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  佐渡島地図

佐渡の最古の能舞台

←大膳神社(佐渡の最古能舞台)

大膳神社が鎮座。地頭・本間山城守によって日野資朝(ひのすけもと=後醍醐天皇とともに監視機関であるに倒幕計画が察知され、捕縛され鎌倉に送られ、佐渡島に流刑なる(正中の変))。大膳坊が合祀され、正殿には御食津大神を祀ります。資朝の子・阿新丸が佐渡に渡り、親の刑死の無念を晴らした際、逃亡を助けた大膳坊は処刑。御坊の怨霊を鎮めるために、勧進されたとされます。1846年に再建された茅葺き寄棟造りの能舞台(県の有形民俗文化財)は、定能が盛んであった「国仲四所の御能場」の1つ。

真野御陵

←真野御陵

正式には「順徳天皇御火葬塚」。順徳上皇は「承久の乱」で佐渡配流となり、在島22年の末1242年、46歳で崩御。翌日火葬され、その跡に松と桜を植え目印としたのがこの火葬塚で初の火葬された天皇。御遺骨は翌年帰京。父帝・後鳥羽上皇墓所のかたわらに安置されました。火葬塚は御陵と同格扱いで宮内庁の管理になっている。

根本寺

←根本寺

日蓮上人が他宗の僧と問答を戦わせ、「開目抄」を著した場が境内の「三味堂」と伝わっており、「観心本尊抄」などを著した佐和田地区にある妙照寺と並び日蓮宗の霊跡となっている。

妙宣寺

←妙宣寺

佐渡配流の日蓮上人に仕え、熱心法華経信者となった遠藤為盛が1278年に妻の千日尼と共に自宅を寺として開いたのが始まりと伝えれている。日蓮聖人が佐渡へ流罪となり、遠藤為盛は、「念仏無間(むけん)という日蓮は阿弥陀仏の怨敵」と日蓮聖人を殺そうと迫ったのですが、逆に日蓮聖人の人格に打たれてその教えに感銘し、夫婦共々日蓮聖人に帰依してしまいました。それからは、罪人として食べ物にもこと欠く日蓮聖人のもとへ、人目をはばかって食物を運つづけた。「正中の変」で佐渡配流となった日野資朝の墓がある。

西川ゴルーデンパーク

←西川ゴ−ルドパ−ク

佐渡最古と伝わる「西三川砂金」跡地に建つ体験型資料館。「砂金採り体験」が出来る。真剣になる自分を感じる。

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7月23日新潟港から佐渡島(両津港)へフェリー(ときわ丸)で約2時間半で着く。佐渡島は2泊3日で母の生まれた新潟県なので親しみを感じるも佐渡島は初めて、とても楽しみにした旅行でした。50年ぶりの大雨もありましたが、野外観光時は傘を差さずラッキ−でした。
定期船

↓トキの森公園

 両津港から車で約20分のところにあり、トキ資料展示館・飼育ケージなどトキに触れ合うことが出来る。今日、佐渡島には約300羽トキが見られるらしい。全長75センチメートル・翼開長は約130センチメートル。顔は赤い皮膚が裸出する。嘴は黒く、先端は赤い後頭には房状に羽毛(冠羽)が伸長する全身は白っぽいが、春から夏にかけての翼の下面は朱色がかった濃いピンク色をしており、日本ではこれを(朱鷺色)という。

朱鷺センター

↓宿根木 

 中世の頃より廻船業を営む者が居住し、宿根木浦は佐渡の富の3分の1を集めたと言われ、やがて、港が江戸幕府によって整備され、商業の中心が小木(おぎ)港へ移行すると、宿根木の者は、船主が先頭になり十数人の船乗りと共に、全国各地へ乗り出し商いを続けた。村には船大工をはじめ造船技術者が居住し、一村が千石船産業の基地として整備され繁栄した。

宿根木

↓はんぎり(たらい舟)

たらい舟で巡る海抜ゼロの世界。古くより小木半島の人々の生活になくてはならない漁具であった半切り。佐渡の自然に育まれた杉と竹だけを使って一艘一艘手作りで仕上げている。

たらい舟乗船