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ドイツ・スイス・フランス編 2011年9月20日〜9月27日の8日間、3ヵ国の欲張りツアー参加でした。ヨーロッパ旅行が初めての私としては、日本人が見たい世界遺産・フランスのモン・サン・ミッシエルが目的でした。夕暮れの海に浮かぶモン・サン・ミッシエルを見ることが出来なくて残念でした。そういう意味では、期待外れの午後1時頃のモン・サン・ミッシエルでした。半面、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城やスイスのヨーロッパで一番高い駅ユングフラウヨッホを、ガイドさんがビックリする晴天日の中で観光が出来、素晴らしい景観に感動しました。スイスのチューリッヒからの入国手続き(空路)の検閲は厳しいが、陸続きの国境を面するヨーロッパ国々のバス移動の検閲は、簡略・無検閲なのに驚きました。また、国々をまたがるバス運転手は労働時間や休憩時間など細かく決まっているようです。日本なのでは、あと1時間ぐらいで到着するから、続けて運転する感覚ですが、こちらは、何時間運転したら、30分休息を取る規定があるようで、パリ〜モン・サン・ミッシエル片道約5時間転手を出発時から2名乗車しているのに、驚きました。また、ドイツ人も勤勉と云いますが、おおむねヨーロッパ人は仕事と余暇の区別がはっきりしていての長い道程もあってか、バス運、進んで仕事する意欲がないようです。パリのシャンゼリゼ通りは、日曜日の営業店舗はパリ市の許認可が必要だそうです。そして、パリの昼間人口はフランス人口の20%(1200万人)を占める超過密状態で、車が世界一渋滞するのも納得します。今回の旅行で感じたことは、有料トイレが多いのと・ショー・ウィンドウから商品を撤去して休業店舗や歩行者信号の時間の短いのに驚きました。田園風景ののんびりしたヨーロッパのイメージと裏腹に治安や人に対する思いやり・やさしさはあまり感じませんでした |
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←ハイデルベルク城 ライン川の支流、ネッカー川に沿って広がるハイデルベルグは、ドイツ最古の大学があり、山の上の古城やバロック風の町並みが残る。18世紀から、ゲーテやヘルダーリン、ショパンといった多くの詩人や芸術家が訪れ、この町を称える作品を生み出した。城は13世紀頃からプフアルツ伯の居城として拡張を続け、ゴシック、ルネッサンス、バロックなどさまざまな様式が見られる。 →世界最大のワイン大樽 城の地下にある世界最大級の大樽がある。直径7m・長さ8.5m・容量222,000リットルという巨大なワイン樽。一日に約2,000リットルほどのワインがポンプで宴会場まで汲み上げられ、人々を楽しみさせた。 |
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←ローテンブルク→ マルクト広場には仕掛け時計マイスタートルンクがある。11:00〜15:00・20:00〜22:00の毎正時に、時計の両側の窓が開いて、ティリー将軍とヌッシュ市長が現れ、ジョッキを手にした市長がワインを飲み干す。1631年、三十年戦争のさなかのこと。ローテンブルクを占領した皇帝軍の将軍が、市参事会議たちの首をはねることになった。将軍は一気に飲み干す者あらば斬首はやめようと言った。市長がこれを受け、見事に一気に飲み干して、この窮地を救った。その時の様子を再現した仕掛け時計である。 |
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←ヴィーナス教会 世界遺産され、ヨーロッパで最も美しいロココ様式の教会。のどかな草原の真っただ中に建っている。一歩内部に足を踏み入れると、華麗な装飾と鮮やかな色彩のシンフォニーに包まれる。1738年、近郊のシュタインガーデンの修道院で放置されていた「鞭打たれる姿のキリスト像」が涙を流したという奇跡が起きた。この像のために建てられたヴィーナス教会には、祭壇に奇跡のキリスト像が安置されている。ノイシュヴァンシュタイン城→ ディズニーのシンデレラ城のモデルにされた。「ノイシュヴァンガシュタイン城」は「新白鳥城」という意味。 |
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←ノイシュヴァンシュタイン城→ バイエルン王国ルートヴィヒ2世(1845〜1886年)が17年の歳月と巨額の費用を注ぎ込んで自己の夢を実現させようと、精魂込めて造った白亜の美しい城。ルートヴィヒ2世は、お妃をめとらず孤独で数奇な運命は、シュタルンベルク湖の死にいたるまで、今もって多くの人々の関心を集め、映画や書物に語り継がれている。作曲家ワーグナーのパトロンとして、異常なまでにオペラに取り憑かれた王は「ローエングリン」「パルシファル」などの多くのオペラの名場面を城内の壁画に描かれている。 |
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←ホーエンシュヴァンガウ城→ 12世紀に築かれて荒れ果てていた城を、ルートヴィヒ2世の父、マクシミリアン2世が1832年〜36年にネオゴシック様式で再建した。この城でルートヴィヒ2世は子供時代を過ごしている。また、ワーグナーが演奏したピアノが置かれた音楽室がある。「シュヴァンガウ」という地名は「白鳥の里」の意味がある |
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←ユングフラウヨッホ→ スイス初の世界自然遺産に登録されているアルプス。1895年(明治28年)に、アルプスの岩壁に穴をあけてヨーロッパの屋根まで列車を走らせる工事が始まった。16年の歳月をかけて全長7.1kmのトンネルを抜けて標高3454mの高台で見たものは、乙女ユングフラウの透き通る長い髪、ヨーロッパ最長のアレッチ氷河全長約22km。氷の厚さ約900mである。クライネ・シャイデック駅→ ユングフラウヨッホへ向かう乗り換え駅である。山々の眺めがすばらしく、駅前のカフェで過ごしたいところである |
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←モン・サン・ミッシェル→
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←コンコルド広場 パリの歴史を象徴する広場。エジプトから贈られたオベリスクを中心にふたつの噴水がある。もともとこの広場には、ルイ15世の騎馬像が置かれていたが、フランス革命の際には取り払われ、ギロチン台が置かれた。ルイ16世やマリー・アントワネットをはじめ1343名もの命が、ここで奪われた。 凱旋門→ 1806年にナポレオンの命で着工されたが、彼の生存中には完成せず、34年後、7月王政のルイ・フィリップ時代、ナポレオン死後19年経った1840年にようやく完成した。中央には第一次世界大戦で犠牲となった無名戦士の墓がある。1944年のパリ解放には、ドゴール将軍率いるフランス軍の凱旋パレードが行われた。 |
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←ルーヴル美術館→ 12世紀以来、1190年、フィリップ・オーギュスト王が、西方に位置する宿敵ノルマンディー公(後のイギリス王)を意識して築いた要塞がルーヴル宮の始まり。その後、シャルル5世の時代からルイ14世がヴェルサイユ宮殿に拠点を移すまでは、歴代の宮殿となった。美術館として初めて一般公開されたのは、フランス革命後の1793年のこと、以後、コレクションは拡張を続け、世界最大の美術館のひとつである。(ミロのヴィーナスとダ・ヴィンチのモナ・リザ) |
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←ヴェルサイユ宮殿→ 1661年、ルイ14世がパリから宮殿を移すため、バロック様式でヴェルサイユ宮殿の工事に着手した。セーヌ川から水をひく工事が難航して、21年後に未完成の状態で宮廷を移転した。1687年に「鏡の間」が完成。長さ73m・幅10m・高さ10mの中に華麗なシャンデリアと578枚の鏡が埋め込まれている。宮殿全体は1710年に完成。当時宮殿に住む貴族は約1000人・仕えた従業員は1万とも言われている。貴族の贅沢な暮らしがフランス革命の引き金になったが、1789年の革命時までフランスの政治の中心地であった。 |
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←ノートルダム寺院 シテ島の南東にあり、1345年に200年をかけて完成した。それまでの教会と違って窓が大きく、ステンドグラスを採用。ノートルダムとは「聖母マリア」のことで、1804年、35歳のナポレオンが戴冠式した場所。ヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・パリ」で一躍有名になった。 エッフェル塔→ 1897年のパリ万博のモニュメントと革命100年を記念して建てられた。設計者の名前、アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルからの命名。当時はこの塔の建設に反対運動があり、20年後には取り壊す約束が交わされ、1909年、パリ市議会は取り壊しの決議をしたが、アメリカ大陸との交信が始まり、ラジオ放送のアンテナとして130年を経った。最初の展望台は地上57m・2番目地上115m・3番目地上276m。全体での高さ320.75m。 |
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