紀 伊 長 田 観 音 寺 三 重 塔

紀伊長田観音寺

倒壊前三重塔(昭和39年第2室戸台風で倒壊)

紀伊國名所圖會 三編巻之1より:如意山蓮華院観音寺

記事:「三重塔(近来の建立にして壮麗なり。塔上に登るに眺望よし) 天正年中に堂舎焦土となる。
元和年中薩州沙門道誉小堂を営む。国主、寛文年中今の地に移し再興する。」  ※国主:徳川治宝

紀伊国名所図絵:左図拡大図

三重塔は天保年間(1830-44)の完成と云う、従って下図中の塔婆は完成直後の姿である。

長田観音三重塔古写真
 

「日本の塔総観 近畿地方篇増補改訂版」
より転載
昭和32年撮影画像:下記拡大図

2012/04/28追加:
長田観音公式サイト:三重塔再建
より転載
長田観音三重塔3:下図拡大図

2006/08/13追加:
長田観音寺
(サイト:林内科)より転載

長田観音寺三重塔2:下図拡大図

長田観音寺現況

三重塔は昭和39年の第2室戸台風で倒壊する。
現地で聞いた話では、初層が倒壊して2,3層は無事であったと云う。また礎石は掘り出し、塔跡には何も残らないとも云う。

現在では、塔跡を偲ばせるものは全く無い。
塔跡1の中央の砂利地、塔跡2の参道が塔婆の正面であったと云う。(即ち塔婆正面は西向きであったと思われる。)
 紀伊長田観音寺塔跡1     同         2

塔婆復興の計画がある。2〜3百万円・数十万円の大口の寄附もあると云うも、勧進がなかなか進まず、復興予定は未定と思われる。
  同 再建予定塔婆図
 


2006年以前作成:2012/04/28更新:ホームページ日本の塔婆