巻之5:中野・円満寺多宝塔

新訂 江戸名所図会(ちくま学芸文庫版)市古夏生・鈴木健一校訂から
(図版:円満寺及び本文を転載しています。)

巻之5:
万昌山円満寺:湯島六丁目にあり。
真言宗にて開山は木食義高上人なり。
本尊十一面観世音・・・
義高上人は覚海と号する。・・・
足利義輝公の孫義辰の息なり・・・
また元禄4年志願によって(高野山)光台院を辞して江戸に赴き・・その頃大樹(徳川綱吉)・・御祈祷を申し付けらる。・・・
宝永7年江戸湯島に地に梵刹を建てて
万昌山円満寺と号する。・・・・

2006/04/09追加:
江戸名所図会:左図拡大図

 

円満寺:文京区湯島1丁目

2000/10/22:「全国寺院名鑑・北海道・東北・関東編」の記事より:
 編集・発行:全日本仏教会・寺院名簿刊行会;昭和44年刊
真言宗御室派。本尊不動明王、本堂24坪庫裏19坪。由緒:永禄年間木食覚海は足利将軍の
本願により開創、室町御所などの寄進を受けた。宝永7年6代将軍家宣及び紀州家の外護で
堂塔を造営。その後数回の火災、太平洋戦などで全焼、昭和38年伽藍を再建した。
 とあります。
多宝塔には全く触れられていませんが、
おそらく宝永7年に多宝塔などの堂塔が建立されたものと思われます。
推測ですが、「数回の火災」もしくは今次大戦の空襲で 消滅したものと思われます。

2004/04/14追加:
「弘化3年(1846)江戸本郷周辺の大火を伝える瓦版」に以下の記事がある。

頃ハ弘化三丙午年正月十五日昼八ツ半時西北はげしく本郷丸山辺より菊坂丁田町此辺より出火して安部様ノ御屋しき少々焼跡残らス此辺ノ御組屋敷残らス焼長泉寺火之中ニて残る本妙寺本堂残る地中来岳院本立院本霊院本行院焼・・・・湯しま一丁目より六丁目迄焼湯島円満寺焼同横丁前田又五郎様土井能登守様御中屋敷大塚鉄次郎様御晋請奉行村田阿波守様小林半左衛門様稲葉様酒井岩見守様前用定之丞様佐藤捨蔵様永井伝左ヱ門様相原信吉様本郷御弓丁かたかわ元町残らス焼・・・・

弘化3年には類焼したようです。

円満寺の現状は真言宗御室派(総本山仁和寺東京寺務所)として湯島1の6の2に現存する。
ただし寺地は狭められ、7階建てのビル建築になり、そこが寺院のようです。

2006/04/09追加:
「御府内寺社備考」、名著出版、1986 より
 円満寺境内見取図:平面図。江戸名所圖會とほぼ同一の堂塔が表現されています。
 多宝塔部分記事:宝永8年(1711)建立、高さ凡5丈(15.15m)とある。
境内拝領地1000坪、京都仁和寺末