法句経(ほっくぎょう)第5()を巡って 

作成20141213                          

法句経はパーリ語ダンマパダの漢訳(ダンマは法,パダは言葉の意)

で仏陀の直説に近い初期仏典です。

平易、簡潔ながら大変洞察に富む420余の詩句からなります。

ここでは特に古来膾炙している第5偈を取り上げます。

 

1       法句経の伝承 

 色々の部派(グループ)が伝承保存してきた直説により近い仏陀の教えですが、

 の数や表現にそれぞれ異同が見られます。大雑把に言って2系統あります。

 

 第一はパーリ語法句経(ダンマパダ)の系統、 第二はサンスクリット語法句経

(ウダーナヴァルガ)の系統です。

東南アジア(いわゆる南伝)には第一の系統のみ伝わり、チベット語やトカラ語、

トルコ語は第二系統のみ、中国には両方の系統が伝わった様です。  

 中国に伝わった法句経は四種あり、二種がパーリ語法句経の系統、他の二種が

サンスクリット語法句経の系統です。

 

 パーリ語法句経(ダンマパダ)の第5偈ā

  原文 na hi verena verāni sammant’ iha kudācana averena ca sammanti.         

          esa dhammo sanantano.

 

 漢訳(法句経)  慍於怨者 未嘗無怨。 不慍自除 是道可宗。  

  日本語訳(中村 元訳に基づき一部修正 以下同じ)

     実にこの世においては、怨みに怨みを以ってせば、ついに息むことなし。

     怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理なり。

  英語訳(マックス・ミュラーが1870年に初めて英訳)

      For hatred does not cease by hatred at any time : hatred cease by love;       

       this is an old rule.

 

  なおこれより先、ヨーロッパでは1855年、ファスヴェールがラテン語訳を出して

  おり、ミュラー自身それを参考にしたとのべていますが、中味は判りません。

 

3     サンスクリット語法句経(ウダーナヴァルガ)の本偈

原文(ウダ―ナヴァルガ14−11)

na hi vairea vairai śāmyantīha kadā cana, kṣāntyā vairāi śāmyanti.

 ea dharma sanātna.

漢訳(出曜経)不可怨以怨 終以得休息。 行忍得息怨 此名如来法。

日本語訳(中村 元訳修正)

   実にこの世においては、怨みに怨みを以ってせば、ついに息むことなし。

   堪え忍ぶことによってこそ怨みは息む。これは永遠の真理なり。

英語訳(ロック・ヒルがチベット語法句経より1882年訳)

   He who shows hatred to those who hate will never be at peace,he

     who is patient with those who hate will find peace,this is the spirit   

     of religion.

 

4     ミュラーの英語訳の謎

  ミュラーがなぜパーリ原文の「averena ca sammanti(怨みをすててこそ息む)」をcease

  by love(愛によって息む)と訳したか判りません。キリスト教圏ではby love の方が

  よく通ずると考えたでしょうか。

  サンスクリット語法句経も訳されていたがニーチェは『この人を見よ』(1888年) 

  の中で「 敵意により敵意は終息せず、親愛により敵意は終息する」(安倍能成 岩波

  文庫)と引用しており、ミュラー訳に基づいたのではないかと思います。

 

5 日本の法句経流布・最澄の引用

  日本は明治以前まで漢訳を読んでいたわけですが、どちらの系統が読まれたか判然と

  しません。  

  最澄(767〜822)の引用している法句経は、サンスクリット系統の漢訳

  経典に基づくものと思われます。  

  最澄は第5偈を次のように引用しています。

 

  「怨みをもって怨みに報ずれば、怨みは止まず、徳をもって怨みに報ずれば

  怨みはすなわち盡きなん。長夜夢裏(じょうやむり)のことを恨むなかれ

法性真如(ほっしょうしんにょ)の境をこそ信ずべし(光定撰「伝授一心戒文」)。 

 

最後の部分「長夜夢裏のことを恨むなかれ。法性真如の境をこそ信ずべし」は「永遠

  の真理」に対する素晴らしい意訳だと思います。

 

(初出20061124星雲会を修訂正)

                      真野  覺