摩との間、例えば丹沢山地ではどうなのだろう。檜洞丸の頂上や鍋割山稜の一部、小丸周辺にきれいなブナ林があったような記憶があるが、ヒメシャラがあったかどうか覚えはない。確認をしたいが、そこまで行くのは面倒、大山でも似たようなものだろうと横着を決め込み、矢櫃峠にクルマを停めた。だが登山道の両側はヒノキ植林と二次林が続くばかり。ブナ林らしいブナ林を見ることも無く頂上に着いてしまった。昔大山川を詰めた時はスズタケの藪を漕いだ記憶がある。あれはブナ林の中だったはずと反対側に回って頂上から見下ろすと、足元に見えた。しかしモミが数本混じっているが、ブナの灰色の樹冠が広がるばかり、ヒメシャラらしいオレンジ色は見当たらない。 昼食を摂って下りにかかると、登山道から少し離れた場所に一本見つかった。登りで見落としたらしい。早速冬芽を確認する。もう芽吹きが始まって、膨らんでいたが、鱗片は大きい。ヒコサンヒメシャラである。下に落ちている朔果のカラ(?)を探し、いくつか拾って帰る。 |
●年▲月×日 | 昨日採集した朔果の写真を撮った。ヒメシャラに比べ、ヒコサンヒメシャラはかなり大きい。先端の尖った部分も短かくずんぐりとした印象である。これなら冬芽を見ることが出来なくても、下に落ちている朔果を見れば良いので、両者の区別は容易だ。 |
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左からヒメシャラ ヒコサンヒメシャラ ナツツバキの朔果 |
●年▲月×日 | 再度鞘口峠から三頭山に登る。前回見落としたかもしれないと、記録もとりながら歩く。今度は「捜索範囲」を広げ、西峰まで行き、笹尾根を大沢山を越えて三頭大滝へ降りたが、やはりヒメシャラはない。それでも丁寧に見て歩いたせいで、クリの大木が多いこと、ジゾウカンバやオノオレカンバ、ヒトツバカエデ、シオジの存在など、前回気づかなかったことがわかったのは収穫である。 |
●年▲月×日 | 石楠花を見に天城山へ行き、ヒコサンヒメシャラがたくさん生えているのに気づく。これまでは全部ヒメシャラと思い込んでいたのだが、落ちている朔果を見ると半分近くはヒコサンヒメシャラである。両者はいったいどう棲み分けているのだろうか。ここでは雑然と混じり合っているように見えるのだが。 図鑑にあたると、保育社や平凡社の図鑑では両者の分布域に違いはなかった。倉田さんの日本林業樹木図鑑だけが、ヒメシャラの分布は西南日本外帯の温帯〜暖帯上部のブナ林、ヒコサンヒメシャラは西南日本外帯温帯のブナ林と書いている。ヒメシャラの分布域の方がやや低いということだろうか。ネット上を検索すると、ヒメシャラは温暖帯の樹木で関東地方では高度1200mくらいまで、ヒコサンヒメシャラは冷温帯の樹木で高度1,000m〜1,600mに分布するとの記述(http://akichanpon.at.webry.info/201207/article_1.html)にぶつかった。ヒメシャラが「温暖帯(暖温帯?)の樹木」というのも問題だが、分布高度がやけに具体的である。何を引用したのか根拠は書かれていない。この記述が正しいとすると、天城山の稜線の高度は1200mと少し、ヒメシャラの分布限界ぎりぎりということになる。だとすると奥多摩の鷹巣山は1736m、三頭山は1531m、ヒメシャラなどあるはずがない。倉田さんともあろう人がヒコサンヒメシャラをヒメシャラと誤認するとは考えにくいし、福島ほか(1995)の論文、「日本のブナ林の植物社会学的体系の再構築」にしても同様である。どうなっているのだろう。 |
●年▲月×日 | 三頭山も3度目、「捜索範囲」を西に広げて鶴峠にクルマを停める。杉の植林された稜線の南側を巻き気味に登って、1087mピークを越えたあたりで尾根を乗っ越して北側斜面に出るとブナにイヌブナを交えた林である。だがヒメシャラはない。稜線の下を巻き気味に登る道にはブナやイヌブナ、クリ、ミズナラ、カエデなどの落ち葉が厚くつもり、時にはその深さが膝を越える。それをかき分けかき分け、1300m地点からは稜線を辿って、1447mピークを越え、とうとう三頭山西峰に到着してしまった。ついにヒメシャラもヒコサンヒメシャラも見つからないままである。捜索の範囲を広げるとすると、あとは北側の奥多摩湖から登る道が残っているが、北側の斜面は今回かなり見たように思う。三頭山にはヒメシャラは分布しないのではなかろうか。とすると分布図のあの●印は別の場所だろうか。それとも何かの見まちがいなのだろうか。まさかナツツバキとヒメシャラを混同するとも思えないが。 |
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タンナサワフタギはあるのだが・・・ | ナツツバキ |
●年▲月×日 | 肩の骨折以来山とはご無沙汰。「一念発起」してリハビリを始めた。先ずは手近な筑波山から始めて見通しをつけた。今回は丹沢、二股から小丸尾根を登り、鍋割山へとたどる。これが普通に歩ければ、リハビリはほぼ完成といったところか。 小丸は20数年ぶり。あのころも感じたが、今見てもきれいなブナ林である。径50cmくらいのブナを主体に、高木はカエデ類(葉が展開し始めたイタヤカエデはわかったが他は不明)、ミズナラ、ミズメ、タンナサワフタギなどが少量混じる。低木はアブラチャン、マメザクラ、ミヤマイボタ、リョウブ、ツツジの仲間、ハコネ(?)ウツギ、メギ、アシビなど。アブラチャンとマメザクラ、アシビ、それにミツバツツジは花をつけている。ミズナラは少ない。林床にもササがないのですっきりとしている。20年前はただ、ブナが生えていると思っただけで、訳もわからず通り過ぎたが、天城山のブナ林と良く似たタイプの、太平洋側の湿潤な海洋性気候下に成立するブナ林(福島ほか 1992)である。ヒメシャラを探す。それらしい木はそこここにある。しかし樹皮が少し白っぽい。葉の展開は終わり、冬芽の鱗片の観察は出来ないが、枝先には去年の朔果のカラが残っている。手に取ってみると大きく、ヒコサンヒメシャラである。結局ヒメシャラは1本も見つからなかった。 鍋割山で昼食を摂り、後沢乗越しを経て林道に下る。その車止めのゲートの脇にヒメシャラが2本、「オッ!」と思ったが、よく考えれば場所が場所、人為的な植栽の可能性が大きい。アブナイ、アブナイ・・・。 以上「元気に」降りてこられればリハビリは完成・・・だったのだが、急な下りに絞られて、林道を歩く頃にはヘロヘロになった。リハビリはイマ一歩である。 |
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小丸のブナ林(咲いているのはアブラチャン) | 小丸のヒコサンヒメシャラ |