平成二十二年度 県南秋コンクール おとなのしごと  作 佐々木繁樹           フジイ(男性。20代中盤)  タカダ・カナコ(女子高生)  場所は事務所のようなところ。真ん中に机。事務机が別にもうひとつ。  机の上には本が数冊、無造作に置かれている。  正面を向いて制服姿のカナコがただうつむいて座っている。  フジイが事務机にある電話で話をしている。 フジイ「はい、はい、・・・、でも、もう5時ですよ。・・・、分かりました。え、こういう人の相手なん て・・・はじめてですよ・・・、はあ、。おとなのしごと・・・、はい。はい。理由を、はい、は い、・・・、なるべく早く帰ってきてくれませんか? あー、うそですうそです。では失礼します」  フジイ、電話を切り、カナコを見る。カナコの動作は変わらず。  フジイ、途方に暮れてカナコから目を離す。二人の目は合わない。  フジイ、カナコに近づこうとするが、ためらっている。  しかし、意を決して話しかける。記録用のバインダーを手に取るが、開かずに話し始める。 フジイ「では、え、えと、聞かせてもらいましょうかね」 カナコ「・・・」 フジイ「どうしてこんなことしたのかな」 カナコ「・・・」(長く間を取る) フジイ「こういうことは、良くないと思うんだけどね」 カナコ「・・・」(長く間を取る) フジイ「ずっと黙っててもね、話がすすまないよネ・・・」 カナコ「・・・」 フジイ「相当な理由があるような気がするんだけど」 カナコ「・・・」 フジイ「・・・話したくない?」 カナコ「あのう」 フジイ「はい! 何でしょう? どうしてこんなことをしたのでしょう!」 カナコ「あのう、普通名前とかから聞くんじゃないですか?」 フジイ「あ、名前、あ、そうか、名前ね」 カナコ「・・・」 フジイ「どうも君に呼びかけづらいと思いました」 カナコ「はあ」 フジイ「ではまず、名前から聞くことにしますか」 カナコ「・・・」 フジイ「名前、あ、あー、ちょっと待てよ」 カナコ「(即座にフジイの方をちらっと見る)」 フジイ「あ、待てよ、って、あなたに言ったんじゃないんだよね」 カナコ「・・・」 フジイ「ええ、っと・・・・・ちなみに私はフジイっていうんですけどね」 カナコ「・・・」 フジイ「ええ、っと、フジイ、は、いいですね」 カナコ「・・・」 フジイ「あ、話しづらいなら、えー、まず名字から聞きますね」 カナコ「タカダ・カナコです」 フジイ「・・・それって、フルネームですよね」 カナコ「名字と間違えられたことはありません」 フジイ「あ、え、ま、そうだね」 カナコ「名字はタカダです」 フジイ「え、どんな漢字書きます?」 カナコ「タカダは普通の高田です」 フジイ「普通の、ってことは、タカにダですか」 カナコ「・・・それで分かります?」 フジイ「あ、え、と、何て言えばいいのかな」 カナコ「高い低いの高に、田んぼの田です」 フジイ「あ、それそれ、それのつもりだったんですね、簡単な字って説明しづらいですよね」 カナコ「そうでもなかったですけど」 フジイ「で、え、と、カナコはどう書くのかな?」 カナコ「可能の可に」 フジイ「加納さんの加に」 カナコ「加納さんじゃないです。可能・不可能の可」 フジイ「あー、そっち」 カナコ「ナは南で、子どもの子です」 フジイ「あー、あの人の」 カナコ「・・・あの人ってだれですか」 フジイ「あー、たしか、女優さんでいたような気が」 カナコ「はあ」 フジイ「はいはい、分かりました。カ・ナン・コ・と。で、年齢なんですけど」 カナコ「はい」 フジイ「・・・あー、女性に年齢を聞くのもはばかられるんですが」 カナコ「・・・だいたい想像つきませんか」 フジイ「あ、ま、女性に年齢を聞くと怒られそうで」 カナコ「女子高生なのは明らかですけど」 フジイ「奥さんに怒られたんだよね」 カナコ「だれのですか」 フジイ「私のですよ」 カナコ「フジイさん、結婚してるんですか」 フジイ「一応新婚です」 カナコ「・・・見えませんね」 フジイ「よく言われます。あ、いや、そうでもないかな」 カナコ「で、何でしたっけ」 フジイ「えーと、年齢は・・・?」 カナコ「高校2年生です」 フジイ「あー、年齢を」 カナコ「17歳です」 フジイ「はい。え、と、職業は何ですか」 カナコ「見ての通りです」 フジイ「あ、え、一応ここに書いてあるから、聞いたんだけどね。 カナコ「はい」 フジイ「制服からしても松高だよね」 カナコ「はい」 フジイ「・・・てことは、結構勉強できるってことだよね」 カナコ「そんなことはないですけど」 フジイ「いやいや、さっきからそういえば、すごく頭良さそうなんだけど」 カナコ「さっきから頭良さそう?」 フジイ「あー、ずーっと頭良さそうだけど」 カナコ「見た目がですか」 フジイ「見た目もしゃべり方も、何もかも」 カナコ「そうでもないですよ」 フジイ「松高といえばこの辺じゃエリートだもんね」 カナコ「松高にもいろいろいますから」 フジイ「そういう謙遜もまたいいねえ」 カナコ「謙遜じゃありません」 フジイ「・・・もしかして、この話嫌いですか?」 カナコ「・・・」 フジイ「えーっと、じゃあ、そろそろ、とりあえず、まあ、家の人を呼んでもらいたいんですけれど」 カナコ「・・・家の人、ですか?」 フジイ「あなただけを帰すというわけにはいかないんですよ」 カナコ「・・・」 フジイ「まあ、帰れないのはわたしもですけどね」 カナコ「・・・はあ」 フジイ「携帯とか、持ってます?」 カナコ「はい」 フジイ「ああ、よかった。いや、まあ、携帯電話持ってない、とか、疑ってた訳じゃないんですが」 カナコ「・・・連絡、すればいいですか」 フジイ「そ、そうですね。とりあえず、当店に来てもらうように、言ってください」 カナコ「・・・分かりました」  カナコ、携帯で電話する。少しあって カナコ「あ、お母さん、わたし。今、本屋さんにいるんだけど、あ、フレッシュ書店。迎えに来て」(電話を切る) フジイ「・・・事情とか、全然話してないんだけど」 カナコ「・・・そういえば」 フジイ「いきなりこの状況を知ったら、驚くんじゃないかなあ」 カナコ「・・・そうですね」 フジイ「まあ、これで、お母さんが迎えに来てくれるんだよね」 カナコ「・・・分かりません」 フジイ「なんで?!」 カナコ「留守電でした」 フジイ「・・・じゃあ、当分帰れませんね」 カナコ「・・・」 フジイ「わたしもですけど」 カナコ「・・・早く帰りたいんですね」 フジイ「・・・まあ、そりゃ、もう5時ですから」 カナコ「・・・まだ5時になってませんけど」 フジイ「え・・・、いや、もう十分5時です」 カナコ「十分5時って・・・あまり聞かない表現ですが」 フジイ「ほとんど5時も同然、ということです」 カナコ「それもあまり聞きません」 フジイ「わたしにはあの時計が5時過ぎているように見えるんです」 カナコ「・・・大丈夫ですか?」 フジイ「・・・大丈夫ですよ」  間 フジイ「もし、お母さんから、」 カナコ「はい?」 フジイ「電話とかきたら、すぐ教えてください」 カナコ「はい」 フジイ「あ、え、じゃあ、次の質問に」 カナコ「・・・はい」 フジイ「そもそも、・・・なんでこんなことしたのか」 カナコ「・・・」 フジイ「黙っていても、話は進まないからね」 カナコ「・・・はい」 フジイ「『万引きは、犯罪です』って、ポスター見なかったの?」 カナコ「・・・」 フジイ「本来であれば、すぐ警察に通報するところなんだけどね」 カナコ「・・・」 フジイ「ウチの店では、理由を聞いてから通報することになっているからね」 カナコ「・・・」 フジイ「理由によっては、警察に通報しない場合もあるんですよ」 カナコ「そうですか」 フジイ「だから、理由を教えてほしいんだよね」 カナコ「理由」 フジイ「万引き自体は、よくあることなんだけどさ」 カナコ「はい」 フジイ「ま、あなたみたいなのは珍しいからね」 カナコ「珍しいですか」 フジイ「うん」 カナコ「そうですかね」 フジイ「なんで自首したのか・・・」 カナコ「はい」 フジイ「いや、理由を、聞きたいんだけどね」 カナコ「なんででしょう」 フジイ「いや、一応ね、理由を聞くことになってるから」 カナコ「はい」 フジイ「こんなことをした理由をね」 カナコ「はい」 フジイ「いや、理由を」 カナコ「はい」 フジイ「さっきから、返事だけしかしてないよ」 カナコ「はい」 フジイ「答える気がない、と」 カナコ「・・・はい?」 フジイ「答えてもらわないと困るんですよ」 カナコ「あのう」 フジイ「はい! 言う気になったかな!」 カナコ「いや、あの」 フジイ「何でしょう!」 カナコ「もうちょっと、答えたくなるような聞き方をしてもらえませんか」 フジイ「は?」 カナコ「そんな聞かれ方じゃ、答える気になりません」 フジイ「・・・」 カナコ「なんかすごく追及されている感じで」 フジイ「・・・追及」 カナコ「もし私が、心にとんでもないものを抱えて、それで万引きしたんだったら、取り返しつかないこ とになりますよ」 フジイ「・・・まあ、そりゃ、そうだけど」 カナコ「もっと、優しく、話を聞いてくれる感じにしてくれれば」 フジイ「・・・君、万引き犯なんだよね」 カナコ「そうです」 フジイ「なんでそんな堂々としてるの?」 カナコ「おかしいですか」 フジイ「万引きをした、って自分で堂々と言うのも変だし」 カナコ「・・・変ですか」 フジイ「変じゃ、ないけど、え、変わってる」 カナコ「変、ってことですね」 フジイ「変。いやいや、変じゃない。あ、でも、少なくとも、理解はできない」 カナコ「・・・なんでですか」 フジイ「普通、万引きした人って、否定するんだよね。必死になって」 カナコ「どんな感じですか」 フジイ「あ、え、私やってないわよ、だから夫には内緒にして!」 カナコ「本当に、そんな感じなんですか」 フジイ「あ、」 カナコ「女子高生の場合も」 フジイ「あ、え、と、私、万引き捕まえたの初めてなんだよね」 カナコ「初めて、ですか」 フジイ「うん。ただ、防犯カメラの映像見せても、まだ否定する人がいるの」 カナコ「・・・だれが言ってたんですか」 フジイ「警視庁24時」 カナコ「はい?」 フジイ「テレビの」 カナコ「その程度ですか」 フジイ「とにかく、普通の感じ、というか、私の想像してたのと、全然違うんですよね」 カナコ「私のは、正しい万引きじゃないと」 フジイ「あ、いや、正しい万引きなんてないから、」 カナコ「言い換えます。万引きの正しい仕方ではないと」 フジイ「・・・やっぱり、頭良さそうだよね」 カナコ「・・・見た目だけじゃないと」 フジイ「しゃべり方が特に」 カナコ「・・・そうですか」 フジイ「・・・落ち込む、ことですかね」 カナコ「はい?」 フジイ「頭良さそう、って」 カナコ「ああ」 フジイ「私なんか、いつも頭悪そうなしゃべり方って言われるんですけどね」 カナコ「確かに」 フジイ「やっぱり」 カナコ「気になります?」 フジイ「そりゃあ、一応おとなの私が、高校生に頭悪そうって言われれば、気になるよね」 カナコ「でも『頭悪そう』っていうのは、本当は悪くない、ってことですよ」 フジイ「そうかなあ」 カナコ「『頭良さそう』は、その逆です」 フジイ「考え過ぎじゃないかなあ」 カナコ「小さいころから言われ続ければ、そこまで考えたくもなります」 フジイ「そうか・・・ああ、そろそろ本題に戻らないと」 カナコ「はい」 フジイ「万引きの理由ですよ」 カナコ「・・・それは、もういいんじゃないですか?」 フジイ「そういうわけにはいかない。店長から、きつく言われてるんだから」 カナコ「・・・何をですか」 フジイ「万引き犯を確保したら、何よりもとにかく理由を聞くように!」 カナコ「はあ」 フジイ「理由を聞いた上でないと、次に進めない、ってことです」 カナコ「じゃ、お母さんが迎えに来ても」 フジイ「それだけじゃ帰れない、ってことだね」 カナコ「そうですか」 フジイ「だからね」  フジイの携帯(電話と同じ机に置いてある)が鳴る。ほんわかした着メロ。なのに強烈に引きつるフジイ。カナコも驚く。 カナコ「・・・出なくていいんですか」 フジイ「あ、ああ、し、仕事中だから」 カナコ「でも」 フジイ「個人的な携帯の使用は禁止だからね」 カナコ「びびりすぎじゃないですか」 フジイ「ああ、そ、んなこと、ない」 カナコ「使用が禁止なら、電源を切っておけばいいじゃないですか」 フジイ「あ、いや、そんなこと、できるわけないでしょ!」 カナコ「せめてマナーモードとか」 フジイ「気づかないかもしれないでしょ!」 カナコ「だって使用禁止」 フジイ「そんなこと言ったって!」 カナコ「・・・どうしたんですか」 フジイ「いや、あ、ね、電話、いまの、うちの、奥さん」 カナコ「奥さんの電話が怖いんですか」 フジイ「怖くないよ(ひきつっている)」 カナコ「・・・怖いんですね。最近は妻から夫へのDVも増えていますから」 フジイ「え、本当なの?」 カナコ「はい」 フジイ「・・・だれが言ってた?」 カナコ「警視庁24時。テレビの」 フジイ「私も見たかも」 カナコ「図星ですか」 フジイ「そういうんじゃないんだけど、ね、」 カナコ「・・・けんかですか」 フジイ「は、あ、そう、よく、わかるね」 カナコ「ま、そのくらいしかないでしょ」 フジイ「ちょっと、出がけにもめちゃって」 カナコ「もめた」 フジイ「レストランの予約忘れてたんだよね」 カナコ「・・・奥さんの誕生日かなんかですか」 フジイ「えー、なんで何でも当てちゃうの!」 カナコ「そのくらいしか思いつきません」 フジイ「それに朝気づいたから」 カナコ「そうですか」 フジイ「だから、早く帰らないと」 カナコ「・・・混む前にレストランに行こうと」 フジイ「ほら、あー、やっぱり君は頭が良い」 カナコ「だから、そのくらいしか選択肢がないんです!」 フジイ「・・・あーあ」 カナコ「普段も奥さんは怖いんですか」 フジイ「うー、怖い、っていうわけでもない、けど、」 カナコ「どんなこと言われるんですか」 フジイ「ええ、まあ、あなた、早く帰ってきて、とか」 カナコ「ラブラブじゃないですか」 フジイ「いや、口調がね、『はやく、かえって、きて、よね』」 カナコ「ラブラブじゃないですね」 フジイ「・・・、これでも、新婚なんだけどね」 カナコ「そうなんですか」 フジイ「だからね、早く帰りたいのは山々なんだけど、なかなかね」 カナコ「仕事、ですか」 フジイ「万引きする人とかいるし」 カナコ「・・・そうでしたね」 フジイ「ま、おとなの仕事ってことですからねー」 カナコ「・・・さっきも電話でそういってましたね」 フジイ「・・・聞こえましたね」 カナコ「おとなのじゃない仕事ってこのお店にはたぶん無いですから、何か変だなーと思ってました」 フジイ「その発想が賢そう」 カナコ「ひねくれてるだけです」 フジイ「この店では、万引きした子どものお相手を、そう呼ぶの」 カナコ「・・・子どものお相手」 フジイ「・・・子ども扱いしてるわけじゃないんですよ」 カナコ「・・・ま、子どもですから」 フジイ「えー、あー、話を戻します。万引きした理由なんですけどね」 カナコ「・・・」 フジイ「万引きなんて、しそうにないように見えるんだけどね」 カナコ「でも、しちゃったんです」 フジイ「理由は無い、と」 カナコ「・・・わかりません」 フジイ「じゃあ、ちょっと話を変えて、あなたのことを聞くことにしましょう」 カナコ「はい」 フジイ「今、一番悩んでいることって、あるかな」 カナコ「・・・」 フジイ「どんなことでもいいんだよ。なんか、心に引っかかっていることとか」 カナコ「・・・」 フジイ「家族のこととか、勉強のこととか、何かないかな」 カナコ「・・・」 フジイ「・・・何かあるんじゃないかな」 カナコ「・・・」 フジイ「友達関係で何かあったんじゃないかな」 カナコ「・・・あのう」 フジイ「はい? 何かあった?」 カナコ「もう忘れたんですか?」 フジイ「・・・はい?」 カナコ「もっと自然な感じで聞いてくれませんか?」 フジイ「・・・あー、ごめんごめん、ちょっと急いでたもんで」 カナコ「・・・急いでも話したくなりません」 フジイ「ああ、。じゃあ、えーと、」 カナコ「お父さんもお母さんも弟も、みんなで仲良く生活してます」 フジイ「あ、そうか。じゃあ、えーと勉強とか、あー、」 カナコ「勉強の悩み事もありません」 フジイ「ああ、じゃ、えーと、」 カナコ「・・・世間話から始める、ってのはどうですか」 フジイ「ああ、そうだそうだ。えー、じゃあさ、最近どう?」 カナコ「答えにくすぎます」 フジイ「フレンドリーに行こうかと思って」 カナコ「知り合いじゃないんで、それはちょっと」 フジイ「あ、え、それにしても、円高も困ったもんだよね」 カナコ「・・・私は困ってません」 フジイ「あ、それじゃ、え、と、たばこも値上がりしたし」 カナコ「未成年なんで」 フジイ「あ、え、それにしても、白鵬62連勝ってすごいよね」 カナコ「相撲、全然興味ないです」 フジイ「えー、あ、ああ、ああ、これだよ。これ。(机の上の本に着目)あなた太宰治、好きなの? 万引きするほど好きってのはすごいよね。僕はちょっとだけ好きな気もするんだよね」 カナコ「たまたまです。全然興味ないです」 フジイ「君、僕に意地悪してる?」 カナコ「そういうわけじゃないんですけど、あまりにも」 フジイ「・・・じゃあ、お母さんから電話は?」 カナコ「全然来ません」 フジイ「他に連絡つく人いないのかな?」 カナコ「いません」 フジイ「お父さんは」 カナコ「今、たぶん仕事中です」 フジイ「仕事中でも連絡つかないかな」 カナコ「・・・無理です」 フジイ「どんな仕事かな」 カナコ「えー、あー、管理職、です」 フジイ「管理職ならしょうがないか」 カナコ「そうです、ね」 フジイ「じゃあ、帰りはいつも遅いんでしょう?」 カナコ「え、あ、そ、そうですね」 フジイ「・・・そっか。じゃ、もう少し、待ちますか」 カナコ「・・・早く帰りたいんですね」 フジイ「・・・大きな声では言えないけど、帰りたい」 カナコ「やっぱり」 フジイ「いやいや、仕事が大切です。今は大事な時期だから」 カナコ「新婚ですもんね」 フジイ「いや、そうじゃなくて」 カナコ「・・・?」 フジイ「正社員になれるかどうかの境目」 カナコ「はあ」 フジイ「君に言うのも変なんだけどね」 カナコ「なんか、試験でもあるんですか」 フジイ「まあ、それはともかく」 カナコ「就職難ですからね」 フジイ「いいから」 カナコ「じゃあ、この仕事もがんばらないと」 フジイ「人ごとみたいに」 カナコ「私が話せば仕事は終わりなんですね」 フジイ「ま、ほとんどね」 カナコ「・・・理由ですね」  フジイ、時計を見る。と同時に、また携帯が鳴る。メール着信音。 フジイ「あー、ちょっとごめん」  フジイ、携帯を取る。メールを見る。奥さんからのメール。 フジイ「これは独り言です」 カナコ「はい?」 フジイ「勤務時間は4時30分に終わっているから、今はとっっっっくに勤務時間外です」 カナコ「そうですか」 フジイ「今メールを見ても、メールを打っても、だれにも怒られる筋合いはない」 カナコ「・・・はあ」 フジイ「なぜなら勤務時間外だから!」 カナコ「どうしたんですか」 フジイ「当然、妻に電話をかけてもいい」 カナコ「・・・変な人ですね」 フジイ「君、絶対逃げないよね」 カナコ「はい?」 フジイ「君は真面目そうだから、逃げないと思う!」 カナコ「はあ」 フジイ「逃げないでね」 カナコ「はい?」 フジイ「絶対にここにいて、ドアを開けたところに私はいるから。とにかく、絶対に逃げないように」 カナコ「はい・・・」  フジイ、急いで出て行く。  その隙にカナコが携帯を出し、何処かに電話をしている。ドア(下手)をうかがい歩きながら話す。 カナコ「もしもし、私、うん、うん、うん、・・・・・・理由理由ってしつこいんだけど・・・だって理由 なんか考えてないもん・・・困らせろ、って言っても・・・何かもうめんどくさくなってきたんだ けど・・・もっと無理言ってもいいのね。分かった。じゃあ適当な時間に電話して。はいはい。」 カナコ、電話を切る。そのあとでフジイが来る。フジイが座る。カナコは座らない。 カナコ「お、奥さんの機嫌は大丈夫でしたか」 フジイ「はあ、」 カナコ「ご機嫌は悪かったと」 フジイ「・・・はあ」 カナコ「仕事中なのに」 フジイ「・・・仕事って言っても、これはおまけの仕事だから」 カナコ「私はおまけですか」 フジイ「君がおまけじゃなくて、万引きがおまけ」 カナコ「おまけの万引き、って初めて聞きました」 フジイ「・・・重要なことは何も話さないんだね」 カナコ「そうですか」 フジイ「そうですか・・・君のことだよ」 カナコ「なんか重要なことなんてありましたっけ」 フジイ「・・・なんで万引きしたの?」 カナコ「・・・なんででしょう」 フジイ「重要なことです」 カナコ「さっきから気になってたんですけど、それって、そんなに重要ですか?」 フジイ「重要ですよ」 カナコ「理由はどうであっても、事実は変わらないですよ」 フジイ「事実は変わらなくても、対応は変わります」 カナコ「・・・じゃあ、どういう理由なら許してくれるんですか」 フジイ「許しはしないけどね」 カナコ「だったら!」 フジイ「子どもはオトナが保護すべき存在なのです。それが社会の役割です」 カナコ「はあ」 フジイ「だから、理由を聞くことで、どう保護すべきか決めなければいけません」 カナコ「どうしたんですか、急に」 フジイ「何が?」 カナコ「あんなに頼りなかったのに、いきなりオトナみたいなこというから」 フジイ「私はオトナです。君は子どもです」 カナコ「じゃあ、理由が分からない子どもは保護されない」 フジイ「え」 カナコ「万引きの理由をうまく口にできない子どもは、保護する必要がない」 フジイ「えー、あー、」 カナコ「そういうことですよね」 フジイ「え、あ、そんなことはないんじゃないかな」 カナコ「そんなことはない」 フジイ「たぶんだけど」 カナコ「たぶん」 フジイ「少なくとも、理由がないと、警察では許してくれないんじゃないかな」 カナコ「警察だったらどんな理由なら許してくれるんですか」 フジイ「どんな理由でも、罪を許しはしないと思うけど」 カナコ「じゃあ、理由なんかあってもなくても同じじゃないですか」 フジイ「そんな」 カナコ「私は、万引きした理由なんかより、もっと大事なことがあると思うんです」 フジイ「たとえば?」 カナコ「だれが好きかとか」 フジイ「そんなことは友達と話してよ」 カナコ「じゃあ、好きな食べ物とか」 フジイ「大事?」 カナコ「はい」 フジイ「どうして」 カナコ「最近、そう思うんです」 フジイ「はあ」 カナコ「万引きした理由って、分からない部分が多すぎるんです」 フジイ「そうなの?」 カナコ「だから、考えれば考えるほど、分からなくなります。でも、好きな食べ物のことなら、自分で自 分のことがすごく分かるじゃないですか。今の時代に生きていると、そういう実感がどんどん無く なって、生きてる実感もなくなっちゃって、自分の命も大切にしなかったり」 フジイ「ちょっと大げさじゃないかな」 カナコ「でも、本当に大事なことって、そういうことじゃないかな、って」 フジイ「・・・少なくともオトナの意見ではないね」 カナコ「じゃ、フジイさん、好きな食べ物ってなんですか?」 フジイ「チキンカレー」 カナコ「即答ですね」 フジイ「だって、めちゃくちゃ好きなんだもん」 カナコ「ちなみに、嫌いな食べ物は」 フジイ「インゲン」 カナコ「インゲン? あんなにおいしいのに?」 フジイ「どこが! あのキュッキュッっていう歯触りといい、青臭さといい、テカりといい、全部ダメ」 カナコ「えー、油炒めなんか最高じゃないですか」 フジイ「何言ってるの! よけいテカった緑になっちゃうでしょう!」 カナコ「それがおいしさを引き立てるんです!」 フジイ「テカった緑がいいなんて、虫の発想だよ」 カナコ「虫!」 フジイ「というか、枝豆もダメ」 カナコ「あー、意味分からない! あんなにおいしいのにー」 フジイ「枝豆って熟してない大豆だろ。熟してから食べればいいじゃん」 カナコ「じゃ、ずんだもちとか」 フジイ「あーもう話にならない。ダメダメダメダメダメダメ」 カナコ「わ、分かりました。フジイさん、こんなに熱い人でしたっけ」 フジイ「・・・ま、確かに、これだけ熱く語れるってことは、大事なことかもしれない」 カナコ「そういうことです」 フジイ「でも、熱く語ったのはむしろ嫌いな食べ物の方だけど」 カナコ「まあ、とにかく、自分のことが分かってる、っていう実感が湧くんです」 フジイ「・・・勉強できる人って、考えることが違うんだね」 カナコ「勉強勉強って、あだ名みたいに言わないでください」 フジイ「ただ、この話を続けても、他人と分かり合えることは無いんじゃないかな」 カナコ「でも、おもしろいじゃないですか」 フジイ「おもしろければいいのかね」 カナコ「おもしろくないよりは」 フジイ「ウチの奥さんとはいつも言い合いになるよ」 カナコ「言い合い?」 フジイ「ちょうどさっきみたいな」 カナコ「インゲンですか」 フジイ「私はインゲン大好きなのに、君が嫌いだから食卓に出せない!」 カナコ「やっぱり大事なことですね」 フジイ「でも、やっぱりわかり合えない」 カナコ「わかり合えた方がいいんですか」 フジイ「・・・当たり前でしょ」 カナコ「だから万引きの理由もしつこく聞くんですか」 フジイ「・・・どうかな。そうかもね」 カナコ「それとも、正社員になりたいから」 フジイ「それもあるけど、それだけじゃない」 カナコ「・・・」 フジイ「ような気がしてきた」 カナコ「はあ」 フジイ「君の万引きの理由を、知りたくなってきた」 カナコ「なんで?」 フジイ「・・・将来のためかな」 カナコ「将来万引きするんですか」 フジイ「いや、万引き犯がどういうことを考えているか、知っておくことも必要だと思ったから」 カナコ「そうですか」 フジイ「私もいずれは本屋さんの経営者になりたいんだよね」 カナコ「本屋さんなんか、やりたいですか?」 フジイ「はい」 カナコ「分からないなあ」 フジイ「子どもの頃からの夢」 カナコ「大変だと思いますよ」 フジイ「たぶんね。店長を見てると、そう思う」 カナコ「大して儲からないし」 フジイ「うん」 カナコ「休みもないし」 フジイ「うん」 カナコ「子供が生まれたら、どうしても学校で真面目キャラになっちゃうんだよね」 フジイ「ああ、そういうこともあるかもね」 カナコ「自分は本屋と関係ないのに、本ばっかり読んでるガリ勉とか言われて」 フジイ「そういうもんかな」 カナコ「世の中なんか、勝手な印象で人間を決めつけます」 フジイ「・・・ずいぶん怒ってるね」 カナコ「・・・そんな気がしたから」 フジイ「でも、やりたいんだよね」 カナコ「はあ」 フジイ「店長も尊敬できる人だし」 カナコ「そうなんですか」 フジイ「社員にいつもまっすぐ向かってきてくれる、っていうのかなあ」 カナコ「社員をだますことはないと」 フジイ「うん」 カナコ「いつも社員のことをしっかり考えてると」 フジイ「うん」 カナコ「分からないですよ」 フジイ「・・・確かに。今、実は警戒してるんだよね」 カナコ「・・・分かった、正社員にしてくれるかどうか」 フジイ「近い!」 カナコ「近いことなんてありますか?」 フジイ「正社員にするかどうか、抜き打ち試験があるって言われてるんだよね」 カナコ「・・・抜き打ち・・・ねえ」 フジイ「いつも試されてるみたいで怖い」 カナコ「いつ試験するかは、教えてもらってないんですか」 フジイ「うん」 カナコ「・・・今も緊張してます?」 フジイ「今は店長がいないから、多少リラックス」 カナコ「さっきはどきどきしてたじゃないですか」 フジイ「それは、初めての万引き犯逮捕だからね」 カナコ「・・・」 フジイ「で、そろそろ本題に戻りたいんだけど」 カナコ「また理由ですか」 フジイ「もうこうなったら、何でもいいから、気持ちを話してほしいんだけどね」 カナコ「はい」 フジイ「何かあるんじゃないかな」 カナコ「えー?」 フジイ「本を抜き取るときとか」 カナコ「・・・頭は真っ白」 フジイ「本当に?」 カナコ「疑うんならもうしゃべりません」 フジイ「あー、うそうそ、あいや、嘘じゃなくて、本当だね」 カナコ「本当です」 フジイ「抜き取ってから、どんな気持ちになったのかな」 カナコ「・・・ええ、と、そうですね、ちょっと、考えさせてください」 フジイ「考える?」 カナコ「ああー、やっぱり、真っ白なままでした」 フジイ「そうなの?」 カナコ「・・・(フジイを見る)」 フジイ「え、信じますよ。信じれば良いんでしょ」 カナコ「・・・奥さんともこんな感じですか」 フジイ「君、僕を困らせようとしてる?」 カナコ「そんなことは、ないです。困ってるのはこっちです」 フジイ「お店出るときの気持ちとかは?」 カナコ「・・・忘れました」 フジイ「頭真っ白だった?」 カナコ「かも」 フジイ「どうしていいか分からなかったとか」 カナコ「かも」 フジイ「僕と話すの面倒くさい?」 カナコ「そんなことないです」 フジイ「もう少し協力してくれても良いんじゃないかな?」 カナコ「本当に、答えられないんです」 フジイ「不思議なんだよね」 カナコ「・・・」 フジイ「何か君の様子、悪いことした人に見えない」 カナコ「・・・」 フジイ「少しも、後ろめたさを感じない」 カナコ「・・・後ろめたさなら、ありますよ」 フジイ「うーん」 カナコ「フジイさんには、申し訳ない気持ちでいっぱいです」 フジイ「そうは見えないよね」 カナコ「あのう」 フジイ「うーん」 カナコ「トイレ行きたいんですけど」 フジイ「え、トイレ?」 カナコ「さっきからガマンできなくて」 フジイ「ドア開けてすぐのところ」 カナコ「行っていいんですか」 フジイ「どうせ逃げないでしょ」 カナコ「・・・」  カナコ、下手に去る。フジイは急いで会社の電話から店長に電話。 フジイ「もしもし、フジイですが。店長ですか。今、大丈夫ですか。・・・。全然ですよ。こっちの聞き たいことは教えてくれないし。早く帰ってきてくださいよ。・・・はい。理由なんか分からないっ て言うんですよ。はい。いいんですか。・・・分かりました。なだめすかす? はい? アメとム チ? えー、はい、はい、ムチとアメ? よく分かりませんよ。はあ、はあ、精一杯オトナのよう に頑張ってみます。とにかく、早く帰ってきてくださいよ。はい。失礼します」  カナコ、やや間があって帰ってくる。帰ってくるまで、フジイは顔を作ったりする練習をする。 フジイ「(咳払いした後)・・・もう、こんな時間になってしまいました」 カナコ「・・・やっぱり、まだ帰れないんですか」 フジイ「そうだねえ・・・君次第ですけどね」 カナコ「・・・でも、お母さんが来ないと帰れないんでしょ」 フジイ「・・・私も、話の分からない人間じゃないんです」 カナコ「・・・はい?」 フジイ「君の話してくれること次第では、このまま帰してあげる、ということもできるんですよ」 カナコ「・・・急に、どうしたんですか」 フジイ「何がですかな?」 カナコ「話し方も、話す内容も、全然トイレ行く前と違ってるじゃないですか」 フジイ「そんなことはない。私はもともとこういうオトナの話し方をする人間なのです」 カナコ「別に、オトナの話し方には聞こえませんけど」 フジイ「いずれ、君の住所氏名年齢職業」 カナコ「懸賞ハガキみたいですね」 フジイ「茶化さない!」 カナコ「はいはい」 フジイ「万引きに至った動機、身元引受人、以上を遺漏無く、間違いなく教えてくれたら、帰してあげることができます」 カナコ「そうなんですか」 フジイ「そうなんです」 カナコ「なんか、えらい真面目ですね」 フジイ「これが本来の私です」 カナコ「オトナっぽいですね」 フジイ「それほどでもありません」  フジイの携帯が鳴る。フジイ、時計を見て、極度に怯える。  カナコを窺いながら、メールを見る。ため息。 カナコ「さっきの評価、思いっきり撤回します」 フジイ「はあ」 カナコ「やっぱり、奥さんが恐いんじゃないですか」 フジイ「ともかく!」 カナコ「はいはい」 フジイ「・・・もしかして私のことバカにしてる?」 カナコ「そんなことは、ございませんですが」 フジイ「その口調が」  店の電話が鳴る。フジイ、電話を取る。 フジイ「はい、ああ、タナカか。うん、あーありがとう。で、うん? うん、うん、はあ、そう、うん、・・・ ああ、ちょっと席外せないんだけど・・・分かった。ちょっとだけならたぶん大丈夫」  フジイ、電話を切る。 フジイ「君、絶対逃げないよね」 カナコ「逃げませんよ」 フジイ「絶対にここにいて、私はちょっとだけ席を外すから」 カナコ「はい・・・」 フジイ「逃げないよね?」 カナコ「・・・」 フジイ「まあいいや。逃げるわけないよね」  フジイ、下手に去る。カナコ、また電話する。 カナコ「もしもし、お父さん? うん。ねえ、もうやめようよ。うん、もう無理だもん。・・・でも! そ ろそろ謝っておしまいにしちゃいたいんだけど。・・・あー無理無理。もうキャラ作るのも疲れたよ。 うん。早く来てよ。もう無理。だって、こんなので本当に正社員にしていいかなんてわかんない よ。・・・うん。分かった。とにかく早く来てよ。じゃね」  カナコ、事務所内を多少うろつく。間。  フジイが帰ってくる。 カナコ「あの、フジイさん」 フジイ「はい」 カナコ「・・・あのう」 フジイ「あのさ、・・・どういうことかな」 カナコ「何がですか」 フジイ「万引き」 カナコ「え」 フジイ「万引き」 カナコ「だから、理由は分からないって」 フジイ「してないんだね」 カナコ「・・・・何のことですか」 フジイ「隠してもダメだよ」 カナコ「・・・何をですか」 フジイ「この本、今品切れ中だから盗まれるはずないと」 カナコ「調べたんですか」 フジイ「調べてもらってたの」 カナコ「そんなことしてたんですか」 フジイ「当然。間違いがあっちゃいけないから」 カナコ「・・・最初から疑ってたんですか?」 フジイ「企業秘密です」 カナコ「オトナですね」 フジイ「この本は、どうしたのかな」 カナコ「・・・この本は・・・」 フジイ「どうしたのかな」 カナコ「・・・」 フジイ「こういうことだと、何としても理由を話してもらわないといけませんね」 カナコ「・・・」 フジイ「君は、いたずらのためにこんなことをしたのかな」 カナコ「・・・違います」 フジイ「お店の邪魔をしようと」 カナコ「そんなんじゃないです」 フジイ「じゃあ、何のためにこんなことをするんだ!」 カナコ「・・・ごめんなさい」 フジイ「自分を犯人に仕立てて、嘘ついて、店の営業に被害を与えた」 カナコ「・・・」 フジイ「万引きはしてないけど、これだってりっぱな犯罪なんだよ!」 カナコ「・・・」 フジイ「万引きしてないからOK、ってわけじゃなんだよ」 カナコ「・・・本当にごめんなさい」 フジイ「君ねえ、ごめんなさいごめんなさいって、オトナの世界じゃ、理由を言ってもらわないと納得できないの」 カナコ「・・・・」 フジイ「理由が分かりませんで済まされる問題じゃないんだよ」 カナコ「・・・」 フジイ「君のしたことには、明らかに悪意がある」 カナコ「・・・悪意なんて」 フジイ「ある!」 カナコ「・・・ごめんなさい」 フジイ「ここだけの話にしてあげるから、理由を話してごらん」 カナコ「・・・それは・・・」 フジイ「分からない、って言いたいんでしょ」 カナコ「・・・」 フジイ「言いにくいことかもしれないけど、悪いようにはしないから」 カナコ「・・・だって・・・」 フジイ「君が話したいと思う気になるまで、私はいくらでも待つよ」 カナコ「え」 フジイ「それがオトナのシゴトだから」 カナコ「・・・早く帰らなきゃいけないんじゃないですか」 フジイ「さっき奥さんに電話したから」 カナコ「・・・実は、」 フジイ「・・・(カナコを見ているだけ)」 カナコ「・・・依頼されたんです」 フジイ「依頼?」 カナコ「万引きのふりをしろ、と依頼されたんです」 フジイ「ほう」 カナコ「だから、万引き風にしたんです」 フジイ「ほー」 カナコ「盗んだ本を何にするかとか、どうやって実行するかとか、そういうの、全部シナリオがあったんです」 フジイ「・・・」 カナコ「捕まったときの受け答えも、覚えさせられました」 フジイ「・・・」 カナコ「フジイさんは、全然その通りに聞いてくれませんでしたけど」 フジイ「ははは」 カナコ「・・・フジイさんから聞くことは無いんですか」 フジイ「君が話したいと思うことだけしか、聞かないことにしたから」 カナコ「・・・だれにお願いされたか、とか」 フジイ「うん」 カナコ「なんでお願いされたか、とか」 フジイ「うん、でも話したくないんじゃないかな?」 カナコ「・・・はい」 フジイ「だったら、無理には聞かないよ」 カナコ「・・・」 フジイ「いずれ、君は自分以外の人の意志によって、万引きのふりをさせられた」 カナコ「・・・はい」 フジイ「それだけ分かればもういいよ」 カナコ「・・・はい」 フジイ「ただ、連絡先だけは知っておきたいので、この紙に書いてくれるかな」 カナコ「・・・わかりました」  フジイが紙を渡す。カナコはそれに書き込む。まだ書き終わらないうちに フジイ「話したくなったら、また店に来てください」 カナコ「はい」 フジイ「私が正社員になれていれば、また話を聞きますから」 カナコ「・・・たぶん、フジイさん、すぐ正社員になれると思いますよ」 フジイ「どうかな」 カナコ「店長さんの抜き打ちの試験、たぶん合格すると思います」 フジイ「なんで?」 カナコ「最後に、やっと、なんか、オトナの人と話している気持ちになりました」 フジイ「・・・」 カナコ「なーんちゃって」 フジイ「茶化さないの」 カナコ「フジイさん、やさしいんですね」 フジイ「・・・奥さんに聞かせてやりたい」 カナコ「じゃ、これで失礼します」 フジイ「書き終わった?」 カナコ「はい」 フジイ「だれに言われても、もう二度とこんなことしない方が良いと思うよ」 カナコ「・・・そう伝えときます」 フジイ「君に言ったんだよ」 カナコ「・・・そうですね」  カナコ、荷物を持って去ろうとする。 フジイ「これ、君の本なんだろ」 カナコ「そうでした」 フジイ「こんなことに使われるなんて、本も迷惑だよね」 カナコ「フジイさん、本好きなんですね」 フジイ「・・・本には罪はない」 カナコ「はい」 フジイ「君にも、罪は、たぶんない」 カナコ「いや、悪いことしたんです」 フジイ「ま、良いことはしてないけどね」 カナコ「微妙な表現ですね」 フジイ「オトナでしょう?」 カナコ「そうですね」 フジイ「・・・こんなのオトナじゃないよ、別に」 カナコ「・・・じゃ、また」 フジイ「・・・僕が正社員になれたらね」  カナコ、立ち去る。  フジイ、何となく机の上を片付けたりする。  カナコの電話の声がする。 カナコ「うん、うん、でも、本当に私の判断で良いの? ・・・うん、うん、わかった。私は、合格と判 定します。詳しいことはまたあとで。・・・本当は分かってたんでしょ。合格できる人だ、って。・・・ 早く電話してあげたら? 奥さんの誕生日なんだって・・・お父さんも、早く帰らないと。お母さ ん怖いよ。じゃね。」  店の電話が鳴る。フジイ、出る。 フジイ「はい、あ、店長ですか。万引きした子なんですけど・・・・・・え、はい、どうでもいい、ってそんな。・・・こんなに遅くまで対応してたんですよ! はい、はい、・・・」  幕