巻之7:下総国分寺

下総国分寺
 

江戸名所圖會:「新訂 江戸名所図会」(ちくま学芸文庫版)市古夏生・鈴木健一校訂 より

 国分山金光明寺:
  記事:  ・・・当寺の礎石と称するもの堂前にあり・・・
    (本堂の左前<図の最左端>に「伽藍礎」として3個の礎石が描かれる)
       ●国分山金光明寺:左図拡大図



下総国分寺現状

○下総国分寺本堂及び礎石:写真は「X」氏ご提供

○伽藍配置
下総国分寺は法隆寺式伽藍配置とされる。
発掘調査(昭和40〜41年)で、現在の本堂下に金堂跡(基壇:31.5m×19m)を、その基壇の中心から北西40m地点で講堂跡(基壇:26m、南北18m)を、金堂基壇の中心西39m地点で塔跡(基壇:一辺18m)を確認。
なお塔・金堂・講堂の方位はそれぞれ異なると云う。

※2009/10/31追加:
塔は南北軸に対して2.3度の傾きなのに対して、講堂は3.16度、金堂は4.25度の傾きをもって 構築され、主要堂塔で方位が異なると云う発掘成果は、全く理解ができない。
即ち、創建伽藍配置・残存礎石図(下に掲載)のとおりの主要堂塔の配置であるならば、この1塔2堂が同時に建っていたとは考えられないであろう。
  (「下総国分寺」市立市川考古博物館、1995 及び 「下総国分寺址のはなし」市川博物館、1975 も同様の図を載せる)
この「傾きの相違」について「発掘調査報告書」では
1)塔が最初に作られ、2)その後、金堂・講堂・尼寺が作られたときに基準線が変更されたのであろうとの見解を述べるが、塔が現存しているにも係らず、金堂・講堂の建立時に塔との方位に齟齬をきたす基軸線の傾きを変更するなど凡そ考えられないであろう。
また、尼寺と国分寺伽藍は離れていて尼寺の基軸線が影響するなどは考えられない。
通常、平地伽藍では少なくとも塔とか金堂とかの主要伽藍の方位は、特別の理由のない限り、同じくして建てられるが鉄則であろう。
繰り返すが、創建伽藍配置・残存礎石図(下に掲載)の伽藍配置であれば、到底、法隆寺式伽藍配置と呼べる代物ではないであろう。
これはどのように解釈すればようのだろうか、合理的な解釈は思い浮かばない。
しかし、少なくともこの廃寺あるいは遺構に関して、何か重大な事実の見落としがあるのではないだろうか。
例えば、塔と金堂は同時期に並立したのであろうか、塔とされる遺構は本当に塔の遺構なのか、この遺構は本当に国分寺跡なのであろうか・・・など「思い込み」 を捨てるべきではないであろうか。

2011/11/06追加:2011/10/29撮影:
 創建伽藍配置・残存礎石図:創建時の堂塔配置と残存する55個の礎石散布状況が示される。 (上に掲載)
 礎石散布・基壇規模・伽藍配置図:上図の下部拡大図である。

○残存する礎石
2009/09/14追加:
「国分寺址之研究」堀井三友、堀井三友遺著刊行委員会編、昭和31年 より
薬師堂が南面して建ち、西に鐘楼、その西に庫裏がある。
鐘楼は方形土壇の上に建ち、ここに4個の自然石の礎石を見る。薬師堂の下その他にも礎石がある。薬師堂北方墓地の西では地下1,2尺のところから4個の礎石が発掘されている。3個は南北に、1個は東に離れている。およそ4尺くらいの砂岩に径2尺の円形造出がある。
 下総国分寺址実測図:境内図および薬師堂北方礎石実測図

○七重塔跡
庫裏の裏手に塔跡を示す石柱が建つ。
 下総国分寺塔跡1「X」氏撮影画像
2011/11/06追加:2011/10/29撮影:
 下総国分寺七重塔跡2

○南大門・本堂間にある4礎石(塔礎石とされるも確証はない。)
塔礎石とされる礎石は南大門(復元)内、すぐ左手の植え込みの中に4個保存される。
 (保存礎石に心礎が有るかどうかについては諸説がある。)
 塔礎石説明板碑      塔礎石の一つ「X」氏撮影画像
2011/11/06追加:2011/10/29撮影:
 4礎石全体図1     4礎石全体図2     4礎石その1     4礎石その2     4礎石その3     4礎石その4

○本堂前植込中の礎石
金堂の礎石3個は現本堂前に、講堂礎石4個は裏手の墓地の左奥に保存される。
なお発掘時は55個の礎石が発見されたという。・・・・・下総国分寺伽藍配置(Web の情報)
 本堂前礎石の1     本堂前礎石の2     本堂前礎石の3

○講堂跡及び礎石
 講堂址基壇:右に1個 、左に3個の礎石が写る。
 講堂址礎石の1     講堂址礎石の2     講堂址基壇西半分

○復元南大門
現国分寺(真言宗豊山派)は近世に再興される。
江戸名所圖會に見る国分寺山門(楼門)は宝暦年中に再建と伝えるも、明治24年焼失す。
昭和55年山門位置に天平様式で南大門が再建される。三間一戸八脚門。
 復元南大門1     復元南大門2


2006年以前作成:2011/11/06更新:ホームページ日本の塔婆