8 問題読みについて

 まず、断っておきたいのだが、この稿に書かれたことは、わたしが当時オープン大会に出場して思ったことを元にしている。もしかしたら多少は事実誤認があるかもしれない。もしあったら指摘してください。

 わたしがオープン大会に出ないようになる寸前、具体的には1997〜1998年3月、オープン大会での問題読みが大変気になるようになってきた。

 どういうことかというと、問題を読む際に、押したときの次の1文字ををわざと強めに読むことがオープンで多くなって来た、ということである。そして不思議なことに、そのような読み方をする人のことをさして「問題読みがうまい」と言ったりするようである(違ったら指摘してください)。で、そういうのを聞くと、そうか?と思う。むしろ「ああいう読み方はへたっぴな読み方なのだ」とまで思う。問題読みがうまい、というのは、そういうことではない。そこで、わたしなりの「問題読みのうまさ」を考えてみたい。

 まず、問題読みのうまさには、本来「アナウンサー的うまさ」が求められる。これは当たり前で、とちってばかりの出題者では役に立たない。訛りもなるべくないほうがいい。カツゼツははっきりしていた方がいい。声は聞き取りやすい方がいい(大きければいい、というわけではない)。鼻濁音まで注意しろ、とはさすがに言わないが。出題前に何回か読みの練習をした方がいい。これらの要素が何故必要とされるのか、というと、問題読みという要因によってクイズに余計な影響を与えないようにするため、言い換えればできるだけ「フェアにクイズをするため」である。福留功男氏は色々なところで「問題読みは、アンフェアにしようとすればいくらでもできる」と言っている。全くその通り。少なくとも観客・出場者に、アンフェアな印象を与えたとすれば、それは出題者がヘタッピなのである。極端に言うと、次のようにすればアンフェアにできる。

  1. イヤな相手が押しそうな問題をわざとトチる(なるべく押す間際に)。
  2. 好きな相手が押したときはなるべく勢いで問題を読み続ける(なんぼでも先を聞かせるために)。
  3. 抑揚をおかしくする。

 その他、枚挙に暇などあってないようなものであるが、ここまでのところでこれらの逆を考えてみれば「フェアな読み方」が導かれる。

 で、1と2との逆をミックスすれば「ボタンを押されたところでなるたけぴったり読みを止める」が導かれる。もちろん、これを満たすことは、よほど訓練を積まないとできない。もはや「できてたまるか」に近い。だが、冒頭に上げたような「1文字先まで読んであげる」など、この観点から言うと下手も下手、アンフェアとしか言いようがない。何故あれを誰も「アンフェア」なこととして告発しないのか。

 このような読み方が一般的になれば、ますますクイズは「お約束に慣れたもん勝ち」の状況になってしまう。

 もしかしたら「これからの問題読みはそういうふうにするもんだ」という「お約束」を作ることで、「早押しのテクニックとして利用してやろう」とでも思っているのだろうか。しかし、問題読みに求められている「フェアさ」を追究すれば、その考え方は間違っている。クイズプレーヤーというのは解答者としての立場だけを追究すればいいというものではない。出題者としての立場も考えながら向上していかなければならないのである。

 早押しクイズでボタンを押す、ということは、そこで問題文を読み止めろ、という合図に外ならない。それが唯一の「規則」である。ここに「お約束」的状況が入ってはならない。

 「お約束」一般に対して、わたしは先ほどから否定的な意見を述べつづけている。ことクイズに関する限り、「お約束」というものが、一般人の持つクイズの「規則」についての認識と著しく違うことがある。

 極論すれば、ボタンが押されると同時に問題が止まるような機械を使って行うのが、本当は理想的ではなかろうか。ゲームなんだから、誰も不愉快な思いをしないために、ジャッジは厳密にしなければならないはずだ。問題読みだって、中立の立場であるはずだから、できるだけフェアにするのが道理だ。御約束的要素を、問題読みやジャッジが持つべきではないのは言うまでもない。

 さて、問題読みについてはこの位にしておき、後ほど「クイズにおけるお約束」について考えていくことにする。では。

 

 

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