ずっとなんてきっとない
だから



     『このひとときを』



吐き出す息の白さに身震いする。
重く垂れ込めていた空からはひとつ、ふたつと花弁に似た雪片が舞い落ちていた。


「はぁ〜。今夜も冷えそうだなぁ、名無し」
「ああ…」


空を眺めていた仔太郎は、竹筒の栓と格闘している名無しを振り返った。
話は聞いているものの、右から左に抜けている。


「貸せって。やってやるから」
「すまんな、仔太郎」


岩造りの湯船から出ると、名無しから竹筒を奪って髪に木の実の煎じ液を塗ってやった。
赤い髪がみるみる黒く染まってゆく。
丁寧に塗りつけながら、仔太郎の視線は名無しの右腕から離れなかった。

赤池での一戦で右腕が使えなくなった名無しは、全てのことを左の手一つででしなければならなくなった。
意識を取り戻した直後は着替えるのにも難儀していたほどである。
自分を助けに獅子音の砦へ駆けつけてくれた名無しに感謝しているものの、やはり心苦しさは拭えない。


「明日は大晦日か。忙しくなりそうだ」
「う、うん…」


一行は今、とある寺に厄介になっている。
旅の途中立ち寄った村で、宿を借りるついでに年を越すまで滞在すればいいと勧められたのだ。
寺には少々嫌な思い出があるが、ありがたい申し出だったので世話になることにした。

掃除やら薪割りやらの雑用を手伝いながら、仔太郎はたまに僧達から学問を習ったりしている。
利発なので僧達に気に入られているようだ。
合間に仔太郎は名無しにいろはを教えている。
左手で筆を握るところから始めなければならなかったため、最初はよく筆を落としていたが、だんだんと字らしいものが書けるようになってきている。
このまま居座るつもりはないものの、なかなかに快適な生活であった。


「俺の名もいつの間にか太郎になったしな」
「う゛っ…わ、悪かったって言ってるだろ!」


仔太郎は思わず怒鳴った。
その拍子に髪を引っ張られた名無しが小さく呻く。
「ごめん」と小さく謝って、染め終えた頭を撫でてやった。

村で親子と勘違いされたのでそのままで通しているのだが、「父上の名は何という?」と住職に聞かれた仔太郎は咄嗟に「太郎」と答えてしまったのだ。
それ以来、名無しはこの村で「太郎殿」と呼ばれている。


「ちゃんとした名を考えてやるから、村を出るまでは我慢してくれよ」
「名などいらんさ」
「でもなぁ…!」
「呼ぶのはお前だけだろう?ならいらんさ」


この男はたまにとんでもないことを言う。
思わず仔太郎は固まってしまった。

それはこの先も一緒にいられると、いてもいいということなのだろうか。
巻き込んで、片腕を使い物にできなくしてしまったというのに。

どこか異国にでも行ってしまおう。そう誘ったのは仔太郎だ。
それでよいと、一緒にいてもよいと名無しも思っていると受け取ってよいのだろうか。

少しだけ、ほんの少しだけ涙ぐんでしまった。


「…仔太郎?」
「な、何でもないよ!」
「ぶっ!!!」


勢いよく染め終えたばかりの頭に湯をかけると、仔太郎は再び湯船へと飛び込んだ。
名無しは呆気に取られている。


「何だ?どうしたんだ?」
「何でもないって言ってるだろ!」
「そうは見えないんだが…」
「何でもないったら何でもない!飛丸!上がるぞ!」
「わう?」
「あ、おい…」


慌しく着替えて立ち去ってしまった仔太郎の背を見送り、一人肩を竦めた。
どうしたというのか検討がつかない。
少し前まではそんなことを考える必要などなかった。
考える相手がいなかったからだ。

思えば奇妙な縁で一緒にいる。
このまま一緒にいられるのか、また以前のように別々に生きてゆくのかは分からない。
きっと、ずっと一緒にはいられない。

永遠などどこにもない。別離のときはやがてやって来る。
だからこそ、今こうして傍に居られるひとときを大切にしたかった。
純粋にそう思える自分がいた。

こんな自分を見つけてくれたのは仔太郎だ。
当の本人はそんなことこれっぽっちも思ってはいないだろうが。


「来年は賑やかになりそうだ」


それが名無しには、ただ嬉しかった。



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2008年年賀企画で名無しSSをリクエストして下さった方々に送りつけたお話です。
私の趣味で擬似親子ネタになりました。

名無しと仔太郎、素直に言えずとも思うは同じ。
新年だったのに年末ネタですみません。
名無しの名前は軽い冗談ぜよ。


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