7 クイズになりがちなネタについて

 クイズに良く出るネタとして、問題作成講座で「本名」をしつこく取り上げた。それ以外のネタについて、いささか考えたい。

 クイズプレーヤーが「長戸本」と呼ぶ『クイズは創造力』という本。もしかしたら今の若い(ってわたしも若いつもりだが)クイズプレーヤーには「読んだことない」という人がいるかもしれない。もう10年前になるのか。

 この本は「早押し対策」にかなりの労力を注いでいる。彼の主張で最も人口に膾炙したのは「ポイント」という概念であろう。早押し問題は読み進めるにしたがってだんだん情報が絞り込まれていく。確実に解答が導けるところを「ポイント」と呼ぶ、ここまで読まれたら確実に正解できる。

 この「ポイント」という概念をさらに分析していくと、「早押し問題の類型化」というところに行きつく。「ポイント」の分かりやすい特徴的な構成を類型化し、それに答えやすいようにネタを整理して暗記していくのである。具体的にはこんな感じに。

  1. 名数型(例題 カントの三大批判書といえば「実践理性批判」「判断力批判」と何?)
  2. 複合並立型(例題 「猫に小判」。では「犬に何」?)

 1の方は、「世界三大」「〜で知られる三人といえば」などの問題。この例題で言えば「カントの三大批判書」を3つとも知っていなければ「確実には」答えられない。逆に3つとも知っていれば、「実践理性批判」が読まれたちょっと後にボタンを押すことで、正解できる。かくして、クイズプレーヤーは必死で「名数」のネタを暗記しまくる。

 2については、「猫に小判」と同じ意味のことわざを沢山覚えることで、クイズプレーヤーたちは対応する。ことわざ辞典によっているこの種のことわざを全部覚えれば、「確実に」答えることができる。

 いま「確実に」というところを強調したが、クイズプレーヤーは「この種の問題には確実に答えられる」というような状態にしておくことが、クイズの勉強だと思っている。少なくともわたしが大学に入った頃までは、そういう風潮があった。

 長戸本から3年。大学クイズ研究会の人たちが集まって『挑戦!クイズ王への道』という本を作ったが、この本は「ポイント集」と呼んでいい性質の本であった。先に述べた「名数」については107問、「本名問題(別名なども含む)」100問、「冒頭の一節」80問、「正式名称」100問など、「暗記していれば正解できるネタ」というものを何ぼでも生み出していった。

 ところが、クイズプレーヤーは一般の人々の持つ知識との距離をたいして考えもせず、この種のネタを広げていってしまった。そのため、クイズの勉強をしていない人は、ちょっとでもクイズの勉強をした人には勝てない、という状況が生まれてしまう。クイズが「教養や知識の深さ」を競うものではなく、単に「暗記したもの勝ち」というものになってしまった。

 今述べたことを具体的に「冒頭の一節問題」について説明する。

 文学作品がクイズになるとき、「冒頭の一節」を問題にすることが多い。例えばこんな風に。

  1. 「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、」という書き出しで始まる、川端康成の小説は何?

 小説家は「冒頭の一文」にとても気を遣うという。そのため、冒頭の一節は印象的なものであることが多い。小説が有名であればあるほど、その傾向は強くなる。だから、問題にもしたくなる。

 「人口に膾炙した小説」=「冒頭が印象的」という、乱暴な公式が、結構成り立つ。古典作品もそうだ。

 ところが、クイズ問題が作られまくると、「人口に膾炙した小説」については「冒頭の一節」を出し尽くした、という状況が生まれる。実際には1994年ごろ、もうそういう状況だったと思う。そのため、「人口に膾炙した小説」から「何かの受賞作品」「記録に残る小説」「そこそこ有名な小説」の方に、出題の矛先が移ることになる。

 そうなったとき、「冒頭の一節」が、たいして印象的でないのに出題されるようになる。本棚から適当に小説を引っ張って作ってみようか。

  1. 「未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて、真直に長く東より西に横はれる大道は」という書き出しで始まる、尾崎紅葉の小説は何?
  2. 「僕はこの原稿を発表する可否はもちろん、発表する時や機関も君に一任したいと思っている。」という書き出しで始まる、芥川龍之介の遺稿は何?

 2の答えは「金色夜叉」、3は「或阿呆の一生」。ともに有名な小説である。有名な小説だが、冒頭の一節は別に印象的ではない。だから、「冒頭の一節を暗記しまくっている人」以外にとっては、全然答えようがないし、面白くもない。

 今のクイズ界であれば、ただ芥川賞を受賞しただけ、というような、マイナーな小説の書き出しすら出題されている。これでは「暗記したもの勝ち」になってしまい、「文学に造詣が深い人」の入る余地がなくなる。「文学に造詣が深いこと」と「冒頭の一節に詳しいこと」とは、全然次元の違うことである。これは「本名問題について」でも述べたことだ。

 なのに、「小説を出題する時は冒頭の一節から始めるべきだ」と思っているのではないか、とすら思われる出題者(もしくは出題者群)が現に存在する。

 百歩譲って「冒頭の一節」が問題の必須条件と考えたとしよう。そのとき「冒頭の一節」を出題するに当たって、どのようなことを考えればいいのか。もはや「人口に膾炙した小説」については、出題できない状況にある。だったら「冒頭の一節自体が小説の内容を導き出すためのヒントになるような問題」を作ればいい。1の「伊豆の踊り子」問題は、「天城峠」というヒントがある点で、いい問題といえよう。こういうのを、そこそこ有名な小説で作ればいいのである。そういう問題の例としては「文学部唯野教授」(筒井康隆著)という小説を出題したことがある。著作権法に抵触すると嫌なので問題は載せられないが。

 ところが、そもそも文学作品がクイズとして出題される時、その内容にまで踏み込めているものは少ない。それは問題のネタとして新しい小説を求めるあまり、読んでもいない(もしくは一般人はまず読まないような)小説を漁っていくためであろう。確かに、問題の後振り(後半)の部分で内容を説明する問題も多いのだが、いかんせん読んでいないんだからぎこちない。

 そういった意味で、「冒頭の一節自体が小説の内容を導き出すためのヒントになるような問題」は、まず作れないと思っていいだろう。そもそも「現在のクイズプレーヤー」(って誰だ?)たちは、「そこそこ有名な小説」など出題対象として考えていないようだから。

 しかし、よく考えてみれば、何でこんなに「冒頭の一節」に拘らなければいけないのか。それ以外にも出題のしかたなど山ほどある。

 「冒頭の一節」問題は、次の要素があるから、作られまくっているのではないか、と仮説を立ててみた。

  1. よく知らない小説についてでも、冒頭の一節を問題に入れれば、それなりに問題の格好がつく
  2. (とくに地方公共団体の)図書館に行けば調べやすい(「芥川賞全集」なんていう本もある)。
  3. なぜかしら、覚えようという気になる、もしくは、勉強した気になる(わたしはならないが)。

 他にあったら教えて欲しいのだが、ここで「1」の要素が案外重要である。周囲から見て「問題の格好がついているか」という部分は、結構気になるところではないだろうか。

 「問題の格好がついている」の状態にするために、一番手っ取り早いのは「よくあるクイズ文法を使うこと」である。使えば使うほど、問題の「形式」に合うような情報のチョイスが行われ、「特定の形式にすばやく反応できる」という特殊能力を持った人たちだけがクイズで勝つことになる。

 このあたりまできて、このコーナーはいったんおしまい。この続きは「ネタによる問題文の決定性問題」「ベタとは何か」の2つに分岐する。前者は「問題文はネタによって決まってくる」というわたしの主張について、後者は「ベタというのは必然である」というわたしの論について、それぞれ説明するものである。いつになるか分からないが、お楽しみに。

 なお、ここで述べたことを踏まえ、「文学作品を問題にする」という試みを「問題作成講座」で行なうので、参照されたい。では。

 

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