太田裕美「失恋魔術師」

 太田裕美の曲は、いわゆる82年組アイドルたちが歌ったような無邪気で無防備な少女の歌ではない。「雨だれ」「九月の雨」「しあわせ未満」「ドール」など、どこかに悲しさを思わせる曲ばかりである。ファンに男子大学生が多かったというのもうなずける。歌に描かれる恋愛は、少女のそれというより、大人になろうとしてなりきれない男女のそれであった。大人になりきれない夢見る少女、といった彼女の風貌も、ぴたりとはまっていた。

しかし、「失恋魔術師」は違った。前向きな少女の前向きな恋の姿を描いていた。

「恋を無くすと見かけるという」失恋魔術師。そんな魔術師が目をつける主人公は、彼氏と待ち合わせの約束を果たすために歩く女の子。魔術師は「待ち人は来やしないのに」と言いつつ彼女の後からついてくる。彼はいささか遅れているのか、まだ来ていない。「不幸とは追うものだから」「愛なんてうつろな夢さ」などと水を差す魔術師に対し、彼女は「電車の遅れだわ あっちへ行って」と強がる。結局彼は少し遅れて待ち合わせにやってくる。魔術師は「また今度迎えに来るよ」と告げて去っていくが、彼女は「いえいえ死ぬまで逢わないわ おあいにくさま 恋は続くの 早く消えてね」。

 魔術師が何者かは、基本的にどうでも良い。大切なのは、彼女の内面を想像することである。魔術師に対して強がる彼女。この強がりは、不安を払拭するためのものか、はたまた本当に信じ切っているからなのか。その辺を深く考えるのが正しい楽しみ方、だと思う。

魔術師はなぜ彼女に近づいたのだろう? そもそもこのカップル、別に別れを迎えるっぽい理由が見あたらない。なのに魔術師は彼女に近づいた。この魔術師、たぶん少年少女の恋愛にのみ関わってくるヤツだと思う。少年少女はいっつも相手の気持ちが、自分から離れるんじゃないかと不安に思っている。もっと言えば、そういう疑心暗鬼が失恋の原因になりやすい。魔術師が近づいている以上、彼女も不安を持っている。しかも隣町のカレとのプチ遠距離恋愛である。携帯電話のない時代、たまにしか逢えない、家で長電話するわけにもいかない年齢の彼女にとって、不安はいつだって忍び込むだろう。

つまり、彼女は決して無邪気な恋愛をして、無条件に「彼は絶対来てくれる」と思っているわけではないのだ。その辺が次の時代のアイドル歌謡と違うところだ。しかも基本的に受身の恋愛だろうから、相手を信じることしかできない。そういう切なさを想像で補って聴いてきたから、私には彼女が不安を払拭しようと頑張っているように見えるのである。

 そういう風に考えれば、最後の「いえいえ死ぬまで・・・」の部分も、いささか嬉しさではしゃいでいる姿として感じられてほほえましい。こういう感情の起伏を会話で描く辺りは、さすが松本隆である(ちなみに作曲は吉田拓郎)。うーん、名曲だ。「ひまわり畑」とか「コーヒーハウス」とか小道具利用も上手いし。とにかく、聴いていると嬉しくなる曲。一度お聴きあれ。

全くの余談。勝手ながら、「外は白い雪の夜」(松本隆作詞)のカップルは、この歌のカップルじゃないかと思っている。喫茶店も同じ店だと思っている。勝手だけど。

 

追記 松本隆についてはまたいつか触れる機会があると思う。それまでこういうところで勉強しておきます。もちろん、吉田拓郎も登場予定。

 

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