極私的国民必聴歌 阿久悠作詞編

 「よいものはすぐ褒めなければならない」が信条のわたしなのに、阿久悠作詞曲を亡くなるまで褒めなかったことが痛恨の極みである。で、「他の人が褒めるものは、別に褒める必要がない」も信条だから、あまり評価が高くない歌を選んでご紹介したい。

 ザ・タイガース「色つきの女でいてくれよ」 (作曲・森本太郎)

昭和56年にタイガースが再結成したとき、第2弾シングルとして発表。きゃーきゃー言ってタイガースを追っかけていた少女を「色つきの女」と表現したのが上手い。少女が大人になるとき、近くにいる者の感じる寂しさ。よく歌のテーマになるモチーフだが、少女時代を肯定的にとらえているのだ。さだまさしに「交響楽(シンフォニー)」という曲があるが、こちらは「昔は昔」と突き放してしまう。わたしは少女時代と大人の女性を繋げて見せる阿久悠氏に賛同したい。とにかくこの歌は「色つきの女でいてくれよ」タイトルの勝利。この深みをよく味わわれたい。
 追記(H28) この曲(リリースはS57)の1年前に国民必聴歌「君は天然色」(松本隆作詞、大瀧詠一作曲)が出ている。そこでサビに「美しのColorGirl」とあるが、もしかしたら影響を受けていたりして。もちろん、そういう影響関係があったとしても、両曲が名曲であることにはまったく傷がつかないけど。

 

 ピンクレディー「S・O・S」 (作曲・都倉俊一)

ピンクレディーの曲で唯一好きな曲。どうってことがない歌詞なのだが(音楽的には好き)、これを危なっかしいアイドル(岡田奈々・木之内みどりとか)に歌わせたら、「お前がピンチだろ」と言いたくなる。ピンクレディーだから成立するのだ。ミニスカートのねーちゃんに歌わせて、それでも危なっかしい感じの曲にはならないと読み切っていた阿久悠がすごい。また、初期の山口百恵(例えば「禁じられた遊び」など)へのアンサーソングにも感じる。山口百恵の歌の方が大人びているようで、実は子どもっぽい。そのことを強く語っている歌であるような気がするのである。

 

 伊藤咲子「乙女のワルツ」 (作曲・三木たかし)

大袈裟過ぎるイントロではあるが、最後の盛り上がりの前フリとして効いているから良しとしよう。いきなり「好きといえばいいのに」と来る。「好きと言えなかったせつなさ」を歌う曲は、意外と少ない。万人に好かれるために、歌というものが明るく、あっけらかんとしすぎているのはよろしくない。だから「せつなさ」を全面に出したこういう曲は大切にしよう。にしても「小雨降る日はせつなくて ひとり涙を流し」は良い。いつ涙を流しているのか。もちろん、愛が消えた後だろう。愛が消えた後、せつなさを思い出していろいろ感じているのが歌詞の語り手だ。この歌のメインテーマは「失恋のつらさ」そのものではなく、「せつなさを抱いて少女が成長していく姿」だと思う。古傷のように残るせつなさは、すべての大人が持っている。1990年代初頭、「あの人は今」的な番組で彼女がこの歌を歌った。その当時はクラブのママをしていたそうだが、しっとりとした大人の雰囲気で見事に歌い上げた。この歌は、大人の女性が歌うのが良い。何故ならこの歌は紛れもなく、せつなさを知る大人の歌だからだ。それをいかにも子どもっぽい伊藤咲子に歌わせる。まるでせつなさを抱いて成長する彼女の将来を案じるかのように。(参考:公式HP

 

 新沼謙治おもいで (作曲・川口真)

御存知・新沼謙治のデビュー曲。これが良い。「おもいで」と言うとき、我々はともすると「良い想い出」ばかりを追いがちである。この歌、3番まで聴いているときは「自然っていいなぁ」とか「素朴な土地っていいなぁ」とか、歌われた「おもいで」を勝手に美化するかも知れない。しかし4番で、そのような聴き方が甘かったと思い知らされる。「耐えてしのんで 船のりが/行方たずねる 眼をはらす」。実はこの歌詞、4番まで一貫して「自然の中での小さい人間の暮らし」を描いている。そのくせ、4番には自然の描写がない。これがすごい。実は冬の描写は4番ではなく1番に「たき火」と「流氷」として存在する。こう見ると同じ1番の「顔をゆるめる」も生やさしい笑顔でないことが知れよう。都会にいると思われる語り手は、岬のおもいでに、何を求めているのだろうか。
 関連歌:「誰のせいでもない雨が」(中島みゆき)、「竜飛崎」(よしだたくろう&かまやつひろし)、「襟裳岬」(吉田拓郎)、「俺らいちぬけた」(岡林信康)など。(2008年1月14日記)

 

(あいうえお順に紹介していますが、まだまだ続くのです)

 

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