我は求むる。然らば与えよ。
『求傷』
髪を滑る指はただ優しく、酷く居心地が悪い。
いっそ刃を向けられている方が落ち着くとさえ思う。
背後から抱きかかえるような体勢で己が髪に顔を埋める異人を、名無しは振り返ることも出来ずにいた。
何の冗談だろうか。頼みもしないのに髪を洗われた。
武骨そうな指先は意外な程繊細に髪を梳く。
湯と混じって流れ落ちる染料を気に留めるでもなく、羅狼は丁寧に髪を流してくれた。
煎じ薬を髪に塗ろうとしたところで竹筒を奪われ、仕方が無いからと湯に浸かればゆるく抱き締められ現在に至る。
髪の間を指が通る感触は悪くない。
眠気を催すくらいに柔らかな指の動きは、幼子の時分に得られなかった優しさを教えてくれるようだ。
背を預けているのがこの男でさえなかったら。
時折降ってくる口付けは耳を通って首筋へと辿り着いた。
啄むように唇を滑らせる。
吐息が、濡れた肌を撫でた。
「…あのときの痕は、消えてしまったか」
名無しには分からぬ言葉で、異人が囁く。
腰に回していた腕を持ち上げ、掌で喉骨をぞろりと撫で上げられた。
曝け出された首筋に羅狼の舌が這う。
深く、牙を突き立てられたときの感覚が過った。
無言のまま手を弾くが、逆に捉えられる。
絡みつく指先が酷く熱かった。
このままでは絡め取られると足掻いたところで逃れる術はない。
それでも名無しは抵抗を止めなかった。
手を振り払おうと身を捩り、水面を叩く。
そうでなくては面白くない。
羅狼は口許に孤を描くと、名無しを抱き上げ手近な岩の上へと座らせた。
相手は更に暴れたが構いはしない。
両膝に手を差し入れ、左右に割り開くと下帯をずらした。
顔目掛けて蹴りが飛んできたが、足首を捕まえて更に開く。
いつぞか楔を打ち込んだ箇所を覗き込んだ。
「こちらも分からないな。実に残念だ」
悔しそうな男の歯軋りが聞こえる。
無理矢理高く上げさせられた足の筋が痛むのか眉根を寄せ、短く息を吐いた。
視線が殺気を孕んで突き刺さる。
その心地好さに羅狼は眩暈すら覚えた。
刃を交えたときに近しい恍惚を、この男は与えてくれる。
笑みはそのままに、羅狼は押し開いた箇所に乱雑に指を突き入れた。
湯のぬめりなど何の役にも立ちはしない。
男の顔が内腑を抉る痛みに歪む。
掴んでいた足首が不規則に強張った。
踵が頬を掠める。
「なっ…!」
逡巡した後、羅狼は再び名無しを抱え上げると湯の中へと引き摺り込んだ。
落ちる感覚に思わず首にしがみ付く。
僅かに異人の口角が上がったのは気のせいだと思いたい。
不覚にもまた抱きすくめられてしまっていた。
脚を蹴り付け、胸板を押し返すが効果はない。
暴れる名無しを片腕で抱き留めながら、羅狼は然して解してもいない秘所に怒張を宛がった。
斬り付けられるより重く熱い痛みで上がりそうになる呻き声を噛み殺す。
歯の軋む音を聞きながら、体はずるずると引き下げられていった。
脳天まで串刺しにされたのではないかと思うほどに深く、異人が這い入ってくる。
せめてもの抵抗に肩を掴むが、しがみ付くのが嫌で指先を握り込んだ。
肘が羅狼の白い肌の上を滑ってゆく。
そのときの異人の顔は、滑稽と言ってもよいくらいに憮然としたものだった。
理由が分からず、名無しの方が驚いてしまう。
頑是無い幼子が玩具を取り上げられたときのそれと似ていると、名無しは思った。
蒼の視線の先を追い、ややあって理由に気付く。
「…ああ、残念だったな。あんたにはくれてやらん」
わざと顔を覗き込んで、悪戯っぽい笑みと共に告げてやった。
眉間の皺が深くなったところを見ると意図が通じたらしい。
些細なことだが一矢報いてやった。
それが愉快でたまらない。
喉奥から笑いが込み上げてくるようだった。
羅狼は憮然とした表情のまま、一気に名無しの体を引き下ろした。
網膜に星が瞬く。
不安定な体は上下に揺すられ、何もかも引き摺り出されそうだった。
しかし名無しの爪は羅狼を捉えることなく掌に食い込む。
濡れた肌は重力に抗えず滑るばかりで、より結合を深めた。
抱きかかえた両腕で加減しつつ、最奥を抉ってゆく。
咆哮が腹の底から溢れ出そうだ。
己が肩に額を預ける恰好になっている傷だらけの男の表情は、血潮より深い色の髪で隠れて見えない。
嬌声とも悲鳴ともつかぬ声が、喉奥で燻っては掻き消された。
この男は決して自分の望むとおりに与えてはくれない。
だから欲するのだろうか。
治まる先を知らない感情の赴くまま、血が歓喜で沸き立つような一瞬だけを。
ふと、顔を上げた男と目が合った。
赤と青、近くて遠い色がひと時の邂逅を得る。
どちらも引かぬままに、波紋だけが途切れることなく作られていった。
(2008/01/31)
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