2004年04月24日(土) 天気:曇時々晴

 自転車のリフレッシュが終わりましたという連絡が入りました♪さすがに10Kmの変速機なしママチャリによる通勤は,少々つらいものがありましたので,これで一安心です。MACの方は全く連絡なしです。まあ症状からして時間がかかるのは致し方ないかもしれません。

 さて,大学院に進学しましたが,この4年間はかなり鍛えてもらった期間でした。専攻した学問の性格上,培養細胞や実験動物を扱ったりする機会も多かったのですが,培養細胞や実験動物には昼も夜も休憩時間もありません。「こちらの生活を細胞くんや動物さんに合わせます。」といった感じです。また,研究成果をアピールする手法についてもかなり厳しくたたき込まれましたが,それらが今役に立っています。

 何とか大学院を卒業して,そのまま専攻した学問の講座に所属しました。大学にはいろいろな身分の人がいます。教授,助教授,講師,助手,ここまでが国家公務員といわれるポジションの人です。医員や研修医(卒後2年)と呼ばれる日雇いのポジションもあります。しかし人数に限りがありますので,それ以上の人が大学に所属しようと思うならば,原則的には研究生という立場で,お金を払いながら所属しなければいけません。私は幸い医員になりました。

 しかし,医員の期間はそれほど長くありませんでした。所属した講座の開業しているOBが病に倒れ,代診が必要となったため,身軽に動ける自分が指名となりました。向かった先は山梨県富士吉田市。河口湖の直ぐそばです。時は折しもオウム事件が騒がれている最中でした。富士吉田市は上九一色村のとなりです。そこへ「あさはら」なる人物の派遣。最初はやりにくかったです。しかし,ここでの経験が「臨床」の楽しさ,やりがいを知るはじめの一歩となりました。

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