近況報告 読んだ本
2007年
- 最近読んだ本『職場はなぜ壊れるのか』(荒井千暁・ちくま新書)→気づけば読んでるちくま新書。「職場の組織論」的な内容かと思っていたら、職場で心を病む原因の分析が主だった。病因はどんな場合も基本的に成果主義から導かれる、としている。ではどうすればいいか。「仕事はアートだ。アートの継承せよ」「緩急自在が可能な職場にしよう」。ではどうすればそれができる職場になるのか。そこまでは書いていない。それが大切なのに。分析多くして、結論尻切れトンボ、の印象。しかし、学校という特殊な職場では気づきにくい示唆的な内容もあるから、★★★☆☆。
- 最近読んだ本『朝日新聞のトンデモ読者投稿』(朝南政昭・晋遊舎MOOK)→朝日新聞の思想の偏りを強調しようと様々な投稿を出してくる内容。ま、朝日が偏向しているのはもはや明らかなことなので、今更あんまり批判しすぎると、逆に批判者の思想的な背景が浮かび上がってくるから気を付けたいところだ。
- この筆者の場合、投稿の論理的矛盾を突っ込んでいるあたりまではよいのだが、例えば「準備も何も、食糧(資源)の供給さえままならぬ状態にまで追い込まれていたからこそ、太平洋戦争(大東亜戦争)は勃発したんです」(p207)あたりになってくると、「何を根拠にそこまで言い切れるのか」という感じ。なお、当時の日本にとって「食糧の供給」と「資源の供給」とでは、困難になった理由が違う様な気がするのだが、一緒にしてしまっている微妙さも味わわれたい。
- 4月から朝日新聞を読んでいるから(決して思想的に同調しているわけではないのだが、諸事情で)、わたしもよく投稿欄にツッコミを入れている。7歳の子の投稿文に「ミャンマー(ビルマ)」と記してあったのには15分くらい夫婦で笑ってしまった。7歳児がそんなこと書くわけねーじゃん。こんな他愛ないツッコミの方が楽しい。充分それに堪えうる内容であるし。(10月6日)
- 最近読んだ本『大暴露』(ハヤカワ文庫・ウィリアム・パウンドストーン)→悲劇の奇術師チャン=リン=スーについての記述は必見。その他は食肉や有名人ポルノ映画などに関する暴露(というほどでもないが)話。★★★☆☆。(8月27日)
- 最近読んだ本『危機管理最前線』(佐々淳行・文春文庫)→相変わらず参考になる話も多いが、今までの本に比べて主張が強く出ていて辟易もする。「干支占いで危機予測」などはオカルチックで論評不能。ということで、★★☆☆☆。
- 最近読んだ本『教師格差』(尾木直樹・角川oneテーマ21)→教師の学力低下や「美しい国」とやらを目指す首相の教育改革を場当たり的に批判しまくり、最後は「教育は子どものためのもの、という観点で教育を再構築しなければならない」という、結論とも言えぬありがちな結論で締める。腰巻きにある「本当の『教育再生』への処方箋」など書いていないから要注意。やっぱ尾木直樹は建設的な意見を述べられないのだろうか。★☆☆☆☆。
- 最近読んだ本『一生遊べる奇想天外パズル』(芦ヶ原伸之・光文社文庫)→ブックオフ100円。昭和59年発行。久々にパズル本を読む。挿入されるエッセーでパズル作成者の気持ちが伺える。楽しい。第1問から数分悩む。「わたしはこれまで海外も含め、タクシーに金を払って乗ったことがない。一回の例外もなく、タダで乗っている。あなた、その秘密がわかりますか」。こういう本が青少年の知的好奇心を高めていた時代も、確かにあったのである。しょうもない○×クイズで誤ったクイズの伝統を生み出してはならないのである。(8月9日)
- 最近読んだ本『適当教本』(高田純次)→高田純次のすばらしさは、いくら語っても語り尽くせない。ただ、この本ではそれが伝わらない苦しさがある。つまりは、そんなに面白くなかったと言うことで。(7月16日)
- 最近読んだ本『なぜ日本人は劣化したか』(講談社現代新書・香山リカ)→とにかく引用が多い。この人が精神科医であることが、この本に説得力を何ら増していない。言っている内容が悪い、という訳ではなく、専門家としての意見が述べられていないことが残念。(7月9日)
- 最近読んだ本『チハラトーク』(千原兄弟・双葉社)→面白かった。ブックオフ100円でまたもめっけ物。(5月1日)
- 最近読んだ本『すばらしき愚民社会』(小谷野敦・新潮文庫)→判断停止状態になってはならないと自らに戒めるための読書、てな感じか。カール=ポパーの本でも読んでみるか。
- 最近読んだ本『組織を強くする技術の伝え方』(畑村洋太郎・講談社現代新書)→学校という場でも、技術の伝達ということが行われにくくなっているのではないか、という感が強い。「失敗学」を中心にした本が多い畑村氏だが、この本なら自分のジャンルに引き寄せて理解できる内容になっていると思う。
- ブックオフ100円購入シリーズ。『菅野日本史B講義の実況中継(上・中・下・文化史)』。高校時代は「歴史の流れが分かりにくい!」とか思いながら読んでいた本。知識がとにかく細かい。今読んでみると「日本史検定の勉強にちょうど良いじゃん」と思う内容。もちろん、今の受験生には『石川日本史B講義の実況中継』の方が断然お薦め。つーか、菅野実況中継本は絶版。(3月12日)
- 最近読んだ本『お笑いニッポンの教育』(テリー伊藤・和田秀樹・PHP研究所)→テリー伊藤は、将来世の中に出てすぐに仕えるような知識・ものの考え方を身につけさせようとする。その意味では実学的で、経団連的と言える。和田秀樹は・・・よく分からん。ただ、お気軽な本を多く執筆する和田秀樹が、こういう本の中で河合隼雄批判を始めたと言うことはなかなか興味深い。河合隼雄氏の功罪を検証する動きは、もっと活発に起こって然るべきだと思う。でないと、河合氏の意見だけが金科玉条のようになり、日本全体にとって不幸な結果をもたらしてしまうことになるのではないか。ちょうど河合氏が、ユングの言葉を金科玉条にしているように。
- 最近読んだ本『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』(香山リカ・幻冬社新書)→引用を多くして、スピリチュアルを巡る現状を整理し、ちょっぴり著者の意見を交えた、という感じの本。香山リカはあまり好きではなかったが、私とかなり似た意見をお持ちのようでびっくり。
- にしても、「私たちは霊界から魂を分けて、自らの目的を果たすために一番ふさわしい親を選び、国を選び、時代を選び生まれてきました」(江原氏の発言)などということを、親のせいで苦しんでいる子供達(虐待で死んでいく子とか)や、国に翻弄されて殺されていく人たちに対しても言えるものだろうか?
- この本で紹介されている「脳年齢ブーム」。私はこれも胡散臭いと常日頃思っていた。例えば、単純な暗算が早くできたからといって、脳が若返ったと言えるのか? 脳というのはそんなに単純なものなのか? というか、脳にとっての理想状態ってどんな状態なのだ? 脳を活性化させる、という点を批判しようとは思わない。では人間の脳は計算や書き取りをしなければ活性化されないのか? 日常生活ではどういう場面に活性化されているのだ? 案外普段から活性化されているのではないか?
- つまり、私は誰かの意見を絶対的に信じたり、正しいと認めたりすることは、全体主義的な判断停止状態を導く危険なことであると考える人間なのである。そうでなくても日本人はひとつの方向に走りやすいから。(2月9日)
- 最近読んだ本『化学の発想法』(石川正明・駿台レクチャー叢書)→私が高校1年の時に出版された本らしいが、こないだブックオフ100円購入。当時の(今もそうだが)秋田県大曲市・横手市あたりには、参考書を購入できる良い環境が全く無かった。いまだにZ会・駿台・河合塾の参考書は大仙市で全然販売されていない(秋田県全体でも1〜2軒くらいでしか手に入らなかったようである)。何にせよ、大きい書店が存在しない街は、文化的に程度が低いと言い切れる。だから、当時この本を目にすることはなかった。当時読んでいればなぁ。
- この本では平衡移動の法則を元に、エネルギー・エントロピーの変化から化学現象を説明するというもの。要は大学の教養課程の物理化学の先取り。こういうことを知っていると確かに東大の化学の問題はかなり答えやすくなるだろう。教科書を越えた化学の参考書としては『化学1・2の新研究』(三省堂)という辞典的な名著があるが、読み物としてはこっちのほうが読みやすい。(2月3日)
- 最近読んだ本『科学はどこまでいくのか』(池田清彦・ちくま文庫)→「科学」が胡散臭いところに用いられる例を多く挙げていて興味深い。挑発的な部分が減れば大学受験問題にももっと使われる著者なのに。
- もちろん、別に大学入試問題に取り上げられるのが良い著者だ、という訳では決して無い。ただ、ところどころ高校生に読ませたい部分がある著者なのである。
- ちなみに言うと、大学受験に取り上げられることを宣伝として最大限利用する某新聞に、受験の弊害を解く資格は全くあり得ない。(1月8日)
2006年
- 最近読んだ本『誤読された万葉集』(古橋信孝・新潮新書)→大学時代、1時限目の授業を受けないようにしていた私が、唯一必修でもないのに受講したのは古橋先生の講義であった。そしてそれは、文転した私が一生懸命聞いた初めての国文学講義でもあった。特に古典文学に先入観のない段階から氏の講義を聴いたことは、古典の世界を冷静に理解するのに役立ったと思う。もっとも、スタンダードな古典の読み方をあまり知らないという弱味もあるのだが。
- 最近読んだ本『バカとは何か』(和田秀樹・幻冬社新書)→佐藤光源(みつもと)東北大教授への批判(というか、生物学的精神医学への批判)に興味を持った。内容は、いつもの和田節炸裂。こういう本も読んでおかないと、世間から取り残されそうな気がするので。
- 最近読んだ本『単位171の新知識』(星田直彦・ブルーバックス)→知らなかった知識が少なかった。いまいち。久しぶりにアボガドロの顔を見たが、やっぱりパンチが効いている。というか、絵を描いた人は明らかに悪意がある。(12月18日)
- 最近読んだ本『笑う雑学』(唐沢俊一・廣済堂文庫)→ブックオフ(池ノ都くん曰く「ごみ捨て場」)で100円。個人的には「コミックソングについて」と「猥歌について」の章が興味深かった。やはり「コミックソングについては、もっと語られなければならない」という思いを強くしたところである。
- この本を読んだ今、映画「日本春歌考」が猛烈に見たくなっている。極私的国民必聴歌予定の「満鉄小唄」(ディランUのものを紹介予定)の良さを本当に感じるには、映画「まむしの兄弟」第1作だけでは全然足りないようだから。
- 「満鉄小唄」の「雨がしょぼしょぼ降る晩に/ガラスの窓から覗いてる/満鉄の金ボタンのバカヤロウ」という歌詞の部分には、間違いなく普遍性があると思う。実に良くできた歌詞である。(11月27日)
- 最近読んだ本『昭和史 忘れ得ぬ証言者たち』(保阪正康・講談社文庫)→保阪正康の自分史と昭和史をシンクロさせた企画、と言ったところか。昭和史好きの私にはたまらない本。やはり歴史は紀伝体に限る。読んでいて飽きないし。とにかくまだまだ昭和史には知りたいことが多すぎる。読書の時間をくれ!(11月19日)
- 最近読んだ本『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(山田真哉・光文社新書)→この本で、やっと新書を流し読みする覚悟が付いた。どうしても本を一生懸命じっくり読んでしまう人間だったが、この本は30分かからなかった。新書は流し読みに限る。(11月12日)
- 近くのCDレンタル店が、たまに1枚100円でレンタルさせる日が月3回ある。どんなに帰りが遅くなっても、10枚くらい借りて行く。そうして、好きな懐メロがどんどん増えていく。
- 好きな曲は絶対に歌詞を憶えることにしている。どんなときでも口ずさみたいからそうしているのだが、同時に自分の財産になるような気もしている。たとえカラオケにも無く、同世代の誰も知らないような曲であったとしても。「アキラのラバさん」とか最高ですよ。どこが最高、と聴かれても、とにかく最高なんだから、としか言えない。好きな歌というのはそういうもんだ。ディック=ミネ「ダイナ」も格好いい。「恋のメキシカン・ロック」も結構良かった。そうそう、円広志の「越冬つばめ」はかなり良い。氷川きよしはやっぱりオリジナル曲が良い。カバー曲はいまいち。
- などという口調はまるで最近読んだ本『談志絶唱 昭和の歌謡曲』(立川談志・大和書房)の真似事。ただ、私は自分にとってどこが好きなのか説明したくなってしまうもので、あんなコーナーを設けているという次第。腰巻に「談志が書かなきゃ誰が書く!」というコピー。そういう本が少なくなっているねぇ。
- 最近読んだ本「こち亀(152)」→「こち亀」というのは、「登場人物の表情」と「真顔でor真剣にとんでもないことをする」の2点で笑いを取る漫画だと思っている。そういう意味では、今回はいまいち。
- 最近読んだ本『議論のウソ』(小笠原喜康・講談社現代新書)→最近「データの読み方」という種類の本が多いように思う。それだけ恣意的なデータの切り取りが目に余ると言うことか(ま、データを利用する、という行為は、必然と恣意的になってしまうものなのだろうが)。
- この本にも記されていることに関連するが、私は昔から「ゲーム脳」という言葉に胡散臭さを感じていた。「ゲームをしている脳の状態は痴呆状態と同じだ」、よしんばそうだとしても「痴呆状態」は脳にとって悪い状態なのかを言えよ。案外良い状態なんじゃないの?
- にしても、講談社現代新書は、何でこんな非文化的なカバー装丁にしたんだろ。気に入らない。これもデザイン経費削減なのか。(11月5日)
- 最近読んだ本『焼け跡の青春 佐々淳行』(文春文庫)→サブタイトルが「ぼくの昭和20年史」。左翼運動を否定的にとらえて記した昭和20年史だと思えばよい。相変わらず自慢ぽい記述は鼻につくかもしれないが、そこを差し引けばそれなりにタメになる。なお、本文中「M検」の「M」は何の略か不明だという記述があるが、「mara」とするのが定説だと思う。
- 最近読んだ本『東大脳の作り方』(安川佳美・平凡社新書)→筆者は東大理3の2年生。わたしには、自分の脳こそを「東大脳」と定義し、それを手にできていない東大生が多いとする筆者の姿勢が不遜なものに感じられた。もっと東大生に共通する要素を取り出して見せなければダメなんじゃないの? ただのプチ自慢的合格体験記にしか見えない。確かに、記述の中にうなずけなくもない要素はあるのだが、根拠付けに乏しいくせに断定的な表現が多く解せない。(10月7日)
- 最近読んだ本『大学生の論文執筆法』(石原千秋・ちくま新書)→学校図書館振興だ!などという発言を聴くと、「本は買って読め!」といつも私は反論している(立場上言えないときもあるが)。特に学校図書館の場合、所蔵できる本などたかがしれているからである。このことを石原氏も再三強調している。
- 学者の論文執筆の作法を丁寧に学べるこの本は、「知の技法」より大学1年生にお薦めする。「知の技法」が良くない、と言うのではない。今の大学1年生には難しいかもしれない、と思うのである。
- 最近読んだ本『バカのための読書術』(小谷野敦・ちくま新書)→売れている本を無理して読むのは不純だ、というのは全く同感。にしても、呉智英に対する氏の評価がよく分からない。私も一時期双葉文庫の呉智英本を読んでいたが、何となく胡散臭いと感じてしまったら読まなくなった。あと、渡部昇一の本がどういう点で良いのか(思想的なことは別として)が自分の中で明確になった。
- 「スケベ人間は(宮沢)賢治が嫌いなのだ」という記述も同感。実は私は、宮澤賢治の作品が好きではない。何か、メッセージが鮮烈に見えすぎて覚めてしまうことが多いのである(宮崎アニメみたいなもんだ)。それなら何の救いもないような小川未明の童話の方が好き(「殿さまと茶わん」など説教臭いのもあるけど)。教科書に載っていた「野ばら」なんか余韻の残りまくるいい作品だ。
- 常日頃、文学部に行きたいと思っている男性は、漫画「めぞん一刻」(高橋留美子)を読んでおいた方が良いと私は思っている。小谷野氏も薦めている。いわゆる「教養小説(主人公がだんだん成長するタイプの小説)」には、昔の作品や海外の作品が多い。触れねばならないと思ってもなかなか手が伸びないものだ。「めぞん」を読んでおけば、「教養小説の文法」が何となく分かるはず。なお、「めぞん」は響子さんの成長も描いていることを意識して読むと良い。また、暗記するくらい読むと「五代くんの知り得た情報」「響子さんの知り得た情報」などを頭の中で整理できるようになる。こうなると、多分小説も深い読みができるようになる、かもしれない。
- 「東大出身の人でも漫画って読むんですね!」と驚かれることが偶にある。そう驚いているあなたの50倍は読んでいると思いますが。(8月14日)
- 『失敗学の法則』(畑村洋太郎・文春文庫)→「失敗学」と言いつつ、普通のビジネス指南のような部分も多い。この著者、書店に行くと結構本が並んでいる。ビジネスマンなら「常識的教養として」読んでおくべきか。
- 『センター試験で必要とされる力 数学UB+TA』(佐藤恒雄・小学館)→筆者は元センター試験作問委員。作問の流れや発想が少しでも公表されることは極めて珍しいことであり、大変興味深い。やっぱり「昨年は平均点が高かったから、今度は低くしよう」とか、「最近空間ベクトルばかり出しているから次は平面ベクトルにしようか」とか、普通の教師が持つような発想を持って作問しているのね。
- 『後藤田正晴と十二人の総理たち』(佐々淳行著・文藝春秋)→今まで出てこなかった興味深い話が多く出ていて面白かった。特にNHK番組出演の際のいざこざが楽しい。他著で記されていた危機管理上の実例(湾岸戦争や阪神大震災)について、当時の政治が何を行い、何処がまずかったのかなど、ちょっぴり主観的に記されている。
- 興味深いのは、佐々氏が小泉純一郎に一定の評価を与えていることである。危機管理という点からも、右っぽさという点からも、まぁ納得は行くことではある。一方安倍晋三については、九・一一テロを通して「安倍晋太郎の息子から岸信介の孫になった」という表現をしている。これはなかなか重い表現なので、是非覚えておこう。
- 読んでいると、いかにも後藤田−佐々ラインが日本を動かしている、と言う過大な印象を持ってしまうかも。いや、持たないかな。
- 『知るを楽しむ だから失敗は起こる』(畑村洋太郎・NHK出版)→「失敗学」なるものがあるということを初めて知った。この本一冊で氏の思想はほぼ理解出来るようだ。具体例が豊富で面白い。
- にしても、「知るを楽しむ」のラインナップはなかなか微妙なラインをついていて面白い。「世界一受けたい授業」と銘打ちながら毎週数時間の授業を放送している某番組のように、現在注目されている書き手のみをピックアップしていない点が面白い。
- 『つい誰かに出したくなる○×クイズ777問』(セブンワンダーズ・ごま書房)→新たな事実を元にした問題も多くて楽しめた。何よりも扱っているネタが馴染みのある内容なので良かった。忘年会などに使うのも一興か。
- 『東大数学への秘密兵器』(データハウス)→この著者、なかなか説明が上手だ。結構面白い。もっとも、私が数学好きの理系受験生だったころにはよく知られていたテクニックがほとんど。また、実際の入試には使えないような話も多く載っている、ように見える。が、例えばロピタルの定理を高校数学の範囲で証明しようとする試みなどは、関連問題が出題されてもおかしくなかったりするので重宝する。あと、「これも入れた方が……」というテクニックも多い。例えば整式を基本対称式や交代式で表し、未定係数法を使って因数分解するワザとか。しかし、駿台で出していた秋山仁シリーズは高校時代に熟読したなぁ。絶版なのが本当に惜しい!
- 『漢文の素養』(加藤徹・光文社新書)→日本人と漢文との関連を示すエピソードが豊富(というほどでもないが)に掲載されているので、それなりには面白い。
- いつも思うのだが、漢文に関する啓蒙書を読んでも、何か物足りない気がする。結局、「何故今全国の高校生は漢文を学ばなければならないのか」という質問に、納得のいく説明がないからだと思う。このことは全国漢文教育学会に参加させていただいたときにも感じた。
- 私なりにはこう考えている。小中学校で適切な国語学習を積んできた学習者にとって、漢文は非常に勉強しやすい構造を持っている。高校時代にちょっとだけ勉強し、或る程度習熟しさえすれば、長い年代蓄積された膨大な漢文訓読文や明治期の漢文調の文章などを読めるようになる。また、現代日本語に残る漢語の理解にも役立つ。大切なのは「高校時代にちょっとだけ勉強」すればいい、という点。この労力は、英語学習に必要な労力に数十分の一でしかない。
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