随分昔の話になりますが、91夏の夏、人と一緒にバイクを空輸することのできる『全日空スカイ ツーリング』を利用し、九州を妻とタンデムツーリングした。
第1日目(7月13日)晴れのち雨
朝から雨降り、羽田発長崎行きは昼に出発する便だけれど、2時間前 にはバイクの手続きを済ませなくてはならないため茨城の自宅を7時に 出発した。
ソロでは日本中を走っているけれど、タンデムでは今まで近場ばかり だったので、まず都内を抜けるのに緊張させられた。空港間近で計算通 りガソリンがリサーブ(注:空輸の条件としてガソリンを空にしておく必要があった。)になり、貨物ターミナルへ直行。バッテリー端子 を外し(これも空輸の条件のひとつ。)バイクを預けた。この時に僕のほかバイクが3台あったが、長崎 行きは僕だけだった、長崎に着いたときに別のバイクが出てきたらどう しようなどといらぬ心配をしたりしたが、それは無用となった。
飛行機からはずっと地上が見え続けたため初めて乗った妻は大喜びで はしゃぎ通しだった。定刻より少し遅れて長崎空港に到着、時間がかか ると言われていたバイクの受け取りもスムーズにいき、僕にとっては三 度目(一度目は車で、二度目はオートバイで)、妻にとっては初めての九州ツーリングが始まった。梅雨空の東京 とはうってかわって長崎は晴れだった。事前に調べていたとはいえ長崎 バイパスがタンデム禁止と言うのはどうしても納得がいかないとブツブツ 言いながらもあっという間に市内に到着した。
長い走行の間お互いに 退屈しないようにと、今回のためにヘルメット同士を有線でつないで会 話する装置(タンデムカム)を買った。道路のこと景色のことなど走りながらでも大声を 出さずに話せるというのは本当に画期的なことだ。市内ではまず原爆資 料館を見た。戦争の悲惨を目の当たりにしてのっけから神妙になってし まった。気を取り直して行った出島資料館の近くでは、中国人らしきカ ップルに英語で道を聞かれてしどろもどろになってしまった。
宿にバイクを置いて、路面電車に乗ってチャンポンやカステラを食べ に町に出た。(114キロ)
第2日目(7月14日)雨
長崎は今日は雨だった。出発から2時間でオランダ村に着いた。東京 ディズニーランドが乗り物中心なのに比べてこちらは公園中心という感 じ、日曜日だというのに人も少なくのんびりと見物することができた。 中でも一番良かったのは、17世紀のオランダから日本への航海を再現 するという「大航海体験館」。船酔いしそうな大迫力だ。 また、最近、ストリートオルガン、手回しオルガンなどの古い楽器に興味があり、実際にハンドルを回されてもらえたのが何よりの記念だった。
オランダ村から、渦潮の見える西海橋、焼き物の町有田、伊万里を通 り4時過ぎに唐津に着いた。標高284メートルの鏡山からの虹の松原の眺めは素晴らしかった。しかし登山道路を占領 する地元ローリング族には閉□した。(125キロ)
第3日目(7月15日)雨
今日は移動日に当てているというのに激しい雨、天気予報では九州北 部に前線が停滞しているため2、3日は大雨が続くと伝えた。福岡では、 知人と駅で待ち合わせて食事をする約束をしていた。昼前の時点で僕は Gパンはおろかパンツまで雨に濡れていた。先を急ぐため昼過ぎに知人 と別れ今夜の宿である別府へと向かった。
とにかく物凄い雨で、対向車のワイパーは全てハイスピード、トラッ クからのシャワーが痛い。妻のヘルメットは今回のために新調したとい うのに、あまりの豪雨のためか中がビショ濡れになった。この悲惨な状 態はこれから丸2日間も続くことになる。別府までの170キロの間、 日田での給油以外は止まらずに走り続けた。カッパをしみとおった雨は Tシャツを濡らし、寒さに耐え切れず給油の時にTシャツを替えたが、 再ひ走り出すと10分もたたない問にまた元の濡れ鼠になった。後のニ ュースで知ったが、この時の雨は記録的なものだったそうだ。何とか5 時過ぎに宿にたどり着いたときには二人ともクタクタだった。この晩は、 暖かい風呂と日本酒が実にありがたかった。(210キロ)
第4日目(7月16日)雨のち晴れ
こんなときだけなぜだか天気予報はよく当る。今日も朝から激しい雨、 別府名所地獄巡りは9か所全てを予定していたけれど、結局2か所のみ。 それでも代表的な龍巻地獄ではちょうど間歇泉の吹き上げるところが見 られたし不気味に赤い血の池地獄には驚かされた。
今日はやまなみハイウェーを風のように走るはずだったのに、激しい 雨と風、おまけに昼前からは濃霧のため視界が極端に悪くなり超ノロノ ロ運転、昨日同様僕はTシャツを妻はヘルメットの中をビショビショに 濡らしながら、3時前に早々に湯の谷温泉の宿に入った。(121キロ)
第5日目(7月17日)晴れ
今朝も雨、今日は阿蘇の中心部を走るので妻はとても楽しみにしてい たが、米塚や草千里などは霧で全然見えなかった。仕方なく雨宿りをか ねて火山博物館に入ったが、これが結構面白かった。
うれしいことに博物館を出る頃から雨がやんできた。高千穂に向かう 途中の高森でやっとカッパを脱ぐことができた。古い民家を利用した店 に入って、囲炉裏を囲声で名物の田楽とだご汁を味わった。3日振りに 太陽が顔を出し、日光の暖かさを体中で感じた。高干穂に着いたときに は3日間の雨が嘘のように晴れ、ボートを漕いでのんびり遊んだ。強い 陽射しを浴びてやっと九州に来たという実感が湧いてきた。今夜の宿は 旭化成の町、延岡だ。(142キロ)
第6日目(7月18日)晴れ
とにかく暑い夜が明けた。宮崎がこれ程暑いとは思わなかった。朝か らすでに30度を超える気温だ。
今日はまず宮崎まで行く。地図を見ていた妻が面白いことを考えつい た。この区間は国道と鉄道が並行して走っているので、妻が電車に乗れ ば走っている僕の姿をカメラに収められるという訳だ。途中何箇所かの 電車の時刻を調べておいたので宮崎の近くで少しだけ並んで走ることが できたが(電車に抜かれたことは言うまでもない)線路と道路の問にか なりの距離があったため、バイクは豆粒のように小さくしか写らず、ち ょっと残念だった。そんなゲームを楽しんだ後、宮崎で合流し日南サボ テン公園に向かった。天気は最高で海は限りなく青く快適だった。途中 走っている自分たちをノーファインダーでカメラに収めたりして楽しん だ。サボテン公園では名物のサボテン料理を食べてみた。独特の粘りが 何とも言えなかった。
出発の前から九州南部は梅雨が明けていたのでもう雨の心配は全く無 さそうだった。走りと景色を楽しみながら日南、南郷と日南海岸を南下 し、4時過ぎに都井岬に着いた。
夕食には飛魚づくしを味わった。部屋の窓からの星空は美しく、夏の 銀河がくっきりと見えた。暗い海には幾つもの漁火が光っていた。(192キロ)
第7日目(7月19日)晴れ
いよいよ今日は本土最南端だ。
僕は今まで、本土最北端の宗谷岬や歩 いてしか行くことのできない知床岬を始め各地の「端っこ」を巡ってき たので、今回のツーリングではこの佐多岬を最も楽しみにしていた。
最南端を訪ねるのにふさわしいように一般ルートの国道269号線で なく、遠回りにはなるが、志布志湾からロケット基地のある内之浦を回 り山の中を行く県道を選んだ。まだ7月中旬だというのに稲は重そうに 穂を垂れ、一部では刈り取りが済んで二期目の田植えの最中のところす らあった。日本とは思えない景色に何度も止まっては写真を撮りながら 1時過ぎに岬の駐車場に到着して、早速岬までのジャングルを歩き出し た。気温、湿度ともに高く本物のジャングルにいる気分にさせられた。 期待をしていた以上に岬からの展望は素晴らしく、いくら見ていても 決して飽きることがなかった。種子島、屋久島がくっきりと見えた。開 聞岳の姿も美しかった。が、何と言っても青い海に砕ける白い波が一番 素晴らしかった。旅の前半に雨にたたられ寒い思いをしたことなどをす っかりと忘れさせてくれた。
これからフェリーで錦江湾を渡り薩摩半島に入る。1日5本しかない ためちょうどいい便に乗り遅れたら大変、行きと違う国道を根占まで飛 ばした。50分の船旅の後、山川に上陸した。今回の旅は飛行機で始ま り、妻は電車にも乗って、そして船と、とても変化に富んでいる。旅の 最後の宿となる指宿温泉はここから目と鼻の先だ。とにかく良く走った 1日だった。(217キロ)
第8日目(7月20日)晴れ
昨夜は、憧れの砂蒸し風呂でたっぷりと汗を流したせいか目覚めがい い。いよいよ旅の最後の1日、気を引き締めて出発だ。
楽しみにしていた開聞岳山麓の香料園で妻は香水を買い大喜び。その 後日本最南端の西大山駅を訪ねた。以前訪ねた北海道の愛国、幸福駅の ような俗っぽさが全然なく、ただ最南端と書かれた看板だけが立ってい た。
池田湖で2メートルの巨大鰻を見たあと、指宿スカイラインを飛ばし て鹿児島に向かった。次第に大きくなる桜島を右手に見ながら走ってい ると旅の終わりの独特の寂しさを感じずにはいられなかった。磯珈琲館 のサツマイモ料理で九州最後の食事をして、鹿児島空港へと急いだ。行 きの長崎空港といいここといい、空港が街から遠く離れているのは今で は当り前のようだ。
遥か南の鹿児島を今の今まで走っていたというのに夜には自宅に戻っ ているのかと思うと、とても不思議な気がするとともに寂しさを感じる が、同時に文明の素晴らしさをも感じた。バイクのコンテナが行きの物より―回り小さかったためバックミラーを外さなければならなかった。 僕たちの他にバイクは一台だけだった。
寂しいとは言っていたものの離陸したときには肩の荷が降りてほっと した。幾ら身内とはいえタンデムのロングツーリングでは安全運転に神 経を使うものだ。夕方の羽田に到着、バイクを受け取り、6時に羽田 を後に我が家に向けて混雑する都内を走り抜け、8時に無事帰宅、長か つたようであっという間に過ぎた旅が終わった。(193キロ)
今までは、リアシートにテント、シュラフ、食料を積んで日本中を野 宿して回っていたけれど、今回はタンデムでしかも宿泊まり、まったく 正反対だったが、2人のときはこんな旅もいいなと思った。けれども1人のときはやはり野宿がいいと今でも思っている。
*データ*
日程:1991年7月13日〜20日
走行距離:1315キロ
バイク:ホンダCBX400F
費用:31万円
燃費:21.5キロ/リットル