★武蔵金鑽神社多宝塔
天文3年(1534)建立。一辺4m、高さ13,5m。斗栱などには唐様の特徴を持つ。
心柱墨書銘:「天文三甲午八月晦日、大檀那阿保弾正全隆」とあるようです。(阿保弾正全隆は阿保郷丹荘の豪族)
嘉永6年(1853)塔修理。2004年屋根緊急修理。
以下は、上記「文化財修理実例」:「国重文緊急修理金鑽神社多宝塔」から抜粋。
多宝塔初重杮葺破損状況1
多宝塔初重杮葺破損状況2
多宝塔初重杮葺破損部除去1 多宝塔初重杮葺破損部除去2:杮葺の構造が良く窺えると思われる。
多宝塔初重銅板施工中1
多宝塔初重銅板施工中2
多宝塔初重緊急修理完工1
多宝塔初重緊急修理完工2:上掲の武蔵金鑽神社多宝塔1〜3も完工写真です。
207/10/20追加:
「社寺銅屋根施工(有)大熊板金」様ご提供画像
:2001/12/18撮影画像
※以下は通常は見ることはできない珍しい塔内部の写真及び初重屋根から撮影した斗栱などの写真です。
初重屋根破損については急遽「手当」を施し、2004年には「緊急修理」(上述)が行われる。
※上に掲載(初重と上重の構造)
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同 心柱架乗梁1:左図拡大図
四天柱で井形に組んだ梁を支持し、井形状の梁の中間に心柱を建てる梁(架乗梁)を渡す。その架乗梁上に心柱を建てる。
さらに井形上の梁上に上重の柱12本を円形に建て、貫で結合する。
丸太は桔木と思われる。 |
2005/08/28撮影画像
武蔵金鑽神社多宝塔1 同 2 同 3 同 4 同 5 同 6
同 7 同 8 同 9 同 10 同 11
同 12
※この撮影は上記の「緊急修理後」の多宝塔と思われるも、悪天候と夕刻近くのため「屋根修理」の現認はしてはいない。
2008/12/11追加:「(有)大熊板金」様ご提供画像:2008/11/30撮影
2003年大熊板金、屋根応急修理。
2008年10月多宝塔の屋根葺替完工。杮葺。相輪も塗替(黒漆と推定)。
武蔵金鑽神社多宝塔11 同 12 同 13 同 14
同 15:写真左側の降り棟の亀腹下には、旧材を残す。(実験の為か柿葺きの風化状況比較の為か?)
同 16 同 17
※なお、相輪が曲がってしまうのは、宮大工の話では、当たり前の事で、素性の良い材を真っ直ぐに加工しても立ててあるだけでは元の立木の状態に戻ってしまうと云う。(大熊板金様からの情報)
2010/07/05追加:毎日新聞報道写真
大正9年金鑽神社:青柳村金鑽神社社殿・多宝塔
金鑽神社多宝塔:撮影時期不明
★金鑽神社別当
神仏分離の処置で大光普照寺第57世広貫の弟子詮量房が復飾改名(児玉大学と称す。)金鑚神社の神主となり、明治22年多宝塔は神社所属となると云う。
別当は大光普照寺(金鑚大師・元三大師:金鑚山と号する)であった。現存する。
聖徳太子創建で、慈覚大師円仁の再興と云う。
鎌倉中期に再興され、近世には川越仙波、下野長沼談所と並び、天台関東三檀林の一つであった。
2006年以前作成:2010/07/05更新:ホームページ、日本の塔婆
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