瀬 戸 田 耕 三 寺 五 重 塔 ・ 多 宝 塔

瀬戸田耕三寺五重塔・多宝塔

2002/08/17撮影:
  瀬戸田耕三寺遠望1       瀬戸田耕三寺遠望2       瀬戸田耕三寺遠望3

瀬戸田耕三寺五重塔


昭和31年竣工。一辺2.50m、高さ16.2m。室生寺の塔の様式と規模を模すと云う。
ただし心柱は円筒状の鋼鉄製であり、垂木および屋根も銅板製と云う。
耕三氏が母堂の納骨塔として発願し、「大慈母塔」と称して建立される。
 
2009/08/08撮影;
瀬戸田耕三寺五重塔11:左図拡大図
  同         12
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2002/08/17撮影・
瀬戸田耕三寺五重塔1
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瀬戸田耕三寺多宝塔(国登録有形文化財)

昭和16年建立。一辺4.65m、総高約13m。石山寺多宝塔を模すと云う。但し、下層中備は本来は間斗束であるが、蟇股に改変される。またとにかく装飾過剰な塔婆であろう。しかし現在もその装飾は良く維持される。本尊は大日如来坐像(木造漆箔・室町)。
2009/08/08撮影:
瀬戸田耕三寺多宝塔11
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  同         13:左図拡大図
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2002/08/17撮影:
瀬戸田耕三寺多宝塔1
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瀬戸田耕三寺概要

昭和10年、金本耕三氏が、潮聲山耕三寺を独力で故郷であるこの地・生口島に開山した。浄土真宗本願寺派。
 ※金本耕三氏は大阪で特殊鋼管製造で成功する。
現在では十数棟にのぼる堂塔が建立され、また建築以外にも国指定の重文だけで十数にのぼる仏像彫刻などを収集し、耕三寺博物館として「繁盛」する。収集品には大和興福寺講堂本尊をはじめ、神仏分離で放出されたと思われる什宝 も散見される。
 ※重文は18件、重要美術品40件を数えると云う。
堂塔は山城平等院鳳凰堂、下野日光山陽明門、山城法界寺阿弥陀堂などの国宝建造物を模して造営される。それらは赤・青・緑・黄金色で装飾され、その過剰さゆえに眉を顰める向きもあるのも事実であろう。しかし、ここまで徹底されると一種凄みがあり、初期仏教寺院もこれに類似した装飾を持っていたのであろうとも思われ、この意味では寺院とは世俗の権勢の象徴でもあったとも云えるのであろう。
瀬戸田港から耕三寺まで現代の門前町が形成され、それくらい耕三寺のインパクトは大きいのであろう。

主たる建築は以下のとおり。(注記のない写真は2009/08/08撮影)
・山 門(国登録有形文化財):京都御所紫宸殿の御門を模すも、素材はほぼ鋼鉄で造る。
・中 門(国登録有形文化財):大和法隆寺の西院中門を模す。
  耕三寺中門・山門:手前の扉が山門、奥の楼門が中門
・礼 拝 堂
  耕三寺礼拝堂
・鼓楼・鐘楼
  耕三寺鼓楼     耕三寺鐘楼
・僧宝蔵・法宝蔵(国登録有形文化財):文化再興攝津四天王寺の金堂(昭和20年空襲にて焼失)を原型とする。
 両宝蔵は五重塔に向って相対する同寸同大の建物、塔向かって右が法宝蔵、左が僧宝蔵。宝物館の機能を持つ。
  耕三寺法宝蔵   耕三寺僧宝蔵
・孝 養 門:日光山東照宮陽明門を模す。実測図に基づき施工される。
  耕三寺孝養門1     耕三寺孝養門2     耕三寺孝養門3
・本  堂(中堂・東西翼廊・尾廊)(国登録有形文化財):山城宇治平等院鳳凰堂を模す。
 東翼楼には釈迦如来坐像(大和興福寺講堂本尊・重文・平安期)を安置する。
  耕三寺本堂     耕三寺東翼楼釈迦如来坐像
・至心殿・信楽殿(国登録有形文化財):本堂向かって右が至心殿、左が信楽殿。山城法界寺阿弥陀堂を原型とする。
 至心殿は宝物館(現在は法要具倉庫)信楽殿は大講堂として機能。
  耕三寺信楽殿
・八角円堂(聖徳堂)(国登録有形文化財):大和法隆寺夢殿を原型、但し規模は1/2。
・銀 龍 閣(国登録有形文化財):書院造、宝形造、屋根銅板葺。
・仏 宝 蔵(国登録有形文化財)
・潮 聲 閣
  耕三寺潮聲閣

主たる仏画・仏像は以下の通り
・絹本著色仏涅槃図(重文)」攝津神峯山寺に伝来したと伝える。鎌倉期、13世紀中頃の作とされる。
・絹本著色千手千眼観音像(重文) :鎌倉期の作と推定される。
・木造釈迦如来坐像(重文):
 大和興福寺東金堂の一隅に安置(興福寺講堂本尊)されていたと伝える。平安後期の作と推定。寄木造、漆箔、像高230cm
  耕三寺東翼楼釈迦如来坐像(上掲):流転の経緯などは不明
・木造釈迦如来立像(重文):伊勢神宮寺像。平安初期の作と推定。カヤの一木造、像高135cm。
  伊勢神宮寺釈迦如来立像:流転の経緯などは不明 (耕三寺博物館)
・木造阿弥陀如来坐像(重文):伊豆山権現(走湯山)常行堂の本尊であったと伝える。
 像内に巧匠安阿弥陀仏快慶)、伊豆御山常行常御仏、建仁元年十月(1201)□日の銘がある。寄木造、漆箔、像高74cm。
  伊豆山権現阿弥陀如来坐像:流転の経緯などは不明 (耕三寺博物館)
・木造阿弥陀如来立像(重文):天福元年(1233)銘。像内ニ藤原行光ノ願文及名号等ヲ納ムとある。寄木造、漆箔、60cm。
・銅造薬師如来坐像(重文):鎌倉期の作と推定される。銅鋳造鍍金、彩色、像高14.1cm。


2009/08/11作成:2009/08/15更新:ホームページ日本の塔婆