7 ボツにした前書き・後書き集

 大学生のとき、いくつかクイズの問題冊子を出した。で、そこに前書きや後書きを、無駄に書くのが好きだった。好きなもんだから、よせばいいのにいっぱい書いていっぱいボツにしてしまった。時代背景を感じるのにちょうどよく、せっかくなので、いくつか掲載してみる。偏見と思われる記述も多いが、昔のことだし、まあいいかな。

 

「アタック25への道」(1995年7月発刊)前書きボツ文章

 わたしが「アタック25」を初めて見たのは、昭和55年頃だったと思われる。といっても、当時は別にクイズを楽しんでいた訳ではなかった。なんとなくパネルが変わるのが楽しかっただけだったのだろう。

 それから時代はあっと言う間に流れ、ウルトラクイズが終わるとともに、クイズブームはすぐ消えた。ウルトラの終焉は、我々に改めてクイズを見直す機会をもたらした。そうして改めて「アタック25」を見直したとき、わたしは非常に寂しい気持ちがした。

 クイズで視聴率が取れる時代は終わった。いや、実は最初からそんな時代はなかった。殊に数年前のクイズブームの中で放映されたクイズ番組は、もともと一般から見てあまり面白いものではなかった。クイズというシチュエーションを借りて、クイズを背景として映し出される奇異な世界を視聴者が単に楽しんでただけである。一般の視聴者が純粋にクイズそのものを楽しんで見られる番組などなかった。ウルトラでさえ、一般には単なるバラエティー番組に思われていた。大多数の人は、自分とは関係のない世界としてクイズを見ていた。

 クイズブームがもたらした数々の弊害は、今も我々に降りかかっている。そのことに気づかないクイズマニアたちは、一般人とクイズマニアの融合ができるとまだ信じている。もしくは、クイズマニア用の番組が復活すると信じている。そんなことは絶対あり得ない。クイズをする者としない者は、一緒にクイズをしてはならない。

 一般向けクイズ番組が、今後息を吹き返すのは難しいだろう。そうした古きよき番組を潰したのは、紛れもなくわれわれも含めたクイズマニアである。ウルトラクイズでヒーローとなったクイズマニアが結局ウルトラクイズを潰したように、クイズ番組を潰しているのは結局クイズマニアである。クイズには可能性がある。少なくとも、一般人でも楽しめるクイズは存在するはずである。クイズマニアが考え出したクイズ番組は一般からはそっぽを向かれた。結局楽しいクイズを考え出せるのは、普通の人々なのではないだろうか。なぜなら彼らは、自分にとって楽しいクイズを生み出すだろうから。そういう意味でも、クイズ番組はいったん「無」に帰すべきなのではないだろうか。そして、今その時期なのではないだろうか。では、どうするべきか。

 現在のクイズ研究会が行っているクイズは、それだけでひとつの「形態」となってしまっている。わたしはそうした世界を否定しない。「大学生の大学生による大学生のためのクイズ」があってもいいと思う。そうしたクイズを育んで行くことは、もしかしたらわたしたちの責務なのかもしれない。もちろん、今のままでは駄目だ。後世に残すべき内容は全く無い。まあ、大学のクイズが後世に残っていってほしいとは別に思わない。ただ、外部の力によって潰されることだけは許しがたいと思う。大学のクイズを守るため、そろそろ我々が世代交代を宣言しなくてはならない。社会人のクイズとは違う、本当の大学のクイズを目指すことを宣言し、ここに本書の発行を決定する次第である。

 

「アタック25への道」あとがきボツ文章

 はじめに、わたしの作る問題に頭の波長が合わなかったからといって、嘆くことはない。むしろそれは喜ばしいことであり、そのためかえってあなたの人生が明るくなることもあるだろう。一般生活には馴染むだろう。

 ところで、かつてのプレーヤーの「クイズのクイズによるクイズのためのクイズ(of the quiz, by the quiz, for the quiz )」という主張が、結局机上の空論に過ぎぬの幻想であることが立証された現在、TQCが日本のクイズに与える影響は非常に大きいと思われる。そうした中では、自分たちの存在意義を見つめ直す意味で、クイズの可能性を追及することが必要になってくる。結局、わたしのクイズは、そうしたものに一石を投じただけに過ぎないのだが、いや、もしかしたら何にも役割を果たしていないかもしれない。しかし、そうした積み重ねが世界に誇れるクイズの確立に役立つものであるという確固たる信念を持ってこれを行うものである。

 わたしは、ここで「太ったヴィニーよりも痩せたサント=ブーヴになれ」という古人の言葉を思い出す。そしてわたしは、クイズの内的矛盾を追究する手を止めることはない。そうすることでしか、外的に発散されうるクイズを実現することが不可能だからである。今年は戦後50年である。考えて見れば、日本のクイズの歴史は、そのまま戦後史とオーバーラップさせることができる。娯楽としてのクイズを捨てることは許されない。早押しが早ければいいという単純な問題で片付けられない何かがそこには潜んでいる。ところが、現在主流になりつつある早押しクイズは、他の形式を圧倒し、「これこそ真実のクイズの姿だ」という風潮をも生み出している。これは非常に危険なことである。数々の愚を生み出すこうした風潮は、一般人をクイズから遠ざけるのに非常に強く働いた。歴史を紐解いて見ると、技術の発展は必ずしも人類に幸福ばかりをもたらしていない。環境汚染も起きている。クイズ界の環境汚染がこれ以上進まないことを痛切に祈るばかりである。環境を浄化するために何ができるか、これが当面クイズ研(ここではTQC)に与えられた責務であるということを自覚しなくてはならない。

 

「第2回上級生歓迎クイズ大会」問題冊子後書きボツ文章(1996年6月発刊予定)

──今回のコンセプトは何だったんですか?

「秘密です。というか、そんなものないんですけどね。前は自分なりのコンセプトがあったんですが、今はこだわってませんね。強いていうならわたしがコンセプトだと。」

──それは個性が出て来たということなんでしょうか?

「うーん、まあそれもありますけどね。今考えると第1回企画作品の問題なんてひどいですからね。個性のない問題に混ざってたまにわたしらしい問題がある、っていう程度で。とはいえ、当時の「わたしらしい問題」というのは、もう捨てましたけどね。とりあえず6回企画をやって、自分のスタイルみたいなものはできましたね。それは否定しない。」

──それはキャリアが積み重なってきた、ということと関係があるのでしょうか?

「うーん、無理やりな質問ですね。確かに、問題を作り続けた2年間がそうさせたんですけどね。でも、わたしはキャリアがどうの、とかは関係ないと思います。長いことクイズ界にいるからといって、えらくもなんともないんですよ。そこを勘違いしてる人が多い。確かに長いことクイズをやってきて、それに乗っかってクイズをやってれば楽に勝てるし、でもそれがどうした、って言いたいね。みんな思い込みたいんだろうね、積み重ねたキャリアがきっといつか役に立つって。でも新鮮な方が絶対おもしろい。長いことキャリアを積んだ完璧なホステスさんが「女子大生ですぅ」に負けちゃうでしょ。そんなもんですよ。キャリアなんて垢みたいなもんでね、積み重ねるほどうっとうしくなるんじゃないかな。まあ、わたしのキャリアが決して長いとは言わないけど、内容の濃さでは人には負けないつもりだし、だからといっていいクイズが作れるか、っていうと、それは絶対に違うと思う。」

──一般的なクイズ研究会っぽいクイズの源泉はどこなんでしょうか?

「ずばり、ウルトラクイズです。と言い切るのは怖いんで、もうちょっとやんわり言うと、いろんなテレビのクイズ番組ですね。わたしがウルトラクイズの唯一の欠点だと思うのは、大方のクイズ形式が普通の問題を対象にしてることなんです。つまり、いわゆるゲームっぽいクイズがない(2001年注 マジカルのようなゲームを念頭においているか)。というより、ウルトラの場合必要ないんです。もっと言うと、やらないほうがいいんです。でも、わたしは広大な土地を使ったゲームっぽいクイズがあってもよかったかな、と思ったりするんです。高校生クイズは最近そうしたクイズを取り入れてきましたよね。あの動きがクイズ界にどう影響するかは楽しみですね。とりあえず、ウルトラこそクイズ、という風潮への反動から、ベタや難問の粗製乱造が起きたことの影響が今はまだ強いですから、当分は今のようなクイズが続くでしょう。だから今行われているほとんどのクイズ研究会のオープンなんかは、史上最強に端を発しているといっても過言ではないと思います(2001年注 「史上最強」はウルトラのような運の要素の強いクイズへの反動から支持された、というのがわたしの当時の説)。今はオープンこそクイズ、という輩が多いんじゃないでしょうか。唯一の救いはマンオブがその波に流されていないことですね(2001年注 この年から流された)。わたしはマンオブがオープンの代表である必要はないと思います。マンオブはマンオブの形で学生クイズ王を決めればいいんですから。」

 

「芸能王決定戦」冊子後書き予定文(1998年2月頃執筆)

 この問題集に対峙する際、「クイズは、クイズから自由でなければならない。それでなくとも人間に縛られているのだから」という佐々木の言葉を想起せずにはいられない。

 エミール=バンヴェニストによれば「クイズの役割とは、その代替物という資格で他の事象を喚起することによってこれを表象するもの」、もしくはビュイサンスによれば、こうした代行・再現物のうち、発信者にコミュニケーションの意図がはっきりしている「信号」がクイズである。バンヴェニストとビュイサンスによる「クイズ」の定義を、クイズの一つの限界として「永遠に超えられぬもの」と芥川龍之介は評しているが、この限界に対して謙虚であることが、佐々木を佐々木たらしめている、といえば言い過ぎであろうか。

 クイズをテクストとして読む、という態度は、現在では当たり前となっているが、ここだけの話、クイズ界で最初にそれを行ったのは佐々木である。いや、「クイズ界」ということばは怒られるかもしれないが。佐々木のとった「クイズとクイズの問題は違うもので、別個に読まなければならない」という態度は、未だに受け入れられにくいものではあるが、自らのクイズ問題に関して『冷ややかなるエクリチュール』という書を記した佐々木にとってみれば、これは当たり前のことであった。そして時代は、まだ(少なくとも思想的には)佐々木に追いついていないのである。

 わずか4年でクイズ思想から姿を消した佐々木の「クイズ実存主義」も、非常に受け入れられにくい概念である。「クイズなんか元々とても不合理なものなのよ。不合理さを受け入れられない人々は膨大な知識で向かおうとする。あいつが云ってた『権力への意志』って奴か。でもさ、どうせクイズは不合理なの。存在理由がないの。だから、誰が勝ってもかまわない。それゆえに、勝とうとする努力は1回性の強いものだし、刹那的なものでもある。それが嫌なら、そうさなあ、死んじまったほうがいいな。」(『クイズなんてないのよ』)という発言は、とにかく論議を呼び、結果「権力への意志」ということばだけが一人歩きし過ぎる。同書では「たかがクイズなんだからテキトーに作ればいいの」とも発言している。「たかがクイズ」という言い方を佐々木はよくするが、これはクイズの持つ「はかなさ」への憧れをよく表していると言えよう。自らのクイズを「あはれのクイズ」とし、流行的クイズを「をかしのクイズ」と呼んだあたりも見逃せない。また、「クイズ参加者がどれだけ熱くなれるか」「観覧者がどれだけ楽しめるか」の2つを、同時に想定することはできない、という「不確定性原理」や、「クイズの問題は、その文章の内部のみで厳密に解答を規定することはできない」とする「不完全性定理」の提唱は、その後のクイズ的ポストポストモダン主義に強い影響を与えている。

 結局、佐々木の試みは何だったのか。ひとことで言えば、クイズの限界の見極めとそれゆえの可能性の探究。こういうことだろうか。ただ、それをTQC内部のみで完結しようとしたところに、彼の失敗が潜んでいた観もある。しかしそこに「クイズ界は存在しない」というたった1つの公理のみによってクイズ社会学を構築しようとして果たせなかったことへの、彼の強烈な悔恨と反省が含まれていることを、我々はクイズ者として忘れてはならないのである。

 

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