読者の皆さんへ
拙著『高野山龍泉院過去帳の研究』をお読み頂き有り難うございます。2008年1月に出版致してから早くも1年近くが経ちました。
その間、この本は筑波大学、慶応義塾大学、九州大学各図書館、歴史民俗博物館、先日はアメリカ・コロンビア大学東亜図書館に入りました。地元北区の他、足立区の図書館にはいるなど私費出版した本が流通にのり、多くの方や図書館で利用して頂いていることは冥利に尽きます。
今回の論文は、この本のデータを使って考察したものです。ご一読頂き、ご批判いただければ幸いです。
私は此の後もデータを利用して考察を続けて行きたいと考えております。何分よろしくお願い致します。
また、生のデータをご希望であれば研究者の方には便宜をお図り致したいと考えております。ご連絡下さるようお願い致します。
2008(平成20)年11月 5日
倉木 常夫
(メールでのお問い合わせ先はこちら)
<追加論考 2008年11月>
龍泉院過去帳と三河島、鳩ヶ谷、辻で書写された千蔵院過去帳について
龍泉院過去帳に見られる「逆」と言う書込について
逆修供養 年代別一覧 荒川右岸
逆修供養 年代別一覧 荒川左岸
龍泉院過去帳と三河島、鳩ヶ谷、辻で書写された千蔵院過去帳について
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2008(平成20)年10月25日
倉 木 常 夫
私はさきに「龍泉院過去帳の研究 近世荒川流域に於ける庶民、村、信仰」を三省堂から出版した、そこには、龍泉院過去帳が本来は同じ高野山の千蔵院過去帳であったこと、それが明治期に於ける千蔵院の焼失、そして廃寺。その結果、その過去帳が龍泉院に継承され、改めて書写されなおしたものが「龍泉院過去帳」として現在に伝えられていると書いた。さらに、近世江戸期にこの千蔵院過去帳が書写され、足立郡鳩ヶ谷村、同じく足立郡辻村に残されていたものを発掘できたし、他に豊島郡三河島村においても書写され、残されていた事実にも触れた。
これら三点の書写文書の存在によって、今回出版した龍泉院過去帳との比較、検討をする必要があると考えられたが、いろいろな関係で論文の中に入れることが出来ず、出版した「龍泉院過去帳の研究」には載せていないので、改めて比較検討してみた。
これら三ヶ村に残っていた「旧千蔵院過去帳(以後 三ヶ村文書 という)」の写し作成の意図は良く判らない。つまり、どのような目的でこの文書が作成されたのかと言う理由がはっきりしない。しかし、その内容を比較することで何か判ることがあるのではないかと考えた。
千蔵院過去帳の内容はある村内の全ての家の先祖供養を記録しているものではない、つまり、記録は一部の家の供養状況を記録したものである。しかも、その家の供養の全てが記録されているわけではない。にもかかわらずこのように「村」という単位で書写文書は作成されている。(誰が書写したのか或いは書写させたのかと言うこともその中に含まれる。)
また、「過去帳」にはある種の「個人」或いは「家」の情報が記載されており、現代では寺院経営に関する私的文書ないし財産の記録と考えられており、公開されてはいない。近世江戸時代であっても過去帳の内容は同じと考えて良いであろうから、「不特定の人」が「個人的な意図」で、単なる「興味本位で」書写させたとは考えにくいように思う。さらに「村」という地域単位で、歴史的時間経過に従って供養状況を書写しているわけであり、しかも、「郡」と言う村を越えた地域に複数残されていたと言う事実から、この三ヶ村以外の地域に於いてもこのような文書が書写されている可能性があると言えるとすればなおさらである。
こう考えてみるとこれら「三ヶ村文書」の作成には宗教とは関係のない何らか別の意図があると考えられなくもない。こんなふうに見てくると文書作成の意図、理由はますます判らなくなってくる。むろん「三ヶ村文書」には書いてない。従って現在となっては不明であると結論するしかない。
ただ、一番単純に考えれば、この文書は村内の講的な巡礼グループが書写を依頼し作成したと考えることであろう。そして、この文書を西国巡礼や村内の記録として先祖供養の状況を明らかにするために利用したものと考えることである。しかし、三ヶ村文書を見ても書写以後利用しているような跡は見あたらない。
これら「三ヶ村文書」が書写された時期は、江戸時代も後期、19世紀に入ってからであり、西国或いは高野を含めた「寺社詣」が流行し、講的なものが既に組織されていたと考えて良いであろうから、旅に参加できなかったメンバーへの土産として作成された可能性が一番高いと考えられる。
もう一つ考えられることは、何らかの「立場にある人」が「政治的な力の働きかけ又は必要性」によって寺院に依頼して書写させたのではないかと言うことである。 もしそうであるならば 「過去帳書写文書」の存在はある意味を持ってくることになるであろう。いずれにしても今後の研究に待つしかない。
書写の形式は、国文学研究資料館所蔵の三河島村過去帳写しに見られる「高野山萱堂千蔵院」と「合印の書込と押印」というスタイルが普通であった可能性が高いのではないかと考える。
なお、鳩ヶ谷村の文書は簿冊の頭の書き出しに見られる「高野山萱堂千蔵院」の字体が本文の字体と異なっているように見えることについては、残されているこの文書が公式に書写された当時のママの文書であったと仮定したとしても、現在残されている簿冊に纏めるとき、当初の表紙を使用せず、(或いは傷んで使用できなかったかもしれないが)新たな表紙を使った結果、字体が違ったと推定する。もちろんそうではなく、最初の書写文書が鳩ヶ谷村にもたらされてから後に、全てをまた書き直した文書であるかもしれない。そして、この簿冊の末尾には余白がかなりあるところを見ると、鳩ヶ谷村で継続して記録し利用できるように作成されたのではないかという推測が出来る。
簿冊の頭の書き出しは三ヶ村同じで「高野山萱堂 千蔵院」三河島村文書のみ「合印」の書込と「角印」がある。書写の正確性というか、千蔵院が確かに書写したと言うことを明確にするために「合印と角印」は必要なものと考えられるので、鳩ヶ谷と辻の文書は、書写した文書を「書き直した」可能性が考えられる。
ただ、これらの文書が継承されていた「家」は三河島村、辻村では名主家。鳩ヶ谷村では名主家の分家で、村内屈指の地所持ちであった家である事なども政治が絡んだ何らかの意図があって書写されたのではないかという推定につながってくる。
前に触れたとおり、これらの資料は「龍泉院過去帳」を含めて、いわゆる「供養帳」であり、菩提寺に於ける過去帳つまり、檀家としての記録とは異なり家に関わる全ての死者(先祖)の記録ではない。従って、それを書写した「三ヶ村文書」も当然であるが先祖の一部の記録でしかない。このように考えると書写した意味はますます判らなくなってくる。作成の理由はこれだけの資料では断定的に言えないように思う。
記録内容の正確性については、鳩ヶ谷村文書では龍泉院の記録と比較し「供養件数で39件」増えたと言える、ただ移動していたり、龍泉院に無い供養記録があったり、逆に龍泉院にあって書写文書にない記録もあり、年代などから推測して、書写してある鳩ヶ谷文書のほうが正しいと思えるものもあるが、他に疑問を感じるところもある。また、恐らく、明治期になって龍泉院が所管するようになってから「龍泉院文書」として書写したとき書き間違えたと思えるところもあるように思える。従ってこの事についても、二つの文書からだけでは、どちらが正しい記録であるか判断することは出来ないように思う。また、三河島村文書には、書写の際、順序を間違えたと思えるところが1ヶ所6件あった。内容は間違っていない。ただし、鳩ヶ谷村の例ではデータとしては問題である事は確かである。それ以外の村の記録と龍泉院過去帳とは大筋で間違いはなかった。
書写した人物については、筆跡から見て同一人が全て書いてはいない。
三河島村文書では書き出しから宝暦4年の途中までは同一人と思える。その後は何人かで分担しているように見える。
鳩ヶ谷村文書でも宝暦期に書き手が代わっているように見えるし、安永期にも代わっている。
辻村文書では記録の期間が短いことがあるのかもしれないが同一人の筆跡のように見える。
それにしてもこれらの文書を、仮に登山した地方の人が書写しょうとしたとしても巡礼の途中の短時日にその場で書写できたとは考えられず、千蔵院に書写を依頼し、完成後に何らかの方法で届けて貰ったと考えるのが常識的である。
このように「三ヶ村文書」はそれぞれ問題を抱えていると考えられるが、それでもあえて、この三つの村の文書と龍泉院過去帳との違いを考察して見ることにする。
参考までに、翻刻した別添の資料には「三ヶ村文書」に書込まれている記録を全て( )で括ってある。
1.三河島村文書
[1]「何年 何月 何日立」、又は「登」との書込28ヶ所。
[2]「旦行時立」1ヶ所。
[3] 単に「月・日」のみの記入1ヶ所。
[4]「…持参」3ヶ所。
[5]「弘法大師九百年御忌当る」の書込、享保19年(1734)にあり。
[6]「日牌」の「日」の下か「牌」の下にカタカナの「フ」という符丁3ヶ所。
[7] 供養者との関係の対象の頭に(最初に)「為」を付けたもの 無数。
[8] 供養者の姓の漢字の異なったもの例えば邊と部或いは辺2ヶ所。
[9] 供養者が異なったところ2ヶ所。他に「妻於兼」が記入漏れと考えられるところ1ヶ所。
[10]戒名、命日については龍泉院と三河島で異なっているところはなかった。
[11]病死の記事が1ヶ所あった。
[12]1帳終〜12帳終(9帳のみ欠)の書込がある。
2,鳩ヶ谷村文書
[1]「何年 何月 何日立」、又は「登」との書込42ヶ所。
[2]「旦行時立」1ヶ所。
[3] 単に「月・日」のみの記入1ヶ所。
[4]「…持参」7ヶ所。
[5] 三河島村に見える「弘法大師九百年御忌」関係の記入無し。
[6]「半日牌の下にカタカナの「フ」という符丁1ヶ所。
[7] 供養者との関係の対象の頭に(最初に)「為」を付けたもの 無数。
[8] 姓は無かったが、名前で4ヶ所異なった表記。(右衛門と左衛門、又七と亦七)
[9] 供養者の姓が異なっているもの3ヶ所。(龍泉院NO.372〜374田中が鳩ヶ谷田畑)
[10]龍泉院NO.42で供養日が21→25に、NO.43で戒名から「短」が無くなっている。
同NO.158の戒名「華岳・・」が鳩ヶ谷村文書は「華山・・」とある。
[11]龍泉院NO.371-1〜3は鳩ヶ谷村文書には無い。
[12]龍泉院NO.162荒井善右衛門には記事欄に「同人家来」とだけの書込があるが、
鳩ヶ谷文書では「右太右衛門家来」とNO.160、161で供養している三田太右衛門の家来と記録されている。
龍泉院.439〜443には「惣位牌納」だけが書き込まれているが、鳩ヶ谷では「惣位金五百疋」と金額まで
書き込まれている。
また、龍泉院NO.529船津和吉には記事欄に相当する書込がないが、鳩ヶ谷では「惣位牌納」の書込がある。
3,辻村文書
[1]「登」「立」の書込は無い。
[2] その他、三河島村文書、鳩ヶ谷村文書に見られる記事欄に相当する書込はない。
[3] 持参の書込もない
[4] 姓が異なった例は無い、龍泉院過去帳では名前が読めずに□としていた所が二ヶ所読めた。
[5] 戒名で判読できなかったが、読めたところ1ヶ所。
[6] NO.51の命日が4日と3日の違ったところ1ヶ所。
[7] 戒名、命日が記入されていなかったところが1ヶ所(NO.68)。(龍泉院には記入されている)
◎ 全体を見てこの三か村を比較してみると、三河島村文書、鳩ヶ谷村文書には書込全体に共通点が見
られるが、辻村文書は前二ヶ村とやや異なっているようにも思える。以下異なっている点を挙げてみる。
1.[1]の「何年 何月 何日立」、又は「登」との書込から[4]の「…持参」までが辻村には無い。
2.[6]日牌、半日牌及びそれに付いた符丁の書込と思えるものが辻村にはない。もっとも、辻村には茶
牌以上の供養がないから単純に比較は出来ない。
3.同じ年に於ける供養件数が鳩ヶ谷村にくらべると大分少ない。
4.「辻村文書」は、龍泉院過去帳にも書き込みは少ないので、源文書への書込がもともと少なかった
可能性が考えられる。 等を指摘することが出来る。
これらから辻村の特殊性、例えば村というか地域の財政基盤の弱さという問題がまず考えられるであろう。
或いは宗派的な違いがあるかもしれない。総じて中身が淡泊であるように思える
他に特徴的なことは、
1.3ヶ村を通じて「戒名」「命日」の相違が少なかったことである。「戒名」では2ヶ所、うち1ヶ
所は山と岳の違い、1ケ所は単純なミスと考えられる。「命日」の相違1ヶ所であった。
2.姓の相違は1ヶ所、それに対し名前は読み方と文字の使い方、記入が異なっている場合が何ヶ
所かあった。
3.被供養者の頭に「為」を付けた例が三河島と鳩ヶ谷で多数あった。
4.三河島文書のNO233田中源兵衛の所に病死の書込あった。全記録を通じ少ない記録である。
5.三河島文書のみ、源文書からの写しと思われる「〜帳終」の書込があった。これは龍泉院過去帳
の記録でも数カ所の村にしか見られない書込である。
6.村内に於ける役職については、「名主」のみ書かれている。これは、データにある全ての村に共
通である
鳩ヶ谷文書でKにNO.162身分的な書込。NO.439〜443、NO.529には供養の内容が記録されているが、これら三点は意味のある書込と考えて良い。
なお、当たり前と言えば当たり前であるが、これら千蔵院時代の過去帳を書写した「三ヶ村文書」と龍泉院過去帳の記録とを較べると、龍泉院過去帳では「登」「立」「巡礼」など供養者の行動についての記録は省略されている場合が多い。龍泉院が必要であるかどうかと言う判断で記録が省略されている事が明確に読み取れる。この事は逆に千蔵院時代の文書であっても同様、千蔵院の必要によって内容は選択されていると考えて良い。
しかし、供養者、戒名、没年月日、供養の種類に就いては殆ど間違っていない。これは供養帳として(過去帳であっても)必要なものがそれであることを示している。
三ヶ村文書に見られる 「登」「登山」と「立」等と言う書込に関連して
そもそも、寺院の過去帳が歴史資料として意味があるゆえんは、「記録された内容」と「歴史的時間」と連関するところにあると考えて良いであろう。生起した事象が年・月・日と関係づけられることによって意味が生じるということである。この項では、そうした観点から見ていきたいと考える。
辻村の記録は他の二ヶ村より遅れて、17世紀半ばから始まっている。そこには「登」や「立」の書込はない事が他の二ヶ村と違う。ただし、だからといって「高野登山」が行われなかったと断定は出来ないし、供養は行われているから「立」の記入が無かっただけの事であるかもしれない。しかし、どちらかと言えばいわゆる高野聖(使僧)の檀那場回りにおいての供養依頼に依る記録であった可能性のほうが高いのではないかと考えている。それにしてもそのどちらであったかはもはや知りようがない。
これに対し「登」は高野山に登った、の意味であろう。
過去帳で見る限り、鳩ヶ谷では僧侶を除いて、天正12年(1584)の登山記録が初めて現れる記録であり最も古い。そして宝暦9年(1759)が最後の記録でそれ以後「登」の記載は無い。
「立」は寛永11年(1634)始まり、「登山立」と「登山」と混在しながら寛保2年(1742)まで10回確認できる。つまり、鳩ヶ谷では、「登山」と「登山立」或いは「立」とが交互に記録されていたりしていて、「登山立」と「登山」或いは「立」が区別されて書き込まれているように思える。
三河島では慶長17(1612)に「立」がはじまり、元禄11(1698)まで16件記録されている。
次いで享保4(1719)からは「登」が始まる、寛政6(1794)が最後である計10件記録されている。ここでも「登」と「立」ははっきりと区別されている。これだけはっきりと使い分けているところを見れば「立」は施主が登山して供養したのではなく使僧の檀那場回り時に供養を依頼したものではなかろうかと推測できる。
登山の時期については、鳩ヶ谷では記録の始まりから宝暦3(1753)までが、5,6,7月登山つまり、農繁期に登山しており、農閑期登山が初めて見えるのは延享2(1745)からであり、以後最後の宝暦9年(1759)まで農閑期登山である。
三河島では、農繁期に於ける登山は享保4(1719)7月という記録がある。次ぎに見える登山の記事は享保9(1724)2月であり、以後最後の記録まで1,2,3月期の農閑期登山が記録されている。
これらの事実から、記録された初めの頃に登山した人物は、身体的、時間的に余裕があり、むろん経済的にもかなり余裕のあった村でも上位の階層に属する人であったと断定して良いであろう。逆に1,2,3,月という農閑期における登山は多くの農民などに余裕が出来た近世後期に多くなっている。
「高野山龍泉院過去帳の研究」のデータ中に見える「登山」「登山立」「立」等の書込について
なお、龍泉院過去帳にこの2ヶ村以外で「登山」や「立」という記録が残されている村はそれほど多くないが、そのうちの一つ、下村では寛永7(1630)に「立」の記事があり、以後全部で16回出てくるが最後は、宝暦6(1756)である。「立」の季節的な特徴では5,6,7月の農繁期に於ける「立」の書込は、安永8(1779)まで10回見られる。農閑期と考えられる10〜3月までの書込は万治3(1560)に始まり寛永6、宝永4、正徳6(1716=2回)、宝暦6と7,の8回である。
この村で「登」と明確に記録されたものは延享5年(1748)2月が初めてで、すぐに、寛延4(1751)4月に「登」があり過去帳記録の最後嘉永5(1852)の合計15回ある。そのうち農繁期の登山は安永8(1779)と天明元(1781)の2回だけで、あとの月日の明確なものは全て農閑期の登山であり延享5年(1748)2月「登」から文化10(1813)まで13回である。この中には明和7(1770)斎藤弥三郎の「五ヶ所」から始まり、天明元(1781)杢右衛門母まで巡礼の記録が8回(内1回は安永8年と重複)記録されている。
小豆沢村では、過去帳の初めは「立」と記録され、寛永13(1636)に始まり、14回記録されている、最も遅いのは延享5(1748)であり、宝永4(1707)の10月と元禄10(1697)、延享5年の三回が農閑期である。
代わって宝暦8(1758)2月からは「登」が出てくる、計7回、天明2(1782)4月が最後の記録である。7回の登山の時期は2月以外では9月の1回だけが繁期?に登山した記録かもしれない。他に僧侶?が4月に登山している以外は全て農閑期である。他に、旦行時が5回と記録されている。さらに、巡礼と明記したものが4回これも全て農閑期の記録である。
稲付村の記録では僧侶が登山しての供養は別として農民と考えられるいわゆる庶民の登山は慶安3(1650)6月に始まり、安永9(1780)2月まで29回記録されている。他に単に「立」だけの記録が1回あるが同じ時に「持登」との記載もあるので「登」と考えて良いであろう。巡礼と記録されているものが1回、同行何人とか何人組と記録されているものもあるが、この村では殆どが「登」と記録されている事になる。
登山時期は、農繁期と考えられる5,6,7月等に登っているのは16回、そのうち15回は慶安3から正徳6(1713)の間に見られる。やや遅れて安永7(1778)が1回ある、他の農閑期と考えられる1,2,3月等の登山は享保17(1732)に始まり、安永9年まで計13回そして、これ以後登山の記録はない。特徴的なことは巡礼の記録が15回見られる事である。「立」のみの記録はない。
十條村では、過去帳に見られる「登」「立」の記録の最初は「立」で始まる。年号で言えば天文7(1538)から宝永8(1711)まで27回である。
次いで享保3(1718)にとんで「登」が出てくる、安永10(1781)まで13回。これ以後「立」や「登」の記事はなくなる。
他に「旦行」の記録が、享保21(1736)、宝暦9(1759)、天明3(1783)の三回ある。また、巡礼の書込が明和4(1767)に始まり安永7(1778)まで五ヶ所と西国と表記されたものを含め9回ある。
重ねて「登山」「立」について
このように少ない書込の記録からではあるが、「立」という表記のほうが歴史的時間では早く表れる。それは、登山しなくても「立」或いは「供養」はできるからであろう。「登山しての供養」ではないことがはっきり判る書込である。少なくとも箱根以遠の庶民(農民)は、高野山まで行って供養するという形が原初的なものではなかったと考えて良いであろう。
更に言えば「立」とは、単に「普通の供養」を依頼しただけではない供養であった可能性もある。例えば、位牌を建立し供養する事であったかもしれない。もちろん位牌を建立すること自体が供養ではあるが…・。因みに鳩ヶ谷村文書の記録、享保6年昼間勘右衛門供養時に「建立」の記録が見える。
いずれにしても、この「立」とは高野聖の檀那場回りに際して、施主の供養依頼を請けての供養を意味したものであろう。
それが歴史的な時間経過と共に「登山して供養」するようになると「山に登る」事はイコール「供養の(位牌を立てる事を含め)ために」と認識されるようになって単に「登」とだけ記録されるようになったのではなかろうか。
高野登山が行われるようになった初期に於いては「有力者」別の言い方をすれば、「時間的に余裕ある立場にあり、経済力を持った人」が高野山に登っていると推定できる。それは、初期の登山の殆どがが農繁期である5.6.7月に記録されていることから明らかであろう。
時間が経過し時代が下がると共に、一般の農民がそれなりの経済力を持っようになり、生国を離れて旅行や巡礼をし、高野登山が出来るようになって行くが、「家族集約型農業」と言う近世江戸時代に於いて形作られ近代の明治大正から昭和の戦前まで続いた日本農業の形態からすると、一般農民は日常的に労働力として農業生産に従事しているわけであり、農繁期である5〜7・8月に家を空けるわけにはいかない、必然的に登山の時期は、農閑期に行わざるを得なかったことをこれらの記録は物語っていると言えよう。このように、登山する人たちの数が増えて来ることで、村の有力者達も季候の良い時期或いは自分たちの都合で登山するのではなく、村のまとめ役としての立場からしても、多くの農民が登山できる農閑期の登山に代わっていったものであろう。
過去帳への書込のあった6か村で見ると、「立」は鳩ヶ谷、十條での供養記録が16世紀末という早い時期から存在しているが他では17世紀に入ってから半数の3か村で記録されている。
これに対し「登」は、稲付村は最初から「登」と記録されており、鳩ヶ谷村と共に17世紀から記録されている、他の4か村では18世紀に入ってから記録されはじめ、初頭から中頃迄に始まり、19世紀直前まで記録がある。19世紀に入ると「登」「登山」の記録はない。ただ、この事はこの時期以降、高野への「登山供養」をしなくなったとか「登山」しなくなったと云うことでないことは言うまでもない。但し、下村では飛び抜けて遅く過去帳に記録された最後、嘉永5年(1852)に登山した記録があるが、これは異例であろうが逆に「登山供養」が行われていた事実を表しているとも言える。
この19世紀に入った時期に相当する1790〜1840年の供養状況は「高野山過去帳の研究」本文の42〜44頁 表1の「年代別村別供養状況総覧」で見ると、その区分は「Y期」になるが、殆ど全ての村で供養件数が最大になっている。つまり、これから「登山立」による供養が増えてきたので、「登山」の書込が省略されていったと考えられる。
村別の「立」と「登」の出現年代を表にすると以下のようになる。
立 登
三河島村 1612〜1698 1719〜1794
鳩ヶ谷村 1634〜1742 1584〜1759
下村 1630〜1756 1748〜1852
(1770〜1813巡礼)
小豆沢村 1636〜1748 1758〜1782
稲付村 1650〜1780
十條村 1538〜1711 1718〜1781
(1767〜1778 巡礼)
「同行○人」という書込について
2008(平成20)年10月25日の城北生活史例会で『龍泉院過去帳に見られる「逆」という書込について』を発表したところ、メンバーの冨田駿策氏から「我が家に残されている西国道中の記録に依れば、同行○人とあるうちのメンバーから、同じ時に行った我が家の先祖が餞別金を頂いている。従って同行10人とあるのは違っているのではないか」との発言があった。
早速『北区史 資料編近世2』に収録されている冨田家文書を見ると、資料NO.101伊勢参宮餞別書上帳に、天保11庚子年正月15日、伊勢参宮之帳「金壱朱 下堀 栄藏」と「樽壱ツ 栄蔵」と二ヶ所に栄蔵の名前が見られる。この伊勢参りの時期は、龍泉院過去帳の天保11年の項の過去帳記載の供養に合致するから、餞別を出している本人がこれに同行するはずはないと言える。過去帳に依れば、供養者数11人である、更にNO.657に「右同人持参」の書込があり右と左を間違えたとしても、今度は同行者は「9人」となって、この天保11年の最初に「同行10人」とある供養の書込の人数とはどちらにしても合わない。
龍泉院過去帳に出てくる「同行10人」という記入は信頼できないと言えそうである。仮にこの場合だけでなく、他でもこのようなことがあり得る可能性は否定できないように思える。
祠堂金、志など
祠堂金、志など施主からの具体的な金品などに関することについての記載は少ない。或いは最初の書替えの段階で省略したのかもしれない。
鳩ヶ谷村では僅かに文化5(1808)の供養に「惣位牌金五百疋」とあり、他に金額ではないが天保6(1835)に「惣位牌納」という記入が見える。
辻村では、寛政2年(1790)「塔婆金百疋」とあるだけである。
さらに、三河島村でも嘉永7(1854)「回向料金五十疋」の記録が一回見られるのみである。
これを見れば、記録の少ないことが村の大小や供養料の多少ではないことが判る。個々の家に関する経済的な情報であれば「永代供養之事」に規定された[供養の内容]を見れば判ることであるから何らか他の理由があって記入が少ないのではなかろうか
これもまた大きな問題ではあるが、あまり明確にはしないのが寺院側の決まりであるのかもしれない。
そして、「永代供養之事」によって明らかになった「供養の種類の違いと金額の設定」はあくまでも基準というか標準と考えている金額であったのかもしれない。龍泉院過去帳を見ても家々、或いは年代によって一定していないようにも思える。さらに多くの資料の発掘に依らなければならないであろう。
龍泉院過去帳に見られる「逆」と言う書込について
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2008(平成20)年10月25日
倉 木 常 夫
高野山龍泉院過去帳には供養者に係わるいろいろな書込がある。そのうち記録されている全村に共通して見られる書込の中で、「逆」という書込について触れてみたい。
この「逆」という書込は仏教用語の「逆修」を略した表現であると考えて良いであろう。
「逆修」を国語大辞典(小学館)で索引して見ると「生きているうちに、あらかじめ死後の冥福を祈って仏事を行うこと」とあり、大漢語林(大修館)でもほぼ同じく「死後の冥福を祈るために、生前に死後に行う仏事を営むこと」とある。
私事になるが、昭和10年代後半、私の祖母はまだ生きているのに墓があり、その墓には戒名が刻まれ、そこに朱が入っていた事を子供ながらに不思議に思って祖母に聞いた事があった。今思えばそれは将に祖母が「逆修」をしていたからであったろう。それからでも半世紀以上経って、現在では「逆修」をする人が殆どいないから、この言葉自体死語に近いと考えられる。
ところが龍泉院過去帳には、この「逆」(=逆修の事であろうから、以後逆修と表記する)という文字がかなり出てくる。初めは単に「逆修」の書込のある供養を抜き出して眺めていたが、そのうち出現年代に注目して纏めたものが「別表 逆修供養年代別一覧 荒川右岸・左岸」である。
まず、年代区分の分布を見ると17世紀後半のV期から多く見られるようになる、これは龍泉院過去帳に見られる供養数そのものがT、U期に相当する時期には殆ど無く、V期以後W期、X期、Y期と年代を追って増加している分布と同じ傾向と考えて良いのではなかろうか。
逆修のピークは、荒川右岸と左岸とではやや地域差があるようである。村別の逆修の供養数の30以上の村で比較してみると、右岸では村数22ヶ村、総供養数2632件、供養数のピークがV期とW期に来ている村が10ヶ村と11ヶ村とほぼ半々で供養件数730件(27%)と910件(34%)であり、それ以外にピークが来ているのは田端・西ヶ原だけがU期(V期と1件差で傾向が異なっている)である。
左岸は村数25ヶ村、2127件、W期にピークが来ている村が圧倒的に多く16ヶ村802件(37%)、次がX期4ヶ村488件(22.9%)、V期が殆ど同じで3ヶ村483件(22.7%)となっている。つまり、逆修は右岸の村々に比較的早くから見られるが、供養数のピークは右岸左岸ともW期であり、左岸ではピークがX期までずれている。全体的に見れば、W期がピークの村が多いと言える。
多くの地域で「逆修」の数がY期から減少し、Z期には右岸・左岸の村々とも殆ど見られなくなっている。この事が旧千蔵院の檀那場であったと考えられる荒川流域の村々だけの現象であったのかどうか、またどのような意味があるのかは、より広い視野から多くの研究者の方にご検討頂くしかない。
また、村別の総供養件数の中で「逆修」の占める割合については、年代区分のT期では記録されている総供養数が極めて少ないので断定することが出来ないにしてもその割合は高いといえそうである。U期でも少ないながら総供養件数の中での割合は極めて高い。V期でもその割合が高い村が多いと言える。しかし、その割合はW期、X期、Y期と時代が進につれて低くなって行く。この事は「逆修」という形の供養が普遍化されない(普及しない)と言うことになるのではなかろうか。逆の言い方をすれば、近世、荒川流域の農村地域においては、時代が遡り古くなると供養形態として「逆修」と言う形が多かった可能性があった、と考えられるのである。
次に、抽出した供養状況から内容に幾つかのパターンが有るように感じて分類してみた。その結果以下のようにタイプTからYに纏める事が出来た。ただ、タイプW以下は殆ど無いので、タイプT・U・Vが供養の基本的なタイプと言える。
供養者名 供養者との関係 戒名 没年
タイプT 有 記入有 無 無
タイプU 有 記入無 有 無
タイプV 有 記入有 有 無
タイプW 有 記入有 有 有
タイプX 有 記入無 有 有
タイプY 有 記入無 無 無
タイプTは出現数が一番多い。戒名は記録されていない。時代区分の初期に多く見られるし、時代が下っても見られる。次いで多いのがタイプUである。こでは戒名が書き込まれていて現在の常識的な「逆修」として考えて良いと言える。しかし、供養者との関係が記録されていない。そして、この二つが基本的なタイプであると言えそうである。
タイプVは龍泉院での出現数は少ない。どちらかと言えばタイプUと同じグループと言って良いのかもしれない。
タイプWとXは、幾つか見られる「逆直」の記録の中身と同じであることから、供養対象の没後、改めて戒名・命日を記入したものと考えて良いのかもしれない。つまり、「逆直」の記入忘れと考えて良いのかもしれない。
タイプYはタイプTと同じグループであろうか?、出現数は少ない。
表から具体的に見てみよう。「逆修供養 年代別一覧 左岸」の横曽根村、鳩ヶ谷村で見ると、V期で対象記入有りが25件、戒名無し24件というようにタイプTで対応している事が判るし、W期でも同様に39件と39件で対応している。鳩ヶ谷村では同様にV期で、対象記入10件と戒名無し10件と対応しており、W期では36件と30件と6件以外は対応している。以下このように見ていくと、川口、本木、彌五郎新田のV期。小台村のW期。本木村、五兵衛新田、浮間のX期。本木と浮間のY期で割合大きな数で対応のバランスが崩れているが、それ以外の左岸の村の多くでタイプTの対応が見られる。タイプUとVについては、早い時期の二期に横曽根、浮間、中尾、十二月田、川口、鹿浜、小台、本木等に見られる。三期の川口、浮間、鹿浜、本木等、四期では意外に少なく西新井宿、小台、五兵衛新田、伊藤谷等、五期では横曽根、浮間、元郷、川口、鳩ヶ谷、本木、五兵衛新田等で多く見られる。
Y期で中尾、樋ノ爪、小淵、浮間、本木等地域による偏在がある。
この傾向は荒川右岸でも同様に見られるが、タイプTで大きくバランスを崩している村は、二期で袋、赤羽根、田端・西ヶ原、根葉、蓮沼、三期では十條、田端・西ヶ原、巣鴨、蓮沼、四期では豊島ぐらいである。五期になると下、十條、船方、巣鴨、上板橋、蓮沼、六期上板橋、等である。ここでも、どちらかと言えば時期によって地域への偏在が見られる。
タイプU・Vについても同様で、地域によって出現数が異なっているように考えられる。下ではX、Y。
赤羽根、十條、田端・西ヶ原、滝野川、上・下尾久、巣鴨、下板橋、上板橋、根葉、蓮沼等は各期で見られる。
結論的に言えば、タイプTから考えられることは、少なくとも一般的に言われている「逆修」とは異なり「戒名」を付けない「逆修」があったと言うことである。辞書に有るとおり「仏事のみが行われていた」と言うことになる。
[或いは、「逆」の表記は被供養者が生きているという記号だけの意味であるかもしれない。]
それは供養と言うより無病息災や延命・長寿・健康等、現世利益を願う「祈祷」的なものであったと言えるのではなかろうか。戒名が付けられていないと言うことは、「受戒」はしていない、しかも被供養者は俗世界に生きているのであるから、そこでは当然の事として供養者との人間関係が記入されていくと言うことになる。
それがタイプUのように「戒名」と連動するようになり、一般的に言われている「逆修」と言うことになると、「授戒」のセレモニー(儀式)があり、俗世界から離れる。と言うことは俗世界の人間関係が無くなる、従って、施主との人間関係は記録されない、と言うふうになって行くのではなかろうか。なお、記録されている数字の上からはタイプU・Vが多く見られるのは、早い時期と遅れて、区分で言えばX期、Y期に多くなっている。
[或いは、高野山寺院での受戒ではなく、既に居住地域の寺院で「授戒」し、俗界から離れている人物であった可能性もある。]
以上見たようにこの過去帳に見られる「逆」という表記は初めにも書いたとおりいわゆる「逆修」の意味であろうが、現代で言われている内容とは異なっていた可能性が高いと考えられる。
さらに言えば、供養対象が「自分自身」より、はるかに多く「二親」を含み、対象が広い範囲である点も注目して良い事ではなかろうか。
これら龍泉院過去帳に見られる「逆修」の書込を既に発表されている幾つかの論文から比較してみようと思う。
まず、上越市史研究 第九号(2004年1月)にある「高野山清浄心院(越後国供養帳) 山本隆志、皆川義孝」で見ると、ここでの記録は文禄5年から寛永16年(1596〜1639)即ち、龍泉院での年代区分ではほぼU期に相当するが、逆修の表記147件を分類するとタイプTは少なく7回、タイプUが圧倒的に多く91回、次いでタイプVが多く45回となっている。ただ、慶長4〜7年では供養記録の重複がかなり見られる、とくに6年は殆ど重複しているし、片方に逆修と有るのに片方は無印であったりしているので、数字は正確ではないように思える。しかし、これらの数を除いても傾向はそれほど変わらない。
この記録を見る限り、越後国では、「逆修」は現代と同じような形で行われていたと言えそうである。ただ、数は少ないと言っても荒川流域の村々と同じようにタイプTの「逆修」も記録されている。
さらに、科学研究費による『奥羽地方における宗教勢力展開過程の研究=代表者今井雅晴筑波大学教授』のなかの庄内日月供過去名簿第一には順不同で慶長12(1607)から寛永10(1633)まで157件の記録があり、そのうち「逆修」が34件ある。内訳は22件がタイプUであり、11件がタイプVであり、タイプTはない。一番最後に記録された取次の1件の逆修がタイプWである。
庄内日月供過去名簿第二には寛永20(1643)から万治2(1659)まで956件が記録されているが、「逆修」は202件、そのNO92、93、94に以下のように記録されている。
正保2年5月9日(1645) 矢吹 小十良 ― 矢吹左馬之丞逆修 タイプT
正保2年5月9日(1645) 矢吹 小十良 ― 悲母逆修 タイプT
正保2年5月9日(1645) 矢吹 小十良 心月真宗 逆修 タイプU
つまり、同一人が同じ日に異なるタイプの逆修を行っている。全体とすればタイプUが圧倒的に多い
が、少ないながらタイプTもあるし、タイプVも見られる、ここでの供養対象は「自身」が多い。
また、「秋田三郡過去牒第一番」には永正16(1519)から慶安3(1650)まで、1568件が記録されているが「逆修」という表記はない。これは、事実無かったのか、記入忘れであるのかははっきりしない。
同じく秋田二郡過去牒第二番には、寛永13(1636)から寛文6(1666)の約30年2000件の記録があるが「逆修」を初出から八例抽出すると以下のようになる。
いずれも年月日は供養日と考えられ、命日は記入されていない。
NO 供養者 戒 名 関 係 タイプ別
425 承應4年4月1日(1655) 松尾 孫三 黙室道宣信男 父逆修 タイプV
523 明暦元年6月27日(1655) 加平次 妙蓮禅定尼 母逆修 タイプV
607 明暦2年5月10日(1656) 因獄内方 妙高禅定尼 逆修 タイプU
611 明暦2年5月10日(1656) 太郎左衛門 清高淨心禅定門 逆修 タイプU
691 明暦2年7月9日(1656) 甚左衛門 常見妙意禅定尼 母逆修 タイプV
765 明暦4年4月24日(1658) 川口野右衛門 ― 内方逆修 タイプT
766 明暦4年4月24日(1658) 川口野右衛門 ― 自身逆修 タイプT
767 明暦4年4月24日(1658) 川口野右衛門 ― 姑逆修 タイプT
以下略
これを見ると龍泉院過去帳に見られるタイプTとU或いはVがここでは、ほぼ同じ時期に書き込まれている事が判る。そして、これ以後の記録ではタイプTとUは少なく、タイプVが圧倒的に多く記録されている。
こうして越後国供養帳、秋田二郡過去牒、庄内日月供過去名簿、及び龍泉院過去帳での記録を見る限り、いずれの過去帳でも龍泉院過去帳に見られる「逆修」のタイプと同じように分類でき、明確に書き分けられていると言うことが判った。特にタイプTとU及びVは明らかに書き分けられていると考えて良い。これだけ明確に書き分けられていると言うことは、「逆修」に対する意識、或いは「逆修」という行為そのものが異なっていると言うことになるであろう。
龍泉院過去帳に見られる「逆」の書込の傾向と、他地域の過去帳での書込の傾向とではやや内容が異なっているようであるが、本質的な考え方は変わっていないと考えて良いであろう。
ただこれらの過去帳は日・月牌中心の学侶方寺院の過去帳であり、記録された歴史的時間も短いので単純に比較は出来ないとは思う。そして、これがどのような意味を持つのかという点については今後の研究課題になるであろう。
上記資料の他、早稲田大学の村田安穂教授が翻刻された同じ高野山西南院の「関東過去帳」(天正4〜元和2[1576〜1616])と、それより古いと思われる記録と新しい記録が入り交じっている巻の二の(享禄5〜慶長18[1532〜1613])に依ると総供養件数は935件うち逆修は234件と多い。タイプ別ではTが11件、Uが一番多く137件、Vは77件、Yが少なく9件となっている。
ここでも書込のタイプはT、U、V…とはっきり書き分けられている事が判った。
また、目白大学の有元修一教授が発表された「高野山清浄心院武蔵国供養帳(武蔵日月供過去帳)」では元亀3(1572)〜寛永14(1637)のほぼ半世紀(65年)間に供養した1016件のうち逆修は365件その割合は約三分の一と多い。供養のタイプではUが一番多く256件、次いでVが71件、Tが33件、Yが5件と続いている。ここでも、西南院と同様タイプT、U、V、は書き分けられている。
ただ、この2件の翻刻発表された資料は日・月牌過去帳であり、虫食い等による欠損文字が多く、数字は明確に逆修と読めるものの集計である。それでもタイプ別に整理できると考えられるし、出現状況も短い年月ではあっても全期間にわたってタイプ別に見ることが出来る。
このように龍泉院過去帳の「逆修」から供養の六つのタイプが判るが、それ以外の地域の過去帳(供養帳)の例を見ると、この六つのタイプのうち殆どがT、U、Vの三種類のタイプが出現している。
龍泉院過去帳に見られる「逆修」の書込から判るタイプTが多いという供養状況のパターンは記録されている年代の違いはあるが同じ武蔵国の他資料とも異なっているように思えるし、越後、秋田、庄内とも違っている。荒川流域のこの地域の中世から近世にかけての支配者の変転つまり社会の不安定(ある意味で階層の不安定)が他の地域とは異なる供養形態を生み出したのかもしれない。それに加えて、荒川流域の農村というバックグランドを持つ普通の農民が施主である事が根底にあるからかもしれない。いずれにしろより広い観点から検討を加える必要は有るであろう。
逆修供養 年代別一覧 荒川右岸分
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表の見方と、前段の『龍泉院過去帳に見られる「逆」と言う書込について』のタイプ区分の対照について:
タイプTは「戒名(既受戒)欄」の 「なし」の数字と同じ
タイプUは「対象記入欄」の「なし」の数字と同じ
タイプVは「戒名(既受戒)欄」の「有り」の数字から「対象記入欄」の「なし」の数を引いた数
| |
区分T 1589以前 |
区分U 1590〜1640 |
区分V 1641〜1690 |
区分W 1691〜1740 |
区分X 1741〜1790 |
区分Y 1791〜1840 |
区分Z 1841〜1867 |
逆修数 |
| | | | | | | | | |
| 岩渕本宿(298) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 1 | 24 | 4 | 22 | 2 | 0 | 62 |
| なし | 0 | 3 | 1 | 2 | 2 | 1 | 0 | |
| 戒名(既受戒)有り | 0 | 4 | 3 | 2 | 2 | 1 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 22 | 4 | 22 | 2 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 赤羽根村(503) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 9 | 20 | 27 | 16 | 2 | 2 | 94 |
| なし | 0 | 6 | 5 | 2 | 0 | 5 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 12 | 5 | 3 | 2 | 5 | 0 | |
| なし | 0 | 3 | 20 | 26 | 14 | 2 | 2 | |
| | | | | | | | | |
| 稲付村(432) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 1 | 4 | 37 | 35 | 30 | 27 | 0 | 140 |
| なし | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 3 | 4 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | |
| なし | 1 | 0 | 37 | 35 | 27 | 26 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 下村 (703) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 8 | 2 | 11 | 70 | 32 | 25 | 0 | 164 |
| なし | 1 | 0 | 1 | 3 | 6 | 5 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 3 | 1 | 1 | 5 | 13 | 7 | 0 | |
| なし | 6 | 1 | 11 | 68 | 25 | 23 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 梶原・堀之内(179) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 10 | 9 | 4 | 2 | 0 | 26 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 10 | 9 | 3 | 2 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 袋村 (570) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 15 | 43 | 64 | 40 | 6 | 1 | 182 |
| なし | 0 | 4 | 2 | 1 | 3 | 3 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 11 | 5 | 1 | 3 | 5 | 0 | |
| なし | 0 | 8 | 40 | 64 | 40 | 4 | 1 | |
| | | | | | | | | |
| 神谷村(385) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 4 | 21 | 38 | 27 | 0 | 0 | 94 |
| なし | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 1 | 1 | 1 | 3 | 1 | 0 | |
| なし | 0 | 3 | 21 | 37 | 26 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 豊島村(364) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 6 | 10 | 25 | 1 | 1 | 0 | 50 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 2 | 8 | 0 | 5 | 0 | |
| なし | 0 | 6 | 8 | 19 | 1 | 1 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 十條村(996) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 5 | 42 | 83 | 37 | 15 | 0 | 221 |
| なし | 1 | 0 | 3 | 19 | 8 | 8 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 1 | 1 | 8 | 20 | 14 | 10 | 0 | |
| なし | 0 | 4 | 37 | 82 | 31 | 13 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 上中里村(135) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 18 |
| なし | 0 | 3 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 3 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 7 | 3 | 0 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 瀧野川村(431) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 11 | 48 | 29 | 8 | 6 | 0 | 114 |
| なし | 0 | 2 | 0 | 2 | 6 | 2 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 2 | 2 | 3 | 7 | 2 | 0 | |
| なし | 0 | 11 | 46 | 28 | 7 | 6 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 谷津村(105) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 0 | 11 | 2 | 0 | 0 | 18 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 0 | 11 | 2 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 田端・西ヶ原(462) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 20 | 26 | 2 | 1 | 0 | 0 | 71 |
| なし | 1 | 10 | 3 | 7 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 1 | 22 | 7 | 8 | 2 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 8 | 22 | 1 | 0 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 上・下尾久(1030) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 17 | 27 | 55 | 28 | 1 | 0 | 144 |
| なし | 0 | 0 | 4 | 6 | 6 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 2 | 5 | 8 | 7 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 15 | 26 | 53 | 27 | 1 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 三河島村(610) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 1 | 29 | 42 | 21 | 16 | 0 | 0 | 127 |
| なし | 0 | 0 | 3 | 9 | 4 | 2 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 1 | 4 | 9 | 6 | 2 | 0 | |
| なし | 1 | 28 | 41 | 21 | 14 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 船方村(122) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 2 | 0 | 20 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 2 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 6 | 6 | 4 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 町屋村(332) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 20 | 9 | 12 | 1 | 1 | 56 |
| なし | 0 | 0 | 2 | 8 | 1 | 2 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 3 | 8 | 1 | 2 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 19 | 9 | 12 | 1 | 1 | |
| | | | | | | | | |
| 染井村(190) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 23 | 2 | 2 | 0 | 0 | 32 |
| なし | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 1 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 1 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 22 | 2 | 1 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 巣鴨村(759) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 2 | 51 | 21 | 11 | 2 | 0 | 102 |
| なし | 0 | 0 | 7 | 4 | 2 | 2 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 1 | 16 | 7 | 8 | 2 | 0 | |
| なし | 0 | 1 | 42 | 18 | 5 | 2 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 下板橋村(803) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 12 | 31 | 6 | 11 | 8 | 1 | 92 |
| なし | 0 | 4 | 0 | 7 | 7 | 4 | 1 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 5 | 0 | 7 | 9 | 3 | 1 | |
| なし | 0 | 11 | 31 | 6 | 9 | 9 | 1 | |
| | | | | | | | | |
| 小豆沢村(317) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 3 | 8 | 35 | 8 | 0 | 1 | 59 |
| なし | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 2 | 6 | 1 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 3 | 8 | 31 | 7 | 0 | 1 | |
| | | | | | | | | |
| 上板橋村(1657) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 9 | 103 | 94 | 57 | 36 | 9 | 346 |
| なし | 0 | 7 | 3 | 11 | 6 | 11 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 7 | 5 | 13 | 11 | 22 | 3 | |
| なし | 0 | 9 | 101 | 92 | 52 | 25 | 6 | |
| | | | | | | | | |
| 志村村(273) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 1 | 10 | 8 | 5 | 0 | 3 | 39 |
| なし | 0 | 2 | 4 | 0 | 2 | 3 | 1 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 2 | 5 | 1 | 4 | 0 | 1 | |
| なし | 0 | 1 | 9 | 7 | 3 | 3 | 3 | |
| | | | | | | | | |
| 根葉村(472) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 8 | 2 | 35 | 9 | 21 | 4 | 92 |
| なし | 0 | 1 | 0 | 5 | 1 | 5 | 1 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 5 | 0 | 5 | 1 | 4 | 1 | |
| なし | 0 | 4 | 2 | 35 | 9 | 22 | 4 | |
| | | | | | | | | |
| 蓮沼村(761) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 12 | 41 | 86 | 14 | 4 | 1 | 184 |
| なし | 0 | 2 | 6 | 6 | 12 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 8 | 16 | 8 | 18 | 4 | 1 | |
| なし | 0 | 6 | 31 | 84 | 8 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 長崎村(104) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4 | 11 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | |
| なし | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | |
| | | | | | | | | |
| 前野村(640) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 4 | 43 | 71 | 21 | 20 | 1 | 167 |
| なし | 0 | 0 | 2 | 1 | 3 | 1 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 2 | 2 | 6 | 2 | 1 | |
| なし | 0 | 4 | 43 | 70 | 18 | 19 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 新堀村(130) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 16 |
| なし | 0 | 0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | 0 | 0 | |
逆修供養 年代別一覧 荒川左岸分
-
| | 区分T 1589前 | 区分U 1590〜1640 | 区分V 1641〜1690 | 区分W 1691〜1740 | 区分X 1741〜1790 | 区分Y 1791〜1840 | 区分Z 1841〜1867 | 逆修数 |
| | | | | | | | | |
| 横曽根村(703) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 4 | 25 | 39 | 17 | 0 | 2 | 103 |
| なし | 4 | 0 | 2 | 3 | 3 | 4 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 4 | 3 | 3 | 3 | 6 | 4 | 2 | |
| なし | 0 | 1 | 24 | 39 | 14 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 鳩ヶ谷村(647) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 3 | 10 | 36 | 12 | 4 | 0 | 75 |
| なし | 0 | 2 | 1 | 1 | 5 | 1 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 3 | 1 | 7 | 7 | 1 | 0 | |
| なし | 0 | 2 | 10 | 30 | 10 | 4 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 辻村(137) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 8 | 7 | 1 | 2 | 0 | 22 |
| なし | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 8 | 7 | 1 | 2 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 差間村(166) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 6 | 0 | 13 | 18 | 0 | 38 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 6 | 0 | 13 | 18 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 行衛村(140) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 1 | 8 | 6 | 1 | 0 | 16 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 1 | 8 | 6 | 1 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 根岸村(195) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 5 | 2 | 29 | 4 | 3 | 0 | 47 |
| なし | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 1 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 5 | 1 | 29 | 3 | 3 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 西新井宿(321) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 1 | 7 | 10 | 39 | 15 | 2 | 0 | 84 |
| なし | 0 | 0 | 1 | 5 | 2 | 1 | 1 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 1 | 2 | 1 | 10 | 4 | 1 | 1 | |
| なし | 0 | 5 | 10 | 34 | 13 | 2 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 石神村(144) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 3 | 2 | 1 | 1 | 2 | 0 | 11 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | |
| なし | 0 | 3 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 中尾村(450) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 9 | 42 | 41 | 14 | 8 | 11 | 138 |
| なし | 0 | 3 | 1 | 3 | 1 | 5 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 8 | 2 | 4 | 4 | 5 | 0 | |
| なし | 0 | 4 | 41 | 40 | 11 | 8 | 11 | |
| | | | | | | | | |
| 東新井宿(194) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 4 | 11 | 18 | 10 | 1 | 2 | 49 |
| なし | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 1 | 2 | 2 | 0 | 2 | |
| なし | 0 | 4 | 11 | 17 | 9 | 1 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 道合・在家(158) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 4 | 20 | 25 | 8 | 0 | 0 | 61 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 2 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 2 | 20 | 25 | 7 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 木曽呂村(510) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 2 | 45 | 44 | 20 | 16 | 0 | 136 |
| なし | 0 | 1 | 0 | 3 | 4 | 1 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 3 | 1 | 3 | 4 | 1 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 44 | 44 | 20 | 16 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 元郷村(503) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 1 | 31 | 35 | 54 | 15 | 0 | 143 |
| なし | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 1 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 1 | 1 | 4 | 10 | 2 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 31 | 31 | 49 | 14 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 十二月田(183) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 1 | 9 | 12 | 16 | 2 | 0 | 0 | 45 |
| なし | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 3 | 11 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 12 | 15 | 1 | 1 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 新井方村(124) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 7 | 20 | 5 | 0 | 0 | 33 |
| なし | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 7 | 20 | 4 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 二軒在家(100) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 9 | 29 | 4 | 1 | 0 | 44 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 9 | 29 | 4 | 1 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 樋ノ爪村(310) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 3 | 13 | 35 | 16 | 4 | 0 | 78 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 2 | 0 | 4 | 3 | 8 | 0 | |
| なし | 0 | 1 | 13 | 33 | 13 | 1 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 領家村(117) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 4 | 21 | 1 | 0 | 0 | 27 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 4 | 21 | 0 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 里村(299) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 7 | 8 | 14 | 14 | 2 | 1 | 52 |
| なし | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 2 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 4 | 1 | 0 | 3 | 1 | 3 | |
| なし | 0 | 4 | 8 | 14 | 12 | 2 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 小淵村(363) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 3 | 27 | 46 | 27 | 6 | 0 | 120 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 6 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 1 | 2 | 4 | 6 | 0 | |
| なし | 0 | 3 | 26 | 46 | 26 | 6 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 前田村(112) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 0 | 21 | 9 | 5 | 0 | 36 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 0 | 21 | 9 | 5 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 川口村(923) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 17 | 41 | 42 | 14 | 1 | 2 | 134 |
| なし | 0 | 2 | 5 | 2 | 5 | 3 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 8 | 11 | 3 | 9 | 3 | 1 | |
| なし | 0 | 11 | 35 | 41 | 10 | 1 | 1 | |
| | | | | | | | | |
| 宮城村(119) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 7 |
| なし | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 鹿浜新田(129) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 8 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 鹿浜村(1087) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 9 | 29 | 57 | 72 | 7 | 4 | 197 |
| なし | 0 | 4 | 5 | 2 | 3 | 2 | 3 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 10 | 5 | 2 | 6 | 3 | 5 | |
| なし | 0 | 3 | 29 | 57 | 69 | 6 | 2 | |
| | | | | | | | | |
| 小台村(214) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 6 | 11 | 7 | 4 | 0 | 0 | 33 |
| なし | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 4 | 1 | 7 | 0 | 3 | 0 | |
| なし | 0 | 2 | 11 | 1 | 4 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 沼田村(301) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 1 | 4 | 10 | 7 | 2 | 0 | 0 | 28 |
| なし | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 1 | 6 | 2 | 0 | 1 | 2 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 8 | 7 | 1 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 本木村(1252) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 15 | 27 | 56 | 66 | 6 | 1 | 213 |
| なし | 0 | 16 | 12 | 5 | 9 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 7 | 20 | 7 | 24 | 5 | 0 | |
| なし | 0 | 24 | 19 | 54 | 51 | 1 | 1 | |
| | | | | | | | | |
| 堀之内村(182) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 9 | 9 | 5 | 0 | 1 | 25 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 9 | 9 | 5 | 0 | 1 | |
| | | | | | | | | |
| 彌五郎新(242) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 6 | 11 | 9 | 8 | 1 | 0 | 38 |
| なし | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 9 | 0 | 2 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 6 | 4 | 9 | 7 | 1 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 五兵衛新(361) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 7 | 6 | 11 | 11 | 2 | 0 | 39 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 5 | 9 | 1 | 0 | |
| なし | 0 | 7 | 6 | 7 | 3 | 1 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 治郎兵衛(291) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 7 |
| なし | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 伊藤谷村(376) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 1 | 8 | 36 | 6 | 0 | 1 | 58 |
| なし | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 1 | 8 | 4 | 0 | 1 | 1 | |
| なし | 0 | 0 | 5 | 32 | 6 | 0 | 0 | |
| | | | | | | | | |
| 浮間村(369) | | | | | | | | |
| 対象記入 有り | 0 | 4 | 28 | 56 | 12 | 15 | 0 | 133 |
| なし | 0 | 0 | 5 | 2 | 5 | 6 | 0 | |
| 戒名(既受戒) 有り | 0 | 4 | 9 | 6 | 13 | 18 | 0 | |
| なし | 0 | 0 | 24 | 52 | 4 | 3 | 0 | |