刻み込む。その興奮を
『情噛』
「傷を受ける感覚とは、どのようなものだ?」
浅黒い肌の上、そこだけ夜目にも明るい傷痕に舌を這わせ、金の狼が囁く。
組み伏せた男には言葉が通じぬと分かっているが、問い掛けずにはいられなかった。
男は耳慣れぬ異国の言葉に一瞬動きを止めたものの、腕の中から抜け出そうとまた暴れ出す。
夜空を流し込んだように黒い髪が羅狼の頬に当った。
足掻く男の着物の合わせ目から右手を差し入れ、見えぬ肌を弄る。
「っ…」
喘ぐ胸の上に走る傷痕。
見えずとも指の感触だけで分かるそれは、随分と古いもののようだった。
辿れば一つは肩口まで続いている。
左の手を捲くれ上がった袴から差し込んだ。
太腿にも、縦横に傷が走っている。
「は…なせ…!」
組み敷かれた男は肩越しに異人を睨み付けた。
橋の上で初めて対峙した時、目深に被った笠で隠されていた顔の傷が月明かりに照らされる。
赤味がかった瞳とそれを縁取る傷痕。
「そう…それだ…」
抜き放った剣越しに見たそれに、羅狼は強く惹かれたのだ。
羅狼は笑みを浮かべると、力任せに男の衣服を引き裂いた。
明のものとは作りの異なる装束は、ゆとりがあるようでなかなか剥ぎ取れない。
下腹部に絡み付いていた布を無理矢理除くが、衣を男から完全に奪い取ることは出来なかった。
千切れた布地の隙間から覗く無数の傷。
その全てを愛しむように、羅狼は指でなぞった。
「やめろ」
男の声は怯えるでもなく、ただ静かに諭すようだ。
言葉は通じずとも、言いたいことは伝わる。
だがここで止められるほど、羅狼の激情は生半なものではなかった。
指でなぞった傷を今度は舌で味わう。
薄く盛り上がったり、反対にへこんでいたりする傷痕の感触は舌先から脳へと伝わり、全身を駆け抜けた。
下肢がいきり立つのを感じる。
「ぐっ!!!あああっ!!!」
衝動のまま、肉刀で斬り裂いた。
男の指が地を掻き毟る。
赤く濁った血が腿を伝って土に吸い込まれた。
月光を弾くその色に、羅狼は目を細める。
「傷を受ける感覚は、俺には分からん。だが」
男に埋め込んだ自身を引き抜き、傷痕を汚す赤に唇を寄せた。
音を立てて啜り、舌で舐め取る。
滑るその感触に、男は肌を震わせた。
今まで無数の人間を斬ってきた。
どれもこれも一瞬で刈り取れてしまうささやかな命。
自分を奮い立たせるような強者はなく、募るのは虚無感ばかりであった。
だがこの男はどうだろう。
これほどの傷を受け、痛みを受けてもなお立ち上がろうとしている。
眼に宿る光は絶対的な力の差を味わおうとも失われることがなく、更に輝きを増していく。
この強さこそ、羅狼の欲していたものだった。
羅狼は男の肩を地面に押し付けると、幾度も幾度も刺し貫いた。
その度に血が流れ、抽挿に勢いを与える。
男の口からは意味を成さない言葉が溢れたが、力を失うことはない。
羅狼は笑みが深まるのを感じた。
乱暴に男の髪を掴み、上向ける。
「傷を与える感覚は、なかなかにいい」
露になった首筋へと歯を立てると、深く深く喰らいついた。
(2007/11/30)
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