富士山(山頂登山)
今から約四半世紀前になりますが、自転車を担いで、富士山を登りました。
当時のメモや記録を基に、記事を書いてみたいと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
就職して4ヶ月、毎日の生活に飽きていた。
社会人になり、つまらない日々が続いていた。
何しろ、前の年に、2ヶ月にもおよぶ野宿ツーリング
(旅行記「最涯を求めて」)をした身だから当然かもしれない。
そんな時、友人(当時予備校生)と「何か変わったことをやろう!」ということになった。
それが、自転車を担いで、富士山を登るという、とてつもなく”変わったこと”であった。
自転車を担いで富士山に登るということは、並大抵のことではありません。
しかし、当時の自転車雑誌には、変わり者も多く、旅行記もいくつか載っていました。
それらの記事には、いずれも自転車を”背負う”ための工夫が施されていました。
要は、自転車の三角フレームの部分に背負子を付けて、”背負う”というものです。
中には、パックフレームに自転車を載せるという方法も紹介されていましたが、
・パックフレーム自体がは高価
・また、それ自体が大きく、重量がある
ということで、背負子を自作することにしました。

残念ながら、詳細を覚えていませんが、アルミのアングルを枠にし、柔道着の帯(のようなもの)を使ったと思います。
これが富士登山用の特別仕様なのでした。
第1日目 1985年7月27日
前夜祭とでも言うべきか、先輩宅に泊まる。
第2日目 7月28日
実質、初日。
靖国通りを通り、都内ど真ん中を横切って、20号線を高尾まで進んだ。
第3日目 7月29日
猿橋を通過し、富士吉田へ。
食料の買い出しを済ませ、いよいよ富士山です。
富士スバルライン入口、これから5合目に向けて、まずは上り坂との戦いが始まります。

どのくらい疲れたのか覚えていませんが、5合目で野宿です。
第4日目 7月30日
いよいよ登山開始です。
全国には、似たような変わり者がいるものです。
三重から来たという坂上くん(当時高校生)と一緒になり、3人で登ることになりました。

吉田口登山道をひたすら”登る”というか、自転車を”担ぐ”のみ。
今日は8合目まで登り、山小屋に泊まります。
第5日目 7月31日
今日は山頂を目指します。

写真では見えませんが、3000mの立て看板です。
こんなところに自転車があるなんて、なんて、不釣り合いなのでしょうか。

山頂の浅間大社前で、3人が自転車を担いでの記念撮影です。
この写真は、後日、「サイクルスポーツ」85年11月号に掲載されました。
普通の登山者にいろいろ質問された記憶があります。

剣が峰を目指して、もうひと踏ん張りです。
凄い風景であり、やはり、「何で自転車?」って感じです。

剣が峰に着きました。
ここが日本一高いところです。
みんな疲れ切っていますが、高山病にはならなかったようです。
それはきっと登るペースが十分に遅く、気圧に体が順応できたからだと思います。

剣が峰から、火口のパノラマ写真を撮りました。
画像編集が下手ですが、実はもっと綺麗に撮れているんです。
この日、正午の天候は西北西の風4m、気圧650mb、気温9度でした。
夜は、山頂の測候所(今はなくなりましたが)の人に断って、測候所のとなりにテントを張って野宿しました。
今にして思えば、よく許してくれたと思います。
第6日目 8月1日
山頂で寝たので、山頂で日の出を迎えることができました。

たいへん寒かったことを覚えています。
いよいよ下山です。
御殿場口に向けて、須走を下るのですが、自転車なので一応乗って下ります。
でも、深い砂にタイヤをとられ、すぐに転倒します。
そんなことを繰り返しながら、つまり、転げながら御殿場口まで辿り着きました。
御殿場口からは、御殿場まで富士山スカイラインを下り下ります。

御殿場から松田へ、海沿いに出て、茅ヶ崎へ、藤沢からは1号線で都内へ。
第7日目 8月2日
夜通し走り続け、日付が変わり、明け方に帰宅しました。
今、思っても、凄いことをしたと思います。
単なる変わり者っていうだけかもしれませんが。。。
*データ*
日程:1985年7月27日〜8月2日
走行距離:不明、ただし、標高は3776メートル
自転車:ノートン ランドナーキャンピング仕様+特別仕様
[←TOPへ]