淡 路 賀 集 八 幡 宮 多 宝 塔

淡路賀集八幡宮・賀集護国寺


2011/05/10追加:
「賀集山往古大伽藍之圖」:
 「淡路名所図会」天明2年(1782)以降成立 所収と推定される。
※「淡路名所図会」には序文・跋本などがなく、編者・成立年等は不詳、文中に天明2年(1782)等の年号があることから、それ以降の成立と考えられる。

賀集山往古大伽藍之圖:左図拡大図

※宇佐、石清水、鶴岡などの八幡宮は実態として八幡宮本社を中心とした寺院であったのであるが、この賀重八幡宮も往古には寺院であったことを端的に示す絵図であろう。

賀集山伽藍は東面する。
山路川に面し惣門を構え、進むと大門(仁王門)があり、
右手に大坊・周遍院・北坊・如意坊・本坊護国寺(本堂・客殿・宝庫)、
左手に大門坊・地藏院・中之坊・奥之坊・■■坊金剛院集会所が並び本社に至る。
また本坊右手には松林坊・谷ノ坊・梅本坊・薬師などが散在し、集会所の左手には影山坊がある。
本社拝殿(3間×9間)前には食堂・高度王・篭所・番所・鐘楼・輿屋・護摩堂・長床・管廟・放生池、左手少し離れて宝蔵・一切経蔵がある。
大塔(三間四面)は拝殿右手に建つ。
本社は瑞垣に囲まれ、八幡社(4間×3間流造)と丹生明神(3間×2間春日造)が並列する。本殿後方の周囲は末社が並ぶ。
 ※丹生明神は一間社春日造なのか三間社春日造なのかははっきりしない。現在は一間社。
惣門外には惣門に至る参道に鳥居3基が順次並び、護国寺末寺下ノ大日・東光坊がある。

2003/11/24追加
賀集八幡宮絵図」:江戸初期、護国寺蔵、紙本着色、131×92cm

2013/01/21追加:
賀集八幡宮全図:左図拡大図 :
「日本荘園絵図聚影 五下 西日本二・補遺」東京大学史料編纂所/編纂、東京大学出版会、2001
※最盛期の賀集八幡宮を描いた絵図であろう。

下掲の「淡路國名所圖會」に云う「当社古図1幅」に該当する 絵図であろうか。

正面は八幡社、左は羽生大明神で春宮、多賀社などが並び、拝殿、輿屋を中心に右には大塔、護摩堂、天神、放生池、長床、左には鐘楼、講堂、食堂、一切経蔵、宝蔵などがある。
大門右に大坊、周遍院、如意坊、護国寺、左に大門坊、地蔵院、中之坊、奥之坊、■■坊金剛院集会所、東方に松本坊、池之坊、松林坊、谷之坊、川を挟み 左に■山坊がある。


賀集八幡宮絵図・・部分図、原図の上半分の中央約1/3
 (左図拡大図)     つまり約1/6の部分部
賀集八幡宮絵図・・部分図、原図の上半分の中央部分図



嘉慶2年(1388)には如意坊、大門坊、池坊、中之坊、地蔵院、大坊、南坊、楽頭坊の8坊、文明15年(1483)には金剛院、光明坊など16坊、永正6年(1509)には21坊を数えたという。

淡路國名所圖會」に見る賀集八幡宮
「淡路国名所圖會」暁鐘成(木村明啓)編纂、明治26年刊(嘉永4年成立)1893成立(1851刊)
2011/05/10追加:

淡路国名所圖會・賀集八幡宮:左図拡大図

下に掲載の図と同一のものである。

●賀集山八幡宮
記事:(八幡村にあり。右八幡のはしの向かふに鳥居あり。・・・)

●護国寺
記事;「本社・応神天皇。摂社・丹生明神(本社の右に列す。・・・)
荒神祀(丹生社の南にあり)拝殿(両社の前、下の方にあり)放生池(拝殿の艮にあり)・・・
当社古図1幅(本社・摂社・拝殿・舞殿・楽屋・長床・護摩堂・講堂・食堂・多宝塔・篭所・仁王堂・御供所・神宮寺・僧坊14区あり。寺家はおよそ、池の坊・如意坊・北の坊・周遍院・地蔵院・中の坊・奥の坊・金剛院などいへりとぞ。今、廃して護国寺のみ存すと聞こゆ。境内に礎石多し)
往古は毎年、一切経供養、四季陀羅尼、不断経および舞楽祭礼等あり。・・・・
賀集山八幡宮縁起一軸(釈行教作といふ。・・)・・・
応永14年、九輪を鋳たる日記(この時宝塔を建立ありしなるべし)・・・」

至徳3年(1386)の火災以来何度か堂宇を焼失し荒廃したが、寛永8年(1631)に蜂須賀氏により再建された。
本殿及び拝殿はこの時のものとされる。

淡路國名所圖會:賀集山八幡宮(左図拡大図)

いにしえは多宝塔が存在したが、江戸末期には既に退転していたと推測される。
多宝塔建立は応永14年と伝える。(上記記事)
左図の「舞台」とされる基壇様なものはおそらく舞殿跡?と推測される。
 

 

淡路國名所圖會:賀集山八幡宮社頭(左図拡大図)


12006/10/09追加:
◆「神仏習合をとおしてみた日本人の宗教的世界 2 淡路島の調査を中心として」元興寺文化財研究所、1991 より
○淡路に於ける神社分布:
・「兵庫県神社誌」(昭和13年)淡路223社中、八幡61社、伊勢14、春日11、大歳10、住吉9、八坂9・・・
・「神社御調本紙扣」(寛保3年1743)淡路285社中、八幡64社、大歳15、伊勢14、恵比寿14、山王14、牛頭天王12、春日11・・・とあり、淡路では八幡社が圧倒する。
 また 明治維新までは、殆どの神社にはその祭神の本地仏を祀る本地堂(薬師堂・阿弥陀堂・観音堂・大日堂・・・)があり、神社には別当(神宮寺・宮寺・宮坊・・・)が付設し、神社の管理にあたるという形式が一般的であった。
 【護国寺本堂】
  大日如来坐像 木造・彫眼 重文 平安後期 座高95.8cm
   大日如来坐像1  大日如来坐像2
 現在は護国寺本尊であるが、丹生明神(本社の右に座す)の本地仏として、大塔の本尊であった。
 平安後期には賀集荘は高野山宝幢院領であり、丹生明神が祀られ、大塔に大日如来が祀られることは十分考えられる。
 塔については、応永24年(1417)九輪修理の記録がある。「賀集塔九輪修理日記」
 大日如来像は元禄4年(1691)修理、寛政3年(1791)に厨子再興。護国寺本尊となったのは元禄4年以降と思われる。
 賀集八幡は江戸初頭に復興、その後火災にあい、元禄期に再度復興が行われたとされる。
 (おそらく大塔は近世初頭に退転かあるいは元禄復興前の火災で焼亡したものと推測される。)
   弘法大師坐像(江戸)  行教和尚坐像(江戸)
 【護国寺本地堂】
  阿弥陀如来坐像 木造・彫眼・彩色 座高145.8cm 平安後期〜鎌倉期か?
  八幡神本地仏、中世には講堂に安置と思われる。天正14年(1588)大御堂<講堂>と拝殿破壊、宝暦7年(1757)像修理、
  元禄5年(1692)大日・阿弥陀像が護国寺に安置、享和2年(1802)〜文化6年(1809)本地堂再興。
  毘沙門天立像:鎌倉後期:経蔵(御手洗川南)に安置と伝える。
  不動明王立像:鎌倉期:護摩堂(拝殿北側)に安置と伝える。
   ※「常盤草」:「大日像(宝塔本尊)弘法大師作、不動(護摩堂)智証大師作、毘沙門(経蔵)智証作、
           阿弥陀(本堂)行教作といふ」

現 状

「賀集山八幡宮社頭」の図中の仁王門・鐘堂、また護国寺の本地堂(重層の堂)は失われ、「賀集八幡宮」の図中の護国寺本堂・庫裏などは建替られていると思われる。
しかし建替られた本地堂は淡路國名所圖會のとおりの重層で、淡路國名所圖會の雰囲気で建替えられたとも解釈できる。
(護国寺は淡路七福神の一つ布袋尊を祀り、そのため繁盛していると思われ、堂宇が一新されたと思われる。)

多宝塔は拝殿北側もしくは北東にあったと思われるも、現地は確認せず。

八幡宮に続く長い緩勾配の参道が残り、その両側には坊舎跡と思われる平坦地を多数残す。

護国寺(真言宗)は近世まで残った(別当)であり、開基は行教上人という。
上人は貞観元年(869)豊前宇佐八幡宮に参詣し、その後2年余りを当地で過ごしたという。
護国寺本尊は胎蔵界大日如来坐像(重文・檜の寄木造)で、平安末期の作とされる。
                               (上出大日如来坐像1  大日如来坐像2
また永享五年月(1433)の銘を持つ鰐口を残すという
  「表面:淡路国三原郡賀集御庄 八幡宮本堂、裏面:永享五癸丑年十一月」の刻があるとされる。
なおなお本地堂には、本地仏を安置する。   (上出阿弥陀如来坐像
  淡路賀集八幡宮本殿      同      拝殿     同 護国寺本地堂


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