★大山寺境内全景図
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参考文献から転載。
大山寺境内全景図
大山寺境内全景図(部分図)
大山寺境内全景図(三重塔部分図)・・・左図拡大
<上記画像はいずれも同一のものである。>
作成年代は不明であるが、新しいものと思われる。
三重塔:天保11年(1840)建立、明治15年焼失 |
★大山寺略歴
仏王山と号す。弘法大師開基とする。本尊千手観音。
寛政3年(1791)本堂・庫裏を焼失、寛政8年再興。
三重塔の建立は天保11年(1840)という。
現本堂の北西およそ50mの山腹にあり、昭和15年5月17日に泉谷で出火した山火事で類焼する。
三重塔跡の現状は未確認。
2003/11/6追加:「X」氏情報
塔のあった位置には塔とは無関係と思われるコンクリートの台があり、遺構と呼べるものは残ってはいない様子である。
什宝として経筒を有する。経筒には大治元年(1126)の銘を刻む。重文。大山山頂付近の経塚より出土と伝える。
2017/01/25追加:
○「阿波名勝誌」堀本鶴八編、大正5年 より
大山村神宅大山の半腹にあり、佛王山大山寺と号す。
・・・山麓・・より境内まで18町余岩石磊塊として登攀容易ならざりしが近時山道を作りて・・・登こと8町にして松琴庵あり・・・15町目大日堂・・・さらに上ること2町にして仁王門に達す、石階数十級にして鐘楼門を過ぐれば本堂・・大師堂、三重塔、方丈、庫裡、その他の建物あり、これより8町にして奥院黒岩堂あり・・・
※大正5年、三重塔が存在したことが確認できる。
参考文献
「大山寺境内全景図」副書名:阿波國板野郡大山真言宗準別格本山、大山寺/著、出版年不明
「上板町史 下巻」上板町史編纂委員会/編、1985.01の大山寺関係
「四国別格二十霊場巡礼」四国別格二十霊場会/編、富永航平/著、朱鷺書房、1991.07
2006年以前作成:2017/01/25更新:ホームページ、日本の塔婆
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