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上高地、涸沢


涸沢山行 1991年5月1〜6日

 「季節外れの寒波の襲来で今日から2、3日は、海や山は大荒れになるでしょう。特に高い山では 雪になるでしょう」出発の朝のTVニュースでは、そう伝えていた。

 1日目 5月1日
 仕事を終えて家にザックを取りに戻り、上高地行きの松本電鉄「さわやか信州号」 に乗るためにトンボ帰りで再び新宿へと向かった。
 まずは駅構内でビール2本を買い込み西口センタ ービル前へ重いザック重いプラスチックブーツを引きずり向かった。
 いつものようにパス乗り場には、沢山の人々が集まり気分が次第に高まっていった。ビールを1本 飲んだところで乗車名簿が発表となり私と妻は最終の3号車(川中島バス)に乗り込んだ。2本目の ビールを飲み干したちょうど11:00にバスは新宿を後に上高地に向けて静かに走り出した。
 ガイ ドのアナウンスによると、上高地は雪で、明朝の状況によっては中ノ湯(R158から別れて上高地 に入る県道の入口、上高地の手前約6km)でパスを降りて歩いてもらうこともあり得るとのこと、幸 先悪い情報を聞かされて少し寝付きが悪くなるような気がした。

 2日目 5月2日
 明け方4:00過ぎに新島々に到着し、上高地からOKの指示を待ちバスはエンジ を唸らせて最終目的地である上高地に向けて再出発した。
 5:30過ぎ、予定時刻より早く上高地バスターミナルに到着した。

 すぐに朝食を済ませ出発をしようと準備をしていたところ小雪がちらつき始めた。カッパにロングスパッツという完全装備でいざ涸沢に向けて出発をした、ちょうど7:00だった。
 早朝の登山者でにぎわう河童橋を横目に小梨平のキャンプ場脇の小径をまず最初のポイント明神に向けて歩く。上高地と明神の間は片道1時間、パスを降りて一般の観光客が、ハイキングを楽しむの にちょうどいいところである。梓川を挟んで両側に道があり上高地の自然を十分に楽しめるところだ。
 ちょうど8:00にとりあえず無事に明神に到着した。2人とも、ザックの重さは少しも気になら なかったが今回の山行でまだ2度目ということもありプラスチックブーツのはき心地には閉ロした。
 小雪は、いつの間にかみぞれのようになり途絶えることなく降っていた。明神での小休止の後は、次 の目的地である徳沢へと向かう。この区間もほぼ1時間の距離であるが一般の観光客の数は一気に減 り専ら登山者ばかりになる。あいにくの天気で、高くそびえて見えるはずの穂高や明神の山々は真っ白い空の中とうとう一度も見ることはできなかった。
 2人とも靴の重さが気になり出していた、特に 私はいつもと調子が少し違うように思えた。身体中がとても気怠くどうも足が前に出ないのだ。
 梓川 の流れは雪解けによりかなりの水量、水流ではあったがあくまでも澄みきっていた。ここから、小径 には、踏み固められた雪が姿を現して例年になく雪解けの遅いことを感じた。時には凍りついていて ヒヤリとさせられるところもあったが足の重さ以外にはとても順調に9:00には徳沢に到着した。
 ここは明治中期に牧場として開かれた土地で、そのためキャンプ地は草地になっていて実に気持ちが いい。
 ここで休憩を取りながらいつの間にか、この足の痛みでは今日は涸沢までは無理のようだという考 えになってきた。そうなると、次のキャンプ地である横尾泊まりにせざるを得ないと思った。降りや まぬ雪の量がこの考えを一層強くしていくのだった。とにかく横尾まで行ってみて、そこで考えよう ということになり、私達は9:15に次なる目的地横尾に向けて重い足を運ぶのであった。
 この頃か ら、梓川の登山道側の岸が山から続く斜面となり、日陰部分では、堅く締まった雪が現れるようにな り今回軽量化のためにアイゼンを持たずに来た私達を緊張させた。時には、氷の上を歩くようなとこ ろもあり、足の痛みとともに精神的にも苦しくなった10:30頃、私達2人はやっと横尾にたどり 着いた。
 昨夜からの雪のためか停滞を決めているパーティがたくさんテントを張っていた。ここから 横尾まではコースタイムで3時間(夏山タイム)だが、降り続く雪のことやアイゼンのないこと、そ して足の痛みを考慮して今日はここで停滞することを決めた。ちょうど今朝までテントを張っていた と思われるところがあいており、トイレも水場も近いのでさっそくテントを張った。
 じっとしている とかなり寒いので暖房をかねて昼食の支度にすることにした。昼食後は昨夜の夜行バスの疲れも手伝 って2人とも眠気がさしてきたので夕食までの間昼寝をすることにした。
 山では、天気が悪く停滞を 決めればやることと言えば食事か睡眠しかないのだ。日頃の疲れを癒す意味でもちょうどいいのだ。
 外の雪は、強さを増しているので寝る前にテントの雪降ろしを済ませた。この時点で約5cmくらい積 もっていた。
 少しのつもりが気が付いたら16:00過ぎ、今度はさっそく夕食の支度に取りかかることになっ た。山野生活での楽しみと言ったら、食事と酒と睡眠くらいしかない。また食事に関して言えば、食 料の荷物の中に占めるウェー卜がとても多いので荷物が減り軽くなるという意味でもとても嬉しいも のだ。夜はカレーにした。またデザートには昼寝の前に作っておいたプリンを食べ、明日の行動を考 えて降りやまぬ雪をテントからおろし8:30にはシュラフに入った。

 3日目 5月3日
 翌朝は4:30に目が覚めた。普段の睡眠不足が一気に解消でき目覚めがとても爽やかだ。それもそのはず今回は春 山ということもあり、一つはダウンのシュラフを新調し、もう一つ は友人から冬用のダクロンのシュラフを借りてきたのだ。しかも冬 山に備えてテントの内張りを自作したのだ。今回の山行は、この内 張りのテストも兼ねていた。外は明るくとても静かだったためてっ きり雪がやんでいたものと思いテントから顔を出してみてとても驚いた。
 何と一面真っ白、しかも積 雪は20cm近くある。やむ気配は一向にないがとにかく朝食を済ませ、行けるところまで行うてみよ うとテントは横尾に残して昼食等だけを持ち、涸沢に向けて7:10に出発した。
 まず、テント場から梓川にかかる横尾大橋を渡った。降り続く雪のため、昨日までのトレースは全 く消え新しいトレースは朝が早かったのでかすかで、少し不安感があった。しばらくは河原に沿って 進み、林の中を越えたところでいよいよ高度を稼ぐのだった。今回アイゼンを持ってこなかったこと は前述したが、ピッケルもやめ、かわりにストックを一人1本づつ持ってきた。ここまでは、私達の前 には5、6人のパーティが1組いただけですれ違う人はいなかったが、涸沢から下ってきたというパ ーティに初めて会った。彼等は私達に対して「今日は涸沢までは危ないぞ、おっかなビックリ下って きたが気をつけて」と言い残し、横尾へと向っていった。しかし、その言葉ではこの後体験すること になる冬山の恐ろしさまでは想像することはできなかった。ただ、ピッケル・アイゼンを持ってこな かったことに対しての後悔だけを感じていた。
 いっこうに降りやまぬどころか、ますます激しくなる雪の中を進み屏風岩の見えるあたりまでたど り着いた。この頃になると時々人ととすれ違うようになり、気分的には少し軽くなったが昨夜からの 足の痛みは激しくなる一方だった。また雪と氷のミックスしたところに差しかかるたびに妻は滑り落ちそうになるのだった。
 雪で覆い尽くされた横尾谷をひたすら上り続けて横尾本谷と涸沢の交わる出 合までたどりついた。ここからの上りは、今までの上りとは比較にならないほど急で一歩一歩の足の 運びは苦しいものだったが、アイゼンを持ってこなかった私達は昨日からの雪が幸いしてキックステ ップを使って登ることができた。

 この頃になると前後にかなりの人の姿が現れて春山のメッカである 涸沢の人気を肌で感じることができたが、度々強風が吹き雪を舞い上がらせた。そして次第に、上り のきつさが増すごとに吹雪となり、激しく私達を攻撃した。そのため、先まで続いていたトレースは 一瞬にして消え去り、自分の足もとさえも見えなくなるほどに強くなった。そんなときは、ストック を雪に刺し、身体を低くし吹雪のおさまるまでの間耐風姿勢を取るのだった。幸いにも、強風は谷を 吹き上げてくるため私達にとっては追い風となっていたので助かった。そんな状況の中ただひたすら 前進をした。とその時、遥か前方に小さな旗が見えた。ガイドブックなどには「涸沢ヒュッテの旗が 見えたらもうすぐ」と書いてある。私達は最後の力を振り絞ってその旗目指して最後の急登に挑むの だった。
 10:40私達は、涸沢に到着した。写真では見たことがあったがそこには色とりどりのテントが たくさん張られ、こいのぼりも泳いでいた。涸沢ヒュッテのパノラマ売店にて、朝横尾を出る際にい れておいたコーヒーを飲み、どらやきを食べ、写真を撮り11:15、すぐに下山にかかった。
 何し ろ寒く、じっとしていられないのだ。おまけに足がとても痛い。下山は、谷を吹き上げてくる吹雪に 向かって進むためオーバー手袋まではめたため南極探検隊の出で立ちになってしまった。吹きすさぶ 吹雪によって顔に雪がかかり鼻が凍傷になるのではないかと心配になった。時々鼻の中が凍るのを感 じた。横尾本谷、涸沢出合くらいまで下ってくると、今朝上高地を出発したであろう多くの登山者が 登ってきたので、道を譲る機会が多くなった。山では上り優先のため、私達は2、30人の列が途切 れるのを待つことがあった。そのため、少し進みまた待つということを繰り返さなければならなかっ た。

 かなり下って、横尾に近づいた頃には雪もほとんどやんでいた。足の痛みは相変わらずひどく幸い ものだったが14:20にやっと横尾キャンプサイトにたどり着いた。朝出発したときは一面雪であ ったのに、ほとんど雪が消えていたのでとてもびっくりした。おそらくここでは朝からすでに雪はや んでいたのだろう。
 テントの周辺には解けた雪によって水たまりができてテントのグランドシートを濡らしていたので、 私は飲み干したビールの空き缶を使って水の汲み出しにかかった。妻は、昼食の支度に追われた。遅 い昼食を済ませると、すぐに夕食の支度に取りかからなければならなかった。今夜は、持参した生卵 や玉ネギ、フリーズドライの牛肉を使って他人丼を作るのだ。普段の私達の山行といったらインスタ ントやレトルトが多く、本格的に料理することは少ないのだ。そのため妻は大はしゃぎで料理を楽し んでいた。いつしか空のあちこちに青空が見え始めていた、と同時に夕方になり一段と冷え込んでき た。早目の夕食を済ませ、朝出がけに作っておいたゼリーをデザートに食ぺ、今夜も早目に寝るのだ った。

 4日目 5月4日
 いつもより少しのんびりとシュラフから出た。とても寒い朝だった。昨夜使った雑 巾などはバリバリに凍っていた。暖房をかねてさっそく朝食の支度にかかった。荷物の整理をかねて のんびりと朝食の片付けをして、テントをたたみ9:45上高地に向けて再び歩き出した。
 2人とも足の痛みがひどく、コースタイムの1.5倍を費やし11:35に徳沢に到着した。澄んだ 雪解け水の梓川、残雪の明神岳が唯一の励みだった。いつもならなんでもないような道、しかも随 分軽くなったザックなのに、足の痛みがとにかくひどく、つらかった。
 休憩と軽食を済ませ、12:15 再び歩き出した。痛みをこらえてペースを上げたためほぽコースタイム通り13:15に明神に 着き、昼食を済ませたが、この時の卵雑炊は体が温まりとてもおいしかった。14:30に今夜のテ ント場となる小梨平に向けて出発した。
 ここまで来ると一般の観光客の姿が増える。中には、ハイヒ ールの女性やべビーカーを押すお父さんなどがいて、皆、私達の格好を見て驚いているようだった。

 15:15、やっと小梨平に到着した。もう歩かなくてもいいのかと思ったらほっとした。
 さっそ くキャンプの手続きをしてテントを張り、夕食の支度にかかった。雲間からは穂高の山並みが見え、 この素晴らしい風景に今までの疲れが取れていくようだった。夕食を終えいつものように酒を飲んで 少しばかり夜ふかしをして10:00ごろにシュラフに入った。

 5日目 5月5日  長かった今回の山行も今日が最終日、のんびりと朝食を取り荷物をまとめた。
 8:00ごろにテン卜を残し、カメラだけをもって田代橋まで梓川の両岸をのんびり歩くことにした。ま ずはバスターミナルに寄り、余裕をもって15:00発の新島々行きのチケットを買った。2人のん びりと仕事のこと、生活のことを忘れて、春の上高地を満喫した。

 昼前に小梨平に戻り、昼食を取りテントをたたみ14:00前にターミナルまで歩いた。パスに乗 るまでの間妻は絵ハガキを書いた。私はいつものようにビールを飲んだ。天候にも恵まれたからだろ う、たくさんの人出で何と14:00を過ぎたというのに最終の18:00発のバスまで満席とのこ と、早目にチケットを取っておいて本当によかった。
 パスは、定刻15:00にターミナルを出発し山を下った。16:43に新島々で松本電鉄に乗り 換え17:13松本駅に到着した。久しぶりの街の雑踏に少し戸惑いながら、夜行までの時間つぷし のため、街を歩き夜食の買い出しやら食事やらを済ませた。
 22:00に駅に戻ってきたが夜行に乗る人々でごった返していた。マンガを読んでいる人、ザッ クをまくらに寝ている人、私のように酒を飲んでいる人などさまざまな人が0:11発の新宿行きや その後の0:57発大阪行きを待っている。どの顔にも山での疲れが見えていたが、皆とても満足そ うだった。私は酒を飲み過ぎたため一時うとうととした。なかなか時間が過ぎなかった。逆に言えば、こんな贅沢な時間の過ごし方はないとも思えた。

 6日目 5月6日
 予定通り0:11新宿行きのアルプス号は松本駅を出発した。
 夜行パスとは違って 電気が消えないためなかなか眠れなかった。おまけに車内は結構うるさかった。それにしても人の多 いことに驚いた。松本発のこの時点でほぼ満席だった。それでも山の疲れが手伝っていつの間にか眠 っていた。
 4:47、私達を乗せたアルプス号が新宿駅に到着した。今まで一緒だった山男たちが、それぞれ の家路に着くために散っていった。私は、またいつもの生活が始まるんだと思った。妻は、ほっとし ているようだった。
 今回の山行でもいろいろなことがあった。でも、足が痛くて困ったことや吹雪にあったことなど いつのまにか皆いい思い出に変わっていた。


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