3 クイズの勉強法はどんなの?

 かつて「アメリカ横断ウルトラクイズ(NTV)」「1億2000万人のクイズ王決定戦(フジ)」「史上最強(TBS)」などの「クイズ王番組」が存在した頃、そこに登場したのは「大学のクイズ研究会」と呼ばれる団体に所属している人たちでした。

 彼らの存在は、一般の人たちに「きっとクイズには、何か適切な勉強法があるに違いない」と思わせたでしょう。一般の人たちは「クイズ研究会の人たちは、クイズのための努力を日夜一生懸命行なっているのだろう」と思ったのだろうと思います。

 そもそも表題の質問をする人の気持ちを分析すると、その人が「クイズ番組を良く見るか否か」で、大きく2種類に分かれます。「クイズ番組をあまり見ない人」だと「よくあんな問題答えられるよなぁ。普段クイズしかしてないんだろうなぁ」という気持ちをこめて質問してくるようです。それに対して「クイズ番組をよく見る人」は「きっとクイズの世界には、よく出る問題というのがあって、それを知ってさえいればいいんだろうなぁ」という仮説を立てて質問してくるようです。

 まず、「クイズによく出る問題」というのが存在するかどうか。これに関しては分析を別の場所で行ないますが、結論だけ言うと「存在する」ということになります。これら「よく出る問題」というのは、昭和50年代にたくさん存在したクイズ番組、例えば「アップダウンクイズ」「三枝の国盗りゲーム」「タイムショック」などで、繰り返し出されつづけた問題を指します。問題作りを毎週何十問ものペースで行なっていくと、どうしても似通った問題が作られてしまう、これはクイズの宿命のようです。作る側は新しい切り口で問題を作ろうとしているのだけれど、「適切な難易度」「身近な素材」という枷を嵌めると、そうなってしまう。このような問題をクイズプレーヤーは「ベタ」と呼んでいます。この呼称は今後よく出てくるので覚えていてください。

 で、こういった「クイズによく出る問題」は、「クイズ本」によってクイズプレーヤーの広く知るところになっています。「ウルトラクイズ」の本16冊をはじめ、クイズの問題集として1990年代初頭に出版された「クイズは創造力」(長戸勇人氏著)などがそれです。こういった本にある問題を、1問1問地道に覚えていくことが、このころのクイズプレーヤーの勉強法でありました。

 テレビのクイズ番組では同じような問題が繰り返し出題される状況があったため、そういう問題を覚えていくことが、この時点での最も適切な勉強法であったことは間違いありません。これは今でも「アタック25」などに出場する場合、効果的な勉強法です。そういう勉強に適した本を紹介すれば、『アメリカ横断ウルトラクイズ虎の巻』(日本テレビ・1998年)か、『能勢一幸のクイズ全書U』(情報センター出版)あたりでしょうか。前者の問題を眺めるだけで、何となく「ベタ」の雰囲気はつかめると思います。

 知識をつける、という意味では「クイズ本を覚える」というのが勉強法でありつづけましたが、クイズに勝つことを考えるとこれだけでは勝てない。どうしてももうひとつ必要な対策が「早押し対策」です。が、これは「クイズの勉強」ではないから、次回書きとめます。

 さて、時代が下り、数々あった「一般視聴者向け」クイズ番組が無くなっていき、難問であることをうりにしていた「クイズ王決定戦」的な番組が登場しました。こういうクイズ番組には先に述べた「適切な難易度」「身近な素材」という切り口の問題があまり出題されず、「こんなの分かるのか?」という種類の問題、「クイズのために勉強していなければ、身近には触れられない題材」からの出題、「一度出た問題は出さない」というコンセプトによる問題などが代わりに出題される。そうすると、どうしたってクイズの勉強法が変わってくる。

 例えば、「摂氏温度計の「摂氏」の由来となった物理学者セルシウスは何処の国の人?」というような問題がそのころ出題された。これまでの「適切な難易度」「身近な素材」という切り口からの出題ではないから、普段からよほどクイズのための勉強をしていないと知り得ない知識、と言えます。このように「クイズの勉強をしていない一般の人は答えられない問題」を求め始めたのが、1990年初頭のクイズシーンの衝撃的な出来事でした。

 こういう問題はクイズ本に載っていないから、クイズの勉強をするときはどうしても「自作問題」を作っていくことになります。このころから「クイズの勉強」の主流が「今後出題されそうな問題を自分で作って覚える」に代わっていきました。クイズ本に載っていない知識を身に付けるのに、「読書」などではなく、あくまでも「問題を覚える」という従来の勉強法に帰着させてしまうのは、クイズプレーヤーの悲しい性のようです。読書で知識を付けていくのは、やっぱり効率が悪いと思われているのでしょう。

 どういう問題が「今後出題されそうな」のか。簡単に言えば「今まで出題された問題と傾向が一致する問題」ということになる。

 例えば、先ほどの「摂氏温度計」の例で言えば、「華氏温度計の「華氏」の由来となった物理学者ファーレンハイトは何処の国の人?」「列氏温度計の「列氏」の由来となった物理学者レオミュールは何処の国の人?」という問題をまず作って覚えることになります。でも、この問題はテレビ番組には出題されません。何故なら、あまりにも「一般の人の知識と乖離している」からです。「華氏」はまだしも「列氏温度計」なんか、一般の人は誰も知りません。「クイズ王決定戦」のような難しい問題が出される(ことをウリにした)番組も含め、テレビ番組で出題される問題には「一般の人でも問題文に何らかの知的反応を起こせる」という条件があります。「摂氏温度計」だったら、「へえー、摂氏って人の名前からとったんだぁ」という反応ができる。「列氏」にはそれがありません。これが「オームの法則の「オーム」は何処の国の人?」だったらOK。「オームの法則」は中学生でも知っていますから。

 ところが、この後のクイズ研究会では「列氏」のような問題がどんどん出題されていきました。「テレビ番組」という「一般の人々とクイズを繋ぐ掛け橋」が無くなったから、クイズ研究会は安心してどんどんクイズを難しくした。このことがクイズ研究会では「クイズの進歩」ととらえられました。わたしは進歩主義史観の持ち主ではないため、クイズが難しくなり、一般の人の知り得ない知識を求めていくことを「進歩」とは思いません。が、ともかくどんどん難しくなる。

 難しくなっていく方向が「列氏」のような方向、つまり「ベタ問題を一般の人と関わりの無い方向に掘り下げていく」になっていくことで、クイズの勉強が、例えば「百科事典を頭から読んで問題を作って覚える」になったりしていきました。

 クイズをやっている人が、とりたてて「読書家」であったり、「知識人」であったりしているわけではないことが、ここまでで分かっていただけたでしょうか。「クイズに強い人」というのは、「クイズによく出る問題」「クイズに出そうな問題」を丹念に覚えていった人を指しているのです。もちろん「読書家」の人もいますけど。

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