福 井 「永平寺の清廉」
冬の永平寺にTakaさんと出掛けたのは某年2月中旬の冬ど真ん中であった。
京福電鉄の観光バス(Tel 0776-22-5720)に乗り訪れた。
観光客を除けば、そこは一面の白い雪と僧侶たちの墨衣が彩なす一幅の水墨画の世界である。
寺内に入ると広報担当の僧侶が一同を大広間に案内し、そこで寺の歴史や概略などを説明する。
それが終わると後は自由見学である。
僧侶から注意があった『写真・ビデオを撮るのは自由ですが僧侶にはレンズを向けないで下さい』と。
逆に言えば僧侶にさえレンズを向けなければ全て撮影OKなのである。
昔から寺に伝わる仏像や彫刻、絵画などの重文もの、柱や梁に施された多彩な装飾彫刻等々の見えるもの全てOKである。
勿論、立入禁止場所の中に立ち入っての撮影は不可であるが外から撮るのは構わない。
これには本当に驚き『撮影禁止』に慣れた耳目には新鮮に響いた。
本来、寺社は衆々の為のものの筈なのだから永平寺の態度は当然なのかも知れないが各地の寺社、特に観光地の寺社で撮影OKの所は殆ど無いので、特に清々しく毅然たるものを感じた。
撮影不可の寺社でも売店には絵はがきや写真集などを賑々しく置き販売している。
要するにそれらの寺社は衆々の寺社を私物化し金儲けに奔走しているのである。
もし、種々の理由で損傷すると言うのであれば修復をすればよい。
現に昔から有る寺社はそれぞれの時代から修復に修復を重ねて維持し現存しているのである。
絵画も仏像もそうすれば良いではないか、と言うより実際に修復は行われている。
その為に参拝者は高い拝観料を払わされている。
それとも拝観料は全く別の事に使われているのであろうか。
各地の有名無名の寺社は果たして僧侶や神官の所有物なのであろうか。
寺や神社は檀家や氏子、それらを持たなくても周囲、地域そして全ての人々のものなのではないだろうか。
永平寺の清々しい態度をみて、改めて金儲けに走る寺社へ疑問を感じた。

写真:永平寺 Taka 文章:Roshi
 

戻る