書籍版「これから論文を書く若者のために」
補足説明

2005.7.20 更新

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2005.10.20 から数え直し(開設は 2002.11.12)

「これ論」の内容の補足説明のページです。

・私の言葉不足のために意図が伝わらなかった部分の解説。
・新たに考えたこと。

などを、ぼちぼち書いていきたいと思います。
 「これ論」の内容に関して意見・質問のある方は私にメー ルを下さい。このページを充実させる参考にさせていただきます。

若手研究者のお経


「わかっていないから」やるのは良い。「わかっていないから」というだけの理由でやるのは駄目(pp. 64-69)(2005.7.20 記)

第 2 部 3.4「わかっていないからやるのか」についての補足説明です。この節で私は、「どうしてやるのか」の理由(そのことを調べる理由)として、「わかってい ないから」というのは駄目だと力 説しました。そのあまり、「「わかっていないから」を理由に挙げてはいけない」「イントロに「わかっていないから」と書いてはいけない」と思われてしまう ことがあります。それは誤解です。私が駄目だと言っているのは、「わかっていないから」というだけの理由で済ませてしまうことです。たとえば、

1. ここに穴を掘って下さい。
2. なぜならここに穴が無いからです。

というイントロには全く説得力がありません。「ここに穴が無いから」(わかっていないから)というだけの理由で人を説得しようとしているからです。

1. ここに穴を掘って下さい。
2. なぜなら、徳川幕府の埋蔵金が埋まっているからです。
3. しかし、穴が無いので取り出すことが出来ません。

というイントロには説得力があります。「穴を掘ることにどういう価値があるのか」をきちっと説明しているからです。しかしどちらのイントロも、「ここに穴 が無いから」が重要な理由であることに変わりはありません。前者のイントロが駄目なのは、「ここに穴が無いから」という理由だけで済ませている点です。同 様に、

1. A を明らかにすることを目的とする。
2. なぜなら A が明らかになっていないからである。

というイントロに説得力はありません。読者を説得するには、

1. A を明らかにすることを目的とする。
2. A を明らかにすることには、これこれの学術的価値がある。
3. しかし、A は明らかになっていない。

をきちっと説明することです。「3. しかし、A は明らかになっていない」をイントロにはっきり書く必要があるのか、それともわざわざ書くまでの無いことなのかは、そのイントロの文章の流れによると思い ます。書くにせよ書かないにせよ、「Aは明らかになっていない」ことが重要な理由であることに変わりはありません。
 繰り返します。どんな研究も、「わかっていないから」やるのです。私が言っているのは、「わかっていないから」というだけの理由では駄目だということです。それを明らかにすることの学術的価値も(学術的価値こそ)きちっと説明しないといけないということです。


本書が役に立つ人達(2002.11.12 記)

「これ論」は、論文になる素材(データ等)を持っている人にとって役に立つ本です。論 文になりそうもない素材を論文にしようと苦しんでいる人には役に立ちません(魔法の本ではありませんから)。素材に問題があるために論文が書けな い人は、研究をやり直すことを勧めます。
 逆に、論文になる素材があっても、良い論文を書けるとは限りません。良い素材をお持ちの方は、本書を参考にして論文書きに挑戦してみて下さい。


イントロダクションでは、問題の意義をどこまでさかのぼって説明するべきなのか(pp. 64-69)(2004.11.26 記)

第 2 部 3.4「わかっていないからやるのか」についての補足説明です。この節で私は、「研究としての価値を読者に認めてもらうためには、それを知ることにどうい う学術的意義があるのか」を説得しなくてはいけないと書きまし た。このことに関して、たまに質問されることがあります。「いったいどこまでさかのぼって、学術的意義を説明し続ける必要があるのか」ということです。
 たとえば、カエデの光合成能力に関する研究をするとします。

1. カエデの光合成能力を調べる。

こういうイントロだと、「カエデの光合成能力を調べる」ことの学術的意義は何なのだと批判されます。そこで以下のように直します。

2. カエデの光合成能力を調べる。これを知ることは、カエデの生態を明らかにする上で重要である。

すると今度は、「カエデの生態を明らかにする」ことの学術的意義は何なのだと批判されます。そこで今度は以下のように直します。

3. カエデの光合成能力を調べる。これを知ることは、カエデの生態を明らかにする上で重要である。これを知ることは、樹木の生態の一般特性を明らかにす る上で重要である。

今度は、「樹木の生態の一般特性を明らかにする」ことの学術的意義は何なのだと批判されます。こんな調子で、「宇宙の法則を明らかにする上で重要」 というところまで説明しないと、読者は納得しないのでしょうか。
 これに対する私の助言は、「投稿しようとしている雑誌の読者の共通理解のところま でさ かのぼって説明しなさい」ということです(読者層の幅が広い雑誌の場合は、その 読者の中の、ある研究分野に興味がある人たちの共通理解のところまでで良いと思います)。たとえば、「カエデの生態」という雑誌に投稿するのなら 2 のイントロが良いでしょう。この雑誌の読者には、「カエデの生態を明らかにすること = 学術的意義のあること」という共通理解があります。だから、カエデの生態の解明につながる研究であることがわかれば、その学術的意義を認めてくれます。同 様に、「樹木の生態」という雑誌に投稿するのなら 3 のイントロが良いでしょう。この雑誌の読者には、「樹木の生態を明らかにすること = 学術的意義があること」という共通理解があるからです。
 もう一つ、「高二酸化炭素濃度の元でイネ・オオムギ・コムギを育て、成長特性の変化を比較」するという研究の例でも考えてみましょう。「農作物の安定し た生産の必要性」は一般人の共通理解です。しかし一般人に、「大気の二酸化炭素濃度に対する反応の一般法則を打ち立てることの必要性」という共通理解は無 いでしょう。ですから一般向けの雑誌のイントロは、このように書く必要があります。

・100 年後には、大気の二酸化炭素濃度は現在の二倍に上昇すると予測されている。
・人類が依存している農作物は、現在の低二酸化炭素濃度に適応したものである。
・二酸化炭素濃度が上昇した元でもこれら農作物が良好に生育し、安定した生産が図れる保証はない(共通理解の部分)
・農作物の、高二酸化炭素濃度に対する反応の一般法則を打ち立てる必要がある。
・高二酸化炭素濃度の元でイネ・オオムギ・コムギを育て、成長特性の変化を比較する。

一方、農作物の研究者には、「大気の二酸化炭素濃度に対する反応の一般法則を打ち立てることの必要性」という共通理解があります。ですから、この人 達向けの雑誌のイントロは下記のようになります。

・高二酸化炭素濃度に対する農作物の反応は複雑である。
・高二酸化炭素濃度に対する反応の一般法則を打ち立てる必要がある(共通理解の部 分)
・高二酸化炭素濃度の元でイネ・オオムギ・コムギを育て、成長特性の変化を比較する。

農作物の研究者向けの雑誌に、一般向けの雑誌のようなイントロを書いてはくどくなるだけです。
 以上、二つの例で説明しました。「共通理解」の手前で説明が終わっているイントロでは、その研究の意義を認めて貰えず、「共通理解」を越えて説明 しているイントロは「くどい」というわけです。


間奏:効率の良い執筆作業(pp. 97-100)(2002.11.12 記)

論文を書き、それをアクセプトさせるためには、非常に強い意志が必要です。論文執筆を挫折してしまう原因の多くは、この意志の欠如と思います。論文 執筆に対する気構えを持って貰うために、「なかなか論文を書けない若者のため に」という文章を書きました。折にふれて読み返し、気合いを入れて下さい。


論文の要旨と学会発表の要旨(pp. 112-119)(2005.1.18 記)
第 2 部 8.3.2「アブストラクトを書くときの注意事項」で私は、「どうしてやるのか」の説明は要旨には不要と書きました。これは、論文の要旨に限っての話で す。学会発表の要旨には「どうしてやるのか」の説明が必 要です。
 論文と学会発表とで要旨に求められるものが違うのは、以下の二つの理由によります。

読む必要があるかどうかを判断するために論文の要旨を読み、面白そうかど う かを判断するために学会発表の要旨を読む。
 論文は、自分の研究に必要であるから読みます。たとえば、新しい研究を計画しているときには、関連する論文を読んで情報を仕入れます。研究成果を論文に まとめようとしているときも、関連する論文を読んで、引用したり参考にしたりします。こうした目的で論文を集める場合、読むかどうかの判断基準は「必要か どうか」であって、「面白いかどうか」ではありません。そのため、「どうしてやるのか」(その論文の研究テーマの面白さの説明)が書いていなくても問題あ りません(ただし、本文にも「どうしてやるのか」が書いていないと、「読む必要はあるけれどつまらない研究」になってしまいます)。
 一方、学会発表を聴きに行くかどうかの判断基準は、「必要かどうか」よりも「面白いかどうか」の方が重要となります。学会では、自分の研究に必要な発表 だけでなく、もっと幅広いテーマの発表を聴くからです(せっかく学会に来たのですから)。そして、「何か面白そうな発表はないかなあ」と講演要旨集を見 て、聴きに行く発表を決めます。このとき、「どうしてやるのか」が、面白そうかどうかの一つの判断基準となります。そのため、「どうしてやるのか」を書く ことが求められます。

論文の要旨は、その論文を読むかどうかの判断材料でしかないのに対し、学 会 発表の要旨は、それ自体が「論文」としての機能を持つ。
 論文の場合、「どうしてやるのか」は序論を読めばわかります。しかし学会発表の場合、発表を聞き逃してしまっ たら、講演要旨が唯一の情報源となります。だから読者は、学会発表の要旨を読むだけで、その研究のおおよそが理解できることを望みます。研究目 的だけでなく、「どうしてやるのか」も書いていて欲しいと望みます。「論文そのもも」を読む気持ちで、学会発表の要旨を読むわけです。
アブストラクトで書くべきこと(pp. 113-116)(2003.4.30 記)

アブストラクトでは、必要ならば、考察に相当することを書いても構いません。アブストラクトで書くこと(表 12;p. 114) に「考察」が入っていないので、誤解を招いてしまったかもしれません。私のつもりとしては、アブストラクトで書くことは、

取り組んだ問題
着眼点
研究対象
研究手法
研究結果(考察を含む
結論

です。研究結果に関する記述の中に、考察に相当するものも含めて良いということです。


原稿を読んでもらうときに気をつけること(pp. 136-137)(2002.11.12 記)

執筆中に問題点を見つけたら、どんどん人に相談しましょう。確かに私は、「人に読んでもらうときには、自分では完成したと思う原稿を 見せるべき」と書きました。それはそうです。でもこれは、原稿が完成するまで相談するなという意味ではありません。相談しながら執筆を進め、原稿を書き上 げるよう努力しましょう。そして、自分では完成したと思う原稿が出来上がったら、それを改めて指導者(読んでくれる人)に提出して下さい。
 ただし、相談するときは、自分でもじっくり考えた上で相談するように。何も考えずに「どーしたらいいんですかー」では、あなたのためになりません。


添え状における、論文の簡単な内容紹介(pp. 147, 149)(2002.11.12 記)

論文を投稿するとき、添え状に、論文の内容紹介を書くとよいと述べました。でもこれは、必ず書けという意味ではありません。アブストラクトを読めば 内容はわかるので、添え状に内容紹介を無理して書く必要はないと思います(もちろん、書いてもいいですが)。


英文手紙の例(pp. 148, 165-166)(2002.11.12 記)

私の英文は真似しないで下さい。英文に関しては、下記の本などを参考にして下さい。

黒木登志夫・F. ハンター・藤田(1987) 科学者のための英文手紙の書き方 朝倉書店
Tu, A. A. (1996) 科学者 Tu さんの英文手紙実例集 化学同人


論文の改訂と、改訂内容を説明する手紙の執筆(pp. 158-166)(2002.11.27 記)

論文の改訂と、改訂内容を説明する手紙の執筆は同時並行で行うと効率的です。つまり、レフリーのあるコメントに従って改訂したら、その改訂内 容の説明文もすぐに書いてしまいます。全改訂を終えてから改訂内容を説明する手紙を書き始めることはお勧めしません。同時並行方式を勧める理由は 三つあります。

1. 頭を集中できる
 そのレフリーコメントに対応して論文を改訂している時というのは、そのレフリーコメントに頭が集中しているときです。その集中した頭で改訂内容の説明文 を書いてしまえば、説明文をけっこう楽に書くことが出来ます。

2. 改訂内容が、レフリーコメントに対応したものになっているかどうかチェックしやすい
 論文の改訂は、レフリーのコメントに完全に対応したものでなくてはいけません。つまり、レフリーの指摘に正確に答えていることです。改訂内容が、レフ リーの指摘からずれていたり答えになっていなかったりしたら、改訂内容の説明を書いているときにきっと困ってしまうと思います。逆に言うならば、説明文の 言葉に困ってしまったら、改訂内容に問題がある可能性があるということです。改訂内容と説明文を相互に吟味していくことで、レフリーコメントへの対応を完 璧に仕上げていくことが出来ます。

3. 説明漏れを防ぐ
 改訂内容はすべて説明しなくてはいけません。全改訂を終えてから改訂内容を説明する手紙を書き出すと、説明し忘れてしまう改訂部分が出る可能性がありま す。同時並行方式ならば、こうしたミスを減らすことが出来ます。