リ ン ク 集 |
日本における「現存塔婆」と「塔婆遺跡」のアーカイブ。 「現存塔婆」と「塔婆遺跡」は「所在地別」(都道府県別)に整理される。 作者は「現存塔婆」と「塔婆遺跡」をほぼ踏破し写真に収める。 1)現存塔婆と認知されている塔婆遺跡をほぼ網羅していると思われ、その意味で最新の手引きとなる。 2)都道府県別に整理されているので、塔婆および塔婆遺跡の探訪に最適と思われる。 3)現存塔婆・塔婆遺跡に関する写真および基本データがほぼ完備(見学不可などを除く)されている。 ※2016/11/01・・・サイト再開 |
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稲垣和男氏ファイス・ブック: 3Dモデリング(主に伝統的木造建造物)をされています。 秀麗な3Dモデリングの世界が楽しめます。 左図多宝塔画像拡大 |
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作者は諏訪在住、諏訪大明神下社神宮寺等の現地復元についての詳細情報をご提供頂く。 |
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トップページより: |
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山際得悦氏のブログ 2007年10月に開始、基本的に1日1塔の見当で「日本の木造塔」についての紹介・紀行文を掲載。 なお、山際得悦氏は 『塔に魅せられて』 【全6巻の構想で、4巻まで既刊】を自費出版。 |
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古建築模型に関するサイト。古建築模型の中には当然、多くの塔模型の紹介もある。 「模型公開施設」のページで「宮大工の人が伝統的な木工技能を用いて製作した学術的価値の高い模型」が取り上げられる。 また「模型で訪ねる古建築」でご自身が作成された古建築模型も公開される。 「古建築模型の作り方」のページも興味のあるところである。 |
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2009/10/09:このサイトは事情によりリンク切れ、応急処置として、拙サイトにページを復原する。 |
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自作「大和薬師寺西塔模型(縮尺1/25)」の製作工程を紹介するブログである。 将来は「ものつくり大学製作の平成の塔」の紹介も予定とのこと。 なお、当ブログでの紹介の塔は第2作目で、現在は3作目として同じ西塔の模型作成中と云う。 1作目は自宅に保管、2作目は2010/12/26現在「埼玉伝統工芸会館」に展示中である。 |
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富士山本門寺様公式ホームページ。 |
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瓦を使った造形 |
仙台孝勝寺様五重塔の瓦葺を施工。 |
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「信濃・エボ神様心礎」画像をご提供頂く。 | 風土とグリーンとの関係について考えさせられるサイト。すなわち戦後日本の経済至上主義がもたらしたものは一体何なのだろうかと。 | ||||
先般焼失した旧白毫寺多宝塔近くに満願寺がある。 ※ご住職には焼失多宝塔情報について、参考情報をご教示いただく。 満願寺は神亀年間・勝道上人開創とし、中世には多田源氏の祈願所、足利将軍家の祈願所であったと云う。 また盛時には49院坊を数え、江戸初期にも20坊近くを数えたと云う。 |
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2010/12/31更新: 井植山荘(焼失した多宝塔情報を含む)のページを掲載していた「宝塚市ふじガ丘自治会」は閉鎖される。 そのため、旧管理人様から井植山荘関連のデータの使用許諾を得て、ページを再現したものである。 |
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非常にデザインも優れ、洗練された美しいサイト。勿論コンテンツも、現在は大和中心ですが、木造寺院建築の画像等時間・空間を意識された造りで、大変参考に なる。「塔破」というページもある。 卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍 |
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宮大工・高木敏雄師のサイト。 高木師は代々宮大工を継ぐ家系の14代目代、ご先祖は、塔婆関係であれば、山城・教王護国寺塔婆、近江新善光寺塔婆の建立に関係する。 師ご自身は全国各地の寺社建築の建立・修復に長年携わってこられる。 引退を機会に「山城教王護国寺五重小塔」「山城清水寺三重小塔」を完成する。 また今後は「近江新善光寺三重小塔」の復元・製作に取り組まれる計画もお持ちと拝聴する。 |
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KENKENさんのサイト。東京芝増上寺五重塔情報・画像をご提供頂く。 東京芝公園(旧増上寺境内)中心にした港区・東京の総合案内ページの趣がある。 -----特に増上寺に深い思い入れがあると推察する。----- 増上寺関係者ではない(と思われる)方が、増上寺という寺院をテーマにすることに意表をつかれる。 |
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作者のサイト解説文 : 東京散策ガイド。東京の街を歩くと、心なごむ歴史があり、江戸の街並みが多いことに気づきます。 このサイトは江戸城、社寺、大名庭園など、旧跡を訪ね、現代の東京と、かつての江戸とを、クロスオーバーさせて解説しています。また、何気なく使っている地名や坂道についても意外な由来を紹介します。 また、「近年、私達の周りからは貴重な文化遺産が、知らない間に失われていると感じています。このサイトを通して、将来に残していきたいものを提案できれば幸いと考えています。」 という作者の姿勢に大いに共感する。なお、寛永寺及び宝仙寺塔婆画像を作者(大工さんの棟梁)からご提供いただきました。 |
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2000年11月、高蔵寺三重塔画像をご提供頂く。 ■高蔵寺三重塔のページには詳しい塔婆の解説・研究成果が ある。 |
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日蓮宗大本山 |
現在(2015/07月)リンク切れ: 2000年11月、法華経寺五重塔画像をご提供頂く。 日蓮宗大本山中山法華経寺は、中山門流をなし、数多くの上人を輩出する。 日常上人(冨木常忍)が邸宅を法華寺とし、同じく日蓮聖人に帰依した大田乗明が館を本妙寺としたことを草創tする。後に両寺は合寺して、妙法華経寺が成立する。また多数の日蓮聖人の真蹟・著述を所有していることでも知られる。 |
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2000年11月、多宝塔画像をご提供頂く。 ☆以下は平凡社刊「日本の歴史地名11(埼玉県の地名)」からの要約。 ・新義真言宗智積院に属する。本尊は不動明王。畠山重忠の草創、古くは道場村にあったと伝える。 ・中興は賢明(元和5年没)で、慶長19年(1614)朱印19石が与えられ、慶安元年(1648)の徳川家光朱印状等9通が残る。 ・延宝6年(1678)御室仁和寺西院の直末が許可。寛延2年(1749)大和長谷寺小池坊・京智積院の両能化から常法談所の免許。 ・寛政7年(1795)の新義真言宗本末帳によると末寺7、門徒寺19を擁し、周辺地域の中核寺院であった。 ・文久2年(1862)与野町の大火で本堂等焼失。慶応3年(1867)に再建。 |
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日 |
池 上 |
池上本門寺公式ホームページ 2000年12月、五重塔画像の無償提供に限るとの条件付きで使用許諾を頂く。 (以下は池上本門寺様ホームページからの転載) 池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。 日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。 長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。 |
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2000/12/09、五重塔画像使用許諾を頂く。 天台宗比叡山延暦寺に属する。本尊は千手観音。近世、山子田村に30石の寺領があった。 現在、本堂(観音堂)・客殿・鐘楼・仁王門・表門・山王堂・書院・阿弥陀堂・五重塔等を配する。 寺伝では弘仁年間(810-824)最澄が東国布教の際、群馬太輔満行の協力を得て、船尾山麓に楊澤寺を建立したのが始まりと伝える。千葉常将の兵乱で焼失もあったが、中世には談義所も置かれ、この地方の天台宗の中では枢要な寺院であった。近世に入っても叡山の直末として栄え、天明6年(1786)の末寺書上では15ヶ寺を数えた。(平凡社刊「日本歴史地名体系10・群馬県の地名」から要約。) 2000年3月五重塔落慶・入仏供養。 |
現在ページは中断?の模様。 |
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京都文教大学 |
http://www.kbu.ac.jp/kbu/library/ 京都文教大学サイト:http://www.kbu.ac.jp/ |
あひるのまめを育てるのに当たっては、主にHatsuさんのホームページの情報のお世話に
なる。 「アヒルは飼うとかわいいぞ!」の中に、楽しい写真・アヒルの病気・アヒルの飼い方・Q&A・LINK集等があ る。 アヒルに興味のある人もない人もGO!-----きっと飼いたくなるぞ。 |
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アヒルの「まめ」で検索したら、出てきました。 愛犬「まめたろう」、愛鳥(九官鳥)「タラ」ちゃん、あひるの「キンキン」、4匹のうさぎさん、3羽の「にわとり」さんたち・・いやはや飼うのが大変だろう・・ ・・で、賑やかなこと。 生き物を飼うのは何事も愛情でしょう。愛情を注げば、みんなそれぞれ個性的で可愛いもの。 その他ゲームとかお絵かき帖とか面白いものもあるよ。 |