27 私の経験したTQC4年間 後編

3 入学3年目(1996年1月〜1996年12月)

 まず個人的なことを少しだけ書く。私が入学したのは理科T類。そもそも理系のまま3年生になったらサークルにあまり顔を出せなくなるだろうなぁ、と思い、生き急ぐように問題を作りまくって2年生を過ごしていた。が、急に国語教諭へ志望変更し(別にクイズがしたかったからではない)、3年生になるとき文学部へ進学した。学科にもよるだろうが、文学部だと比較的自由な時間ができる。ということで、結局3年生になってもクイズ問題作成しまくりの日々を送っていたわけである。もちろん、文学の勉強もしましたが。

 もうひとつ、私にはこのころ大きい出来事があった。この年のはじめ、ナムコに就職が内定した先輩のMさんから、「マイエンジェル」というアーケードゲームの問題作成アルバイトを紹介されたことである。このとき、ある会社が問題作成の下請けとして依頼されており、そこの社員だったYさん、TQCからMさんとわたし、加えて全くクイズ経験のない人男女2人(この2人もナムコ内定者だった)、以上5人が問題作成にあたった。作成といっても、いくつかのクイズサークルに問題作成を割り当てていたから、それを回収し、手直しを加えたり、ボツ問題を差し替えたりする作業がほとんどだった。今はパソコンを使っているが、当時は1問1問A4の紙に記していった。確か7000問揃えたと思う。締め切り前日に徹夜し、そのまま紙袋にA4の紙7000枚詰めて、みんなでナムコの本社に持っていったことを思い出す。フロッピーで納品、という習慣がまだなかったのである。

 このときの経験で、私は「クイズに普段触れていない人は、どういう風に問題を作るか」が分かった。また、自分のよく知らないジャンルでも、それなりに問題を作るテクも覚えた。何よりもそういう中で、クイズにおける「バランス感覚」を強く意識するようになった。訳の分からない難しい問題を作っていた時期から、「易しい問題でも、ベタではない新しい切り口はあり得る」「クイズは答えたくなるような問題を用意しなければならない」「答えて嬉しい問題、間違って印象に残る問題、を用意したい」などと、私の価値観が徐々に移行していった、そういうターニングポイントがこの出来事だった。

なお、このころもう潰れてしまった会社から別に問題作成を依頼されていたが、こっちはあまりにケチだったので全然力も入らなかった(一応やったけど)。ただ、普通の問題作成のバイトが、如何に学生を廉価でこき使い、しかも問題の質など度外視してただひたすら問題数だけ揃えようとしているか。そのひどさをも経験したことで、世間に低質な問題のクイズゲームが多いことも頷けるのである。ま、時効だと思うので記しておく。はっきり言って問題数が3000問以下のクイズゲームは、たいがい面白くないからやらない方がよいです。もっとも、数が多ければいいというものでもないのだが。

 で、ちょうどそのころ、前フリ系長文問題が各大学で盛んになっていった(と思う)。でも、わたしはその系統にはまらなかった。「わたしは」と言うより、TQC全体がはまらなかった。その原因は、この年に執行部となった人々のことを語るだけで充分理解いただけるのではないか。

 会長は北海道出身のNくん。クイズの経験は殆ど無いが、とにかく人と違うこと、人を驚かせることをしたい、という人。クイズの構成を、バラエティー番組の制作のように考えている人だった。

 

 

 

BACK