★陸奥赤倉山三重塔
赤倉山三重塔は赤倉山神社三重塔と云う。建立年代不明。三重塔は岩木山東山麓にあった。
近年取壊と云う。取壊時期・取壊理由など全く不明。
(2004年4月のWeb記事には写真が掲載されている。2008年10月には取壊を弘前市が現認と云う。)
赤倉山神社とは不詳であるが、断片的な以下の情報がある。
・赤倉山神社を始めたのは工藤むらと云う人物である。
・赤倉霊場の中核が赤倉山神社であり、「工藤むら」は、ここに神様として祀られていると云う。
建立のいわれは、工藤むらが赤倉に修行に来ていると夢の中に赤倉様が現れ、赤倉に社を定めるようにと天啓を受け、営林署から現在の土地を借り受け現在の赤倉山神社の前身の霊堂ができあがったとの事である。
・大正末頃、工藤むらは娘さだの体を心配し、ゴミソに相談に行き、そのとき勧められて赤倉山に行くようになった。鼻和村のウブスナさまに3年3ヶ月の願をかけて神信仰している間に成田の不動様の姿が入った。翌年正月から赤倉に行き大石神社で
3日の行をしているうちに霊感を得てゴミソになった。
※イタコは、不特定の死者ボトケの媒介者として、ホトケオロシを行う(いわゆる口寄せ)と云う。
一方、ゴミソはホトケオロシを行わず,特定のカミの体現者として、祈祷・病気治療等を行う(カミオロシ)と云う。
|