伯  耆  上  淀  廃  寺

伯耆上淀廃寺

上淀廃寺概要

2017/08/05追加:
○「妙本寺意外之誌」宮原日鷲、本山妙本寺、平成12年 より
◆古仏
旧古、上淀(旧寺内村)に古代阿弥陀堂があり江戸期まで存続する。文化11年(1814)淀江阿弥陀堂什物と彫る妙鉢(鐃鉢)、河岡村堂常備品で今は当山に什物で保管され使用される。
旧寺内村の法華堂は当山の支院だったが、明治の一村一社令で廃寺取潰の災厄に遭った。

2010/08/19撮影:史跡整備後

遺構は現在以下のように整備される。

伯耆上淀廃寺主要遺構1

  同     主要遺構2:左上から南塔、中塔、北塔、右は金堂跡

  同      三塔遺構:左図拡大図
  上から南塔、中塔、北塔心礎の各復元遺構、心礎は南北に一直線に並ぶ。
  塔を東側一直線に南北に三塔を並べ、西側に一金堂を置く構想であった
  のであろうか。

史跡整備以前の状況

◆「上淀廃寺と彩色壁画・概報」:平成4年(1992)・淀江町教育委員会より

丘陵の南側傾斜地をおよそ3段に整形し、その中段で西に金堂・東に塔の基壇を発掘した。
塔基壇はいわば2重で、上成基壇は瓦積、下成基壇は石積であった。石列外側で東西約9.9m、南北で約10.2mであった。
基壇上には、心礎は無く、心礎抜取穴・根石、側柱礎石の抜取穴・根石が検出された。
金堂基壇も同様の2重基壇であり、規模は14.36×11.8mである。
基壇上は柱位置を示す遺構が失われているため、平面形式を示すことは出来ない。動かされている礎石(自然石)は残存する。
金堂は10世紀頃焼失したと推定され、発掘調査では大量の瓦、土師器、須恵器、壁、塑像片などが出土。
特に金堂基壇の北側の焦土層から出土した彩色壁画片・塑像片は貴重な発見とされる。
2005/05/02撮影:
 伯耆上淀廃寺塔基壇  上淀廃寺塑像片出土状況

◆1992年08月(平成4年)淀江町教委出土遺物検討委員会発表:南塔発見

塔基壇跡の南側わずか2.3mの所(基壇と基壇との間と思われる)で同じ規模、構造の塔基壇跡が出土。いずれも三重塔と推定される。
また2つの塔跡から見つかった塔心礎の深さや材質などから、南塔の方がやや着工時期が古いであろう。
 ※心礎の大きさの資料は無いが、心礎には径約68cm、深さ約5cmの孔を穿つと云う。

◆1992年10月31日(平成4年):第3の心礎(北塔)を発見と報道発表:

双塔跡のさらに北側に、心礎を新たに発見。
心礎は長径約1.6m、中央に径約64cm、深さ約4cmの孔を穿つ。
心礎は既発見の心礎の延長線上にあり、3塔心礎がほぼ等間隔に並んでいたことになる。
塔基壇は未発見のため、三塔が同時に建立されていたかどうかは不明(この塔は建立されなかった可能性が高いと推定される)。
2010/02/11追加:
 上淀廃寺第3の心礎:毎日新聞写真:1992/11/25撮影 :写真手前の心礎が北塔心礎。

◆遺跡の概要
2003/10/15追加:「X」氏ご提供画像(2003/10/12撮影)

東西丘陵の南斜面をおよそ3段に造成し、堂塔を造営する。
左側・手前から北塔、中塔、南塔跡、右側が金堂跡。

上淀廃寺主要部(上図拡大図) :北から撮影

上淀廃寺伽藍配置図

上淀廃寺伽藍配置図
(現地説明板)
・・・左図拡大図

伽藍配置概要:金堂は西、塔は東に南北に3塔を配置する。金堂と中塔の距離は基壇中心間で19.0m。
中塔の南側に南塔を配置し、両塔基壇の中心間距離は 約12.3m。
さらに中塔の心から約12.3mの北の位置で第 3心礎を発見。この塔の基壇は未発見のため、基壇・建物は未建造で、心礎だけが置かれていたと推定される。
講堂に相当する遺構は未発見であり、夏見廃寺のように変形な伽藍配置である可能性がある。
 ※3塔は並立したが、早くに失われたのか、あるいは北塔は計画途中で未建造なのかについては論争があ り、決着を見ない。

○2010/07/11追加:(奈良文化財研究所>公開データベース)「淀江町埋蔵文化財調査報告書 第35集 上淀廃寺」淀江町教委、1995 より
 上淀廃寺調査区;部分

2005/05/02撮影:

伯耆上淀廃寺塔跡1:左図拡大図:北方より撮影
  同        2:北方より撮影
  同        3:南方より撮影
  同        4:北方より撮影、左は3塔跡、右は金堂跡

2005/09/25撮影:発掘状況

 ○上淀廃寺3塔・金堂発掘現場:写真左が3塔跡、右が金堂跡

 ○  同   3塔発掘現場:写真手前の土盛が北塔心礎、中央心礎が中塔跡、奥のブルーシートが南塔跡

 ○  同   金堂発掘現場    同   推定金堂礎石    同   金堂出土遺構:遺構の種類は不明

2008/06/03追加:金堂跡・中塔跡・南塔跡復元整備
2008/05/08新聞各社で以下が報道される。(要旨)
上淀廃寺跡史跡公園事業の一環として、今般金堂跡・中塔跡・南塔跡が復元整備された。
中心伽藍の全体を高さ約1.5mまで埋め戻し、その上に復元された。
中塔と南塔跡(いずれも約10m四方)は残っていた基壇底部を型どりし、GRC(特殊強化セメント)に着色して復元した。
北塔は基壇が見つかっていないため、心礎を1個だけを復元した。
金堂跡は、基壇(東西約14m、南北約12m、高さ0.7〜1.2m)を復元した。復元には瓦積化粧基壇の瓦約460枚を焼きそれを積み、自然石の礎石28個を配置し、GRCの石列を並べ復元した。
史跡整備事業は2004〜2011年までの予定、事業費は約一億一千万円。
 ※中・南塔跡は発掘調査時の状況を復元、北塔は心礎のみ復元、金堂跡は基壇と礎石全てを復元整備したと思われる。
  (しかし、この復元整備によって、心礎等の本物の遺物は、よほどのことの無い限り、土中に眠り続けることになる。)

2008/10/30追加:
2008/10/17「X」氏撮影画像
 史跡公園化がほぼ完了。
北塔、中塔、南塔、金堂等の発掘状況が復原され、塔心礎や基壇は強化セメントで模造される。
 伯耆上淀廃寺復原塔跡1      同     復原塔跡2

「史跡上淀廃寺跡環境整備状況について(資料)」米子市(推定) より
復原概要:金堂は基壇復原、中塔・南塔は出土状況復原、北塔心礎は心礎復原
 伯耆上淀廃寺俯瞰   伯耆上淀廃寺全体図   中塔出土・復原状況   金堂基壇復原状況


上淀廃寺中塔

2010/08/19撮影:史跡整備後:
この遺構は復元模型である。即ち、遺構上に盛土をし、その上に出土した状況を忠実に再現したものである。
心礎は動かされていたが、この復元模型では本来の位置に心礎は設置されている。なお心礎は地上式である。
基壇一辺は約9.5mで、化粧は瓦積基壇であり、南塔と同じく周囲に石列を廻らす構造である。

上淀廃寺中塔跡1
  同   中塔跡2
  同   中塔跡3:左図拡大図
  同   中跡跡4
  同   中跡跡5
  同   中跡跡6
  同   中跡跡7
  同   中跡跡8
 
上淀廃寺中塔心礎1
上淀廃寺中塔心礎2
上淀廃寺中塔心礎3
上淀廃寺中塔心礎4
上淀廃寺中塔心礎5
上淀廃寺中塔心礎6
上淀廃寺中塔心礎7
上淀廃寺中塔心礎8
中塔心礎発掘状況:心礎は動かされていたとされる。

史跡整備以前の状況

中塔基壇規模;
上段で方約9.50m、下段では東西10.05m 、南北約10.20m。
中塔南辺での復元基壇高は約90p。柱間・基壇の出ともに天平尺6.5尺と復元しうるとされる。

上淀廃寺中塔跡(左図拡大図):「X」氏ご提供

なお写真右下に写っているのは、中塔の基壇復元模型。

2005/09/25撮影:
上淀廃寺瓦積ニ重基壇(レプリカ)

上淀廃寺中塔心礎;
地上式で、上面に直径70cm・深さ20cmの孔があ り、その中央に長方形の舎利孔及び蓋受孔を穿つ。

上淀廃寺中塔心礎
(右図拡大図):「X」氏ご提供

2005/05/02撮影:
上淀廃寺中塔心礎1
  同        2
  同        3
  同        4

上淀廃寺中塔心礎

2005/08/26追加:
2005年南塔・中塔の発掘調査が継続中(史蹟整備目的)

上淀廃寺中塔基壇1「X」氏ご提供:2005/08/23撮影

上淀廃寺中塔基壇2「X」氏ご提供:2005/08/23撮影
 (左図拡大図)
基壇縁石および瓦積基壇の一部が写る。

2005/09/25追加:
中塔心礎が掘り出される。(調査終了後はおそらく埋め戻されるものと思われる。)

上淀廃寺中塔心礎1
 (左図拡大図)
  同        2
  同        3
  同        4
  同        5
  同        6
  同        7
  同        8
上淀廃寺中塔礎石?
 心礎は原位置を動く、そのため心礎
 手前礎石は脇柱礎かどうかは不明。
  同 心礎・礎石・南塔
 手前が中塔跡・奥が南塔跡

○2010/07/11追加:(奈良文化財研究所>公開データベース)「淀江町埋蔵文化財調査報告書 第35集 上淀廃寺」淀江町教委、1995 より
中塔:
心礎の大きさは径2.02×1.97m、厚さ1.2mの流紋岩。中央に径70cm、深さ20cm円孔あり。円孔中央には30.5×23cm、深さ2cmの蓋受けをもつ長方形舎利孔がある。
金堂と基壇南辺を揃える。北東から南西にかけ傾斜する地形。径3m、深さ70cmの心礎抜取穴あり。底に根石があり、復原すると基壇高は1.2mとなる。
 上淀廃寺中塔遺構図     上淀廃寺中塔心礎図

南  塔

2010/08/19撮影:史跡整備後:

この遺構は復元模型である。
即ち、遺構上に盛土をし、その上に出土した状況を型採りし再現したものである。
心礎は地下式で、心柱の周囲を瓦で巻く構造も出土する。
基壇は約9.5×9.2mの方形で、中塔と同じく周囲に石列を廻らす構造で、大きさもほぼ同一であった。
2塔の基壇間距離は2.3mで、軒を接するように両塔は建っていたのであろうか。

上淀廃寺南塔心礎1
上淀廃寺南塔心礎2
上淀廃寺南塔心礎3
上淀廃寺南塔心礎4:左図拡大図
上淀廃寺南塔基壇1
上淀廃寺南塔基壇2
上淀廃寺南塔基壇3

史跡整備以前の状況

上淀廃寺南塔跡1:「X」 ご提供
(手前南塔跡から右に中塔、北塔と展開されている。南塔の基壇規模は中塔と近似した値と云う。)

上淀廃寺南塔跡2:「X」ご提供
 
(現在心礎は埋め戻され柱模型で標とする。
 南塔心礎:ほぼ旧地表面の深さに位置する地下式で、上面直径68p、深さ5pの心柱座穴がある。
 この心柱は根巻き瓦と粘土の目張りを伴うと云う。)

2005/08/26追加:
2005年南塔・中塔の発掘調査が継続中(史蹟整備目的)

上淀廃寺南塔心礎「X」氏ご提供:2005/08/23撮影
 (左図拡大図)

上淀廃寺南塔基壇「X」氏ご提供:2005/08/23撮影
縁石・瓦積基壇・瓦積基壇下部の底石(列石)が写る。


2005/09/25撮影:いずれも南塔基壇
  上淀廃寺南塔瓦積基壇   同 ニ重基壇下層縁石

○2010/07/11追加:(奈良文化財研究所>公開データベース)「淀江町埋蔵文化財調査報告書 第35集 上淀廃寺」淀江町教委、1995 より
南塔:
心礎は径1.2m角閃石安山岩。上面中央に径68cm、深さ5cmの円孔あり。
周囲には心柱を保護するための根巻き瓦が27cmの高さで遺存。瓦の隙間には目張りとみられる白色粘土あり。円孔内に多数の瓦があり、二重・三重に巻いていたと推定される。
基壇は瓦積基壇外部外周に石列を廻らす二重基壇で、金堂東辺とほぼ同様の造り。階段痕跡は見られないため、木階であったと考えられる。
中塔との距離は心礎間で12.3m。基壇外装石列の間で2.3m。
基壇は瓦積基壇外部外周に石列を廻らす二重基壇で、中塔などとほぼ同様の造り。下成基壇は高さ15〜20cm、基壇の出30cmで、瓦積基壇の外側に高さ15〜20cm幅25〜45cm、厚さ10〜15cmの板状の割石を並べる。盛土は心礎を中心に粗い土饅頭を盛った後、周辺部に緻密な版築をおこない概形を造り、四周に半裁平瓦を直接置き、瓦を積み上げながら裏込めを入れる。
 上淀廃寺南塔遺構図     上淀廃寺南塔心礎図     上淀廃寺南塔心礎検出状況

北  塔

2010/08/19撮影:史跡整備後:
心礎のみ発掘される。基壇が造成された形跡は見られない。
北塔の建立予定があり、心礎のみ設置したが、塔は建立されなかったのであろうか。
地上に置かれている心礎は復元模型であろう。

復元心礎模型実測値:
大きさは160×130cmで、表面に径55cm深さ5cmの円孔を穿つ。
但し、心礎はかなり損傷し、円孔の半分は磨耗して、円孔の原型を留めない。

上淀廃寺北塔心礎1
上淀廃寺北塔心礎2
上淀廃寺北塔心礎3:左図拡大図
上淀廃寺北塔心礎4
上淀廃寺北塔心礎5

史跡整備以前の状況

上淀廃寺北塔跡:「X」ご提供
 
現在心礎は埋め戻され柱模型を立てる。第3心礎は南塔と同様の地下式心礎とする計画であったと推定される。
 心礎及び孔の大きさは南塔心礎とほぼ同じと思われる。

2008/06/03追加:
上淀廃寺北塔心礎
心礎は長径約1.6m、中央に径約64cm、深さ約4cmの円穴を穿つ。

○2010/07/11追加:(奈良文化財研究所>公開データベース)「淀江町埋蔵文化財調査報告書 第35集 上淀廃寺」淀江町教委、1995 より
北塔(第3心礎):
心礎:石英安山岩で1.57×1.21×0.54m。上面中央に径68cm、深さ5cmの円孔あり。
心礎を据えた段階で何らかの理由で建立が中止されたとみられる。
 上淀廃寺北塔遺構図     上淀廃寺北塔心礎図

その他の遺構

2010/08/19撮影:史跡整備後:
金堂:
金堂跡からは壁画の破片約1400点、金堂跡・中塔跡・北塔跡からは塑像の破片3800点が出土と云う。火災により「土」が焼成されたため今一まで残ったのであろう。
金堂は瓦積基壇で塔と同じく周囲に石列を廻らす。基壇上面は耕作により、削平され建物規模はまったく不明。
基壇規模は12.3×13.9mの規模で、南側正面に石階と木階の階段を設置する。
 上淀廃寺金堂跡1     上淀廃寺金堂跡2     上淀廃寺金堂跡3     上淀廃寺金堂跡4
方3間堂:
掘立式建物で鐘楼もしくは経蔵と推定される。
 上淀廃寺復元3間堂
4×3間堂:
掘立式建物で食堂もしくは政所のような機能の建物と推定される。
 上淀廃寺復元4×3間堂


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