旅行日記
自己紹介将棋戦記旅行日記コラム

福島編

2020年6月25日(木)〜27日(土)2泊3日・約50年ぶりに一人旅を試みました。コロナウィルスのため、海外旅行も出来ず、国内も他府県の移動もやっと解除をきっかけにJR時刻表を買い求めて「楽しさと不安」を感じながら行程を練りました。一カ所の旅館滞在でないので、多収納のリュックを担ぎながらで一苦労しました。(帰宅後に重さ6.5s)しかしながら、行き先々で地元の人たちの親切に感動と感謝を覚えました。傘を貸してくれたり・わざわざ案内をしてくれたり、普段の車旅行にない旅行でした。この機会にブログを始めました。

 
 
鶴ヶ城

←鶴ヶ城

幕末の戊辰戦争で約一ヶ月に及ぶ戦いが鶴ヶ城を中心に行われた。鶴ヶ城は砲弾にさらされ傷つき荒れ果てた。戊辰戦争後天守閣は政府の命令により取り壊された。市民の願いが叶い、天守閣が復元されたのは昭和40年(1965年)である。

麟閣

←麟閣(りんかく)

鶴ヶ城の城内に千利休の子、千少庵が建てた茶室がある。秀吉の怒りにふれ、死を命じられた千利休の茶道が途絶えることを惜しんで、会津の領主・蒲生氏郷が少庵を会津に匿い、秀吉に「千家再興」を願いだされた。その匿われた時、氏郷のために造ったと言われている。

白虎隊16歳・17歳の19名墓

←白虎隊16歳・17歳の19名墓

白虎隊は総勢343名。そのうち白虎隊士中二番隊37名で17名は無事に鶴ヶ城に入城しましたが、20名は飯盛山で自刀をされ、一人甦生された飯沼貞吉少年を除いた19士の墓。貞吉(1854-1931)は白虎隊のことは史家以外多く語らず、昭和6年76歳で没する。

仙峡閣のお風呂

←仙峡閣

会津若松より会津線で20分ぐらいの芦ノ牧温泉。福島の武徳殿を移築改装した。日本の秘湯の一つ。芦ノ牧温泉駅まで送迎。ご主人・女将・番頭さんと温かいお手なしを受け、たまたま、コロナウィルスなのか、私と一組のお客ので湯船は貸切状態でとてもよい温泉でした。機会あれば又、訪れたい。

野口英世の生家

←野口英世記念館

猪苗代駅からバス10分ぐらい。JR時刻表とバス時刻表を鑑みないとタクシーになる。英世が生まれてから19年間を過ごしたこの家は、建てられて200年たった今でも場所も大きさも変わらず当時のまま保存されている。

野口英世生家の庵

←野口英世の生家の囲炉裏

1歳(1878年)の時に囲炉裏に落ち、左手に大火傷を負う。1892年に教師や同級生たちよる手術費用の募金でアメリカ帰りの医師・渡部鼎(わたなべ・かなえ)の手術で不自由ながらも左手の指が使えるようになる。この手術の成功に感激して医師を目指すようになる。

野口英世の言葉

←野口英世の名言・功績

「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。」「志を得ざれば再び此の地を踏まず。」1876年(明治9年)福島県猪苗代に生まれ、左手の手術より医学のすばらしさを実感し、アメリカのロックフェラー医学研究所を拠点にして世界で活躍。1928年(昭和3年)ガーナ共和国の首都アクラで黄熱病の研究中に感染し.51歳で亡くなる。