0 述べることの前提 〜クイズ企画者としての立場〜


 「クイズをしたことが役に立つか」というテーマが、何度か話題に上がっているのを見たことがある。例えば、このような感じ。

『TVクイズ番組攻略マニュアル3』(フレームワークジェイピー著・新紀元社)秋田芳巳氏のインタビューから(p.27)
「あとクイズをして良かったのは、話題が豊富になったこと。前に仕事で公共事業のために土地を売ってもらう仕事をしていて、地域の人と直に接していたんですけど、土地を売る・買うというシビアな話だけだとやっぱりのってくれないわけですよ。そこで相手の興味に合わせて世間話ができたのは、クイズをやってきたおかげというのが大きかったですよ。」

『クイズ文化の社会学』(石田佐恵子・小川博司編・世界思想社)「クイズプレーヤーの立場から 長戸勇人」より(p.167)
「かつて僕もよく『クイズなんかやってて何の役に立つの?』などといわれたものだ。バカかオマエは。クイズなんか何の役にも立たないに決まっているのだ。/じゃあ趣味の領域にあるもので役に立つものっていったい何だ? すごいサーブを打てるテニス選手にとってのそのサーブ、日常生活でどう役に立つのか。(中略)クイズに限らずスポーツや文化活動での特殊能力はそれそのものに価値があるわけで、そこから先への二次的な価値への転化はどうでもよいことなのだ。」

前者は、クイズをしていたことがどう役立ったかを積極的に語っているのに対し、後者はクイズをしていたことによる二次的利益を問題とせず、「クイズそのものの楽しさ」のみを強調する述べ方となっている。どちらの場合も問題となっているのは、「クイズに勝つために得た知識・技術」が、クイズ以外の場面で役に立つか、ということである。

実はこの答えは、ともに「クイズ解答者」として「クイズがどう日常生活に役立つか」ということへの答えでしかない。ここに引用したお二人は、ともに「クイズの強豪」として有名だが、自らもクイズの企画を相当数行なっているはずである。もし同じ質問に、「クイズ出題者」「クイズ企画者」の立場として答えるとしたらどうであろう

「クイズの出題について深く考えることによって」「クイズの企画を通して」どんなことが自分の力となったか。これなら、案外すんなり答えられるのではないか。なのに、なぜ「クイズ解答者」としての立場のみに立ってしまうのか。

このように、「クイズ研究会員」は「クイズ解答者」として」の自覚が、先に立ちやすい。これは「クイズ企画者」としての自覚が非常に弱いことの表れに思える

このこと自体は私が別に今さら述べ直さなくても、様々な人が既に問題としている。本藤智保氏(TQCで私と同期)は著『オリジナルクイズ』の中で、クイズ研究会はクイズの「サプライヤー」としての観点を持つべきだ、と述べている。

しかし、時代は変わっている。クイズ研究会関係者が、サプライヤーとして活躍しつつある状況が、少しずつ現れているのだ。

本藤氏の発言は1996年のことである(なお『オリジナルクイズ』は当時、学生クイズ連盟で配布されたと聞く)。その後、オープン大会を魅力的なものにしようとしたり、一般の人にクイズを体験してもらおうとしたり、様々な試みが現れた(慶応OBの神野氏など)。ただし、これらが一般人を巻き込むほどに成功したとは言い難い。

それとは別に、世の中にはクイズ番組が多く生まれた(一般人出場のクイズ番組がそこに含まれなかった理由は、かつて分析した内容でほぼ語れる)。これらが一般の方々にクイズを近づける役割をしたのは確かである。かつての「クイズ王決定戦」的な番組ではなく、「疑似体験」をしながら面白く観られるバラエティとしてのクイズ番組である(と、一応評価しておく)。そしてそこに「クイズ問題作成者」「ブレーン」として番組に携わった、クイズ研究会出身者の存在が、確かにある。

また、私は遊んだことがないが、「クイズマジックアカデミー」というゲームも、一般に流行しているようである。一般の方々が直接クイズを経験できるという意味では、大変意義深い。これも問題作成は、クイズ研究会関係者であると聞く。

「クイズ番組」「ゲーム機」いずれも一般の人とクイズをつなげるものであり、その企画の中で主要な役割をクイズ研究会出身者が行っている。かくいう私も、いささか古くなるが、1996年頃ナムコのゲーム機「マイエンジェル」の問題作成を手伝わせてもらった(もちろん公務員になる前の話)。

そもそも「クイズ研究会員」と「非クイズ研究会員」を分ける境目は、「出題者・企画者の側に立つことがあるか否か」にこそあるはずである。我々は、「クイズ解答者」となる機会が一般の方に比べ、桁違いに多い。同じく、「クイズ出題者」となる機会が、一般の方と違って、結構多い(一般の方は、基本的にゼロである)。

言い換えれば、「クイズ研究会員」は、解答者・企画者いずれの心理も理解して、クイズを企画し得る存在だということだ。だから、クイズ番組制作に重宝されるのはよく分かる。かつてのクイズ番組で、クイズ問題を作成したのは、「クイズ作家」と呼ばれる人たちか、構成作家の人たちであった。つまりクイズ作成者とクイズ解答者は、はっきりと違う人たちであったのだ。今は入り乱れている。実はそのことが、かえってクイズを一般からどんどん遠いものにしているような気がしてならない。

なぜなら、クイズを作るプロが、クイズを答える強豪と重なり、「よく出る知識」という既得権益を独占している状態は、一般の人も薄々感づいていると思うからだ(そのことを象徴的に見せたのが「クイズ王最強決定戦〜THE OPEN〜」であった)。今後検証していくが、「クイズに関わる人」と「そうでない人」を分けるような力が、最近どんどん強くなってしまっているのではないか、という気がする。「クイズ界」と呼ばれ得る閉鎖的なコミュニティが、社会的に(あまり良くない意味で)認知されかねない状況につながる可能性を秘めているのである。

わが先輩・秋元さんはHPで次のように述べている。

いや、私が目指している所は遠いんですよ。例えば、今は一般的に、友達が4人集まった時に「麻雀やろう」とか「プレステやろう」とか「トランプやろう」というのはあっても、「クイズやろう」ってのは絶対にないですよね。そういう選択肢の中に1%でも「クイズ」というのが入りこむ状態が、私の言う「スタンダード」なんです。(定例会見第18回)

私も「クイズが一般に根付く」イメージを、ほぼ同じように持っている。果たしてこのような状態が、今後訪れるのか? 訪れるようにするためには、どういうことを考え、どういうことをしなければならないのか。また、クイズ研究会関係者は、本当に力になれるのか。このコーナーではこのあと考えていくことにしたい。

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