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神崎川の河岸段丘

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 台地とこれらの河岸段丘は、その形成年代が違うばかりでなく、構成する地層も異なっています。
 八千代市の北の端、神崎川低地南岸の佐山に大学ができることになり、その周囲で宅地開発の工事が始まって新しい崖がいくつか生まれました。そのときにおこなった調査のスケッチ(稲田,1998))をいくつか示します。
 上の図は台地面の北のはずれの部分です。最下部にはシルト質微細砂からなる木下層があり、常総粘土層がそれを削り込んで乗っています。これらを武蔵野ローム層と立川ローム層がおおい、崖の北(左)側で常総粘土層を切って垂れ下がってゆきます。常総粘土層の堆積後、北下がりの浸食面がつくられて、崖の北側の常総粘土層が失われた後、武蔵野ロームと立川ローム層の降灰が行われたのでしょう。 
 この崖の北側にあるのが上のスケッチの崖です。ATを夾んだ立川ローム層だけが南(右)から北(左)へと、下位の地層を切りながらはい下りています。Tpと武蔵野ローム層は右の端では見えていますが、崩土の山をはさんだ左側では見えていません。木下層の上には、クロスラミナの発達する砂礫層が乗っていますが、これはTpの下部に見えている砂礫層と同じもので、常総粘土層を切る浸食面をつくった川の河原につもった地層(河岸段丘T段丘堆積物)です。つまりここでは武蔵野ローム層とそれにともなわれる段丘堆積物を切る新しい別の浸食面が生じて、その上に立川ローム層がつもっているのです。
 この崖から150mほどで段丘のはずれです。もう崖はありませんから穴を掘って地層の様子を確認しました。それが上の地質柱状図です。地表から1.4mあまりは表土で縄文土器の破片を含んでいます。その下の立川ローム層は1mの厚さで、ATの火山グラスが10cmほどの厚さに散る層準をはさんでいます。ローム層の下は灰色の粘土層になりますが、これは湿地につもった立川ローム層が粘土化したものでしょう。最後に出てくる粘土混じりの砂層が武蔵野ローム層を切る浸食面の上に乗る段丘堆積物です。
 図には示しませんが、ATをはさむ立川ローム層が沖積層の下に埋まっているのを、学園町の汚水処理施設の工事の際に確認しました。沖積層の下に埋まる氷期の谷の側壁の傾斜は南で緩く、北側で急になっていることと思われます。神崎川低地対岸には河岸段丘の発達はなく、SIPの軽石塊をはさむ常総粘土層を乗せた台地が直接低地に接して分布することがそのことを示しています。
 結局ここの地層は上の概念図のようになっていることになります。南から、台地面、Tpを含む武蔵野ローム層以上を乗せる河岸段丘(河岸段丘T)、ATを含む立川ローム層上部を乗せる河岸段丘(河岸段丘U)低地面の順序で、北側ほど地形面は新しくなり、現在の神崎川低地のもとをつくった川の位置が南から北へと次第に移動しながら谷を掘っていったことを示しています。しかし谷の形成は連続的に行われたのではなく、二回の中断期があり、この時に二枚の段丘砂礫層がつもったのでしょう。その時代は5万年前の東京軽石層降灰期以前と、2.4万年前の姶良-Tn火山灰の降灰期以前のことだと考えられます。


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