特別な人が作ってくれたものは 何だってご馳走なんだよ



     『お味はいかが?』



その日、フィールの家に暮らす8名+猫1匹は食卓に集合していた。
集合を言い渡したのはアルミラで、彼女以外はなぜ集められたのか知らないままでいる。
一同の視線はアルミラへと注がれていた。
当のアルミラは腕を組み黙然としたままである。


「おいアルミラ。もったいぶってねぇでさっさと始めろよ」


痺れを切らしたレオンが頬杖をついたまま不機嫌そうにアルミラを睨む。
アルミラは嘆息すると、瞑ったままだった目を開いて重々しく口を開いた。


「皆に集まってもらったのは他でもない。現在我々が直面している問題について、知っておいてもらいたいのだ」


一旦言葉を切ると、アルミラは何やらノートを取り出した。
全員の視線がそこに集まる。


「これは我々の生活費の出入を記録したものだ」
「家計簿、付けてくれてたんだ」
「ただこの家に厄介になる訳にもいかないからな」


感心しているフィールに軽く微笑むと、アルミラはいつものポーカーフェイスに戻って言葉を続けた。


「端的に言えばこの家の経済状態はよくない。8人で共同生活をしてるのだから仕方のない部分もあるのだが…エンゲル係数が高すぎる」
「えんげるけいすう、って何だ」
「生計費中に占める食費の割合のこと(岩波書店 新村出編『広辞苑』第四版参照)だ。貴様そんなことも知らんのか!OZの名が泣くぞ!」
「るせーな。んで、そのえんげるがどうしたんだよ」
「要するに我々は食費がかかりすぎている、ということだ。この人数ではそうならざるを得ないかとも思ったが、理由はそれだけではない」


家計簿を開いて全員に見せる。
そこにはびっしりと誰が何を買ったのかが書き記されていた。


「アルミラ…あんたよくここまで調べたわね…」
「そう難しいことでもない。基本的にまとめて買い出しに行っているからな」


アルミラは家計簿を捲りながら言葉を続けた。


「フィールは生活に必要なものを最低限しか買わないからいいとして、レオンは買い食いし過ぎだ。あとヴィティスにガルム、お前たちは高級食材を買い過ぎている」


ちなみに基本的に料理当番なのがフィール、ヴィティス、ガルムなのでその日の当番と、時折フィールにくっついていくレオン以外は買い出しに行く機会が少ないのだ。


「最高級の食材を使ってこその料理だろうが!」
「私もガルムの意見に賛成だ。それにこの家にはあまり調味料や香草が揃っていなかったから、買い揃えるのに多少かかるのは仕方のないことではないか?」
「確かにお前たちの料理は美味しい。だが毎日のこととなると材料費を考えてもらわなくては困る」


至極尤もな意見に流石のヴィティスとガルムも黙ってしまった。
二人の料理は所謂男の料理で、美味しいが材料費を考慮していない。
対照的にドロシーとの二人暮しが長かったフィールは残り物でもおかずにしてしまえる家庭の料理だった。


「二人に食事を作ってもらえて助かってたけど…やっぱり僕が作ろうか?」
「あたしも作るわ」
「ジュジュ、君が?」
「失礼ね。料理くらい出来るわよ」


ここに来てからは作ったことがなかったが、ジュジュとて料理は作れる。
ヴィティスとガルムが料理好きなのを知っていたため作らなかったらしい。
作ろうものなら二人から口煩く批評を言われるのは目に見えているからだ。

他人に指図をされるのが嫌いなジュジュは食事の仕度を手伝うのも嫌いだった。
本当はアルミラやドロシーのようにフィールを手伝いたかったのだが、そんなこと言える筈もない。


「まあ見てなさい。とっておきのを作ってあげるから!」


自信満々にジュジュは宣言した。




次の日、食卓には何やら赤い液体が並べられていた。
色だけでなく、空中を漂う粒子の所為もあって目が痛い。
刺激の強い匂いも立ち込めていて、鼻が利かなくなってしまった。


「おい小娘…これは何だ…?」
「見て分からないの?トムヤムクンよ」


よく見れば魚介類が入っているが、真っ赤なスープで殆んど見えない。
見ているだけで咽喉が痛くなりそうだった。

トムヤムクンといえば辛くて酸っぱいタイの基本の味だ。
タイ語で「トム」は煮る(ゆでる)、「ヤム」は混ぜる、「クン」は海老の意味である。
激辛好きのジュジュらしい料理ではあるが、いくらなんでも赤すぎる。
食通のガルムがジュジュに食って掛かった。


「貴様、一度でもトムヤムクンを作ったことがあるのか?」
「何度か作ったことあるわよ。美味しそうでしょ?」
「どこがだ!これでは出来損ないのトマトスープ以下だ!」
「なんですって?!」
「トムヤムクンは辛い料理ではあるが、辛さの奥に香るスパイスの爽やかさが不可欠だ。レモングラスやカーの香り、 海老のうまさ、唐辛子の辛み、ライムの酸っぱさが調和していなくてはトムヤムクンとは言えない」


ガルムに続き、ヴィティスも口を挟んできた。
多少の小言は想定していたものの、食べる前からこれでは煩くて敵わない。
ジュジュは眉を吊り上げ不機嫌そうに二人を睨んだ。


「三人とも落ち着いてよ。折角ジュジュが作ってくれたんだから食べてみよう」
「これ、食えるのか?」
「言うなレオン」
「うっるさいわね!あんたみたいなケダモノには料理の味なんて分からないのよ!」
「ジュジュ!落ち着いて!」


今にもレクスをぶっ放しそうな勢いのジュジュを宥め、フィールは皆を座らせる。
だが誰も食べ始めようとしない。
このままではジュジュに失礼だと思い、震える手でスプーンを握ると赤すぎるスープを一口啜った。


暫しの静寂が食卓を包む。


「…大丈夫か?ボウズ」
「どうした、フィール」


やっとの思いで顔を上げると、フィールはゆっくりと口を開いた。


「……ごめん…ドロシー…」


そのまま真後ろに倒れこむ。
フィールは気を失ってしまった。


「え、ちょっとフィール!何なのよそのリアクションは!!」
「何ってそのまんまだろうが!お前の料理が辛すぎたんだよ、ガキ!!」
「辛い方が美味しいじゃないの!」
「限度というものを知らんのか貴様は!!」
「あたしはこのくらいじゃないと味がしないのよ!」
「これはちょっと辛すぎかも知れないよ、ジュジュ」


立ち上がって口喧嘩を始めた三人が振り返れば、カインが悠然とトムヤムクンを食していた。
辛いと言っている割には平然としている。
カイン最強伝説に新たな1ページが付け足された瞬間だった。


「お前は食べても平気なのか?カイン」
「好みの味ではないけれどね。アルミラも食べてごらんよ」
「遠慮しておこう」


試しにヴィティスも一口食べてみたが、フィール同様倒れることとなった。
トムヤムクンはガルムによって味が手直しされた。
匂いが充満しているので、それでも通常のものより辛く感じる。


「この美味しさが分からないなんて、みんなどうかしてるわ」
「どうかしてるのは貴様の味覚だ」
「なんですってー!!」
「やめないか二人とも」
「フィール、もう大丈夫なのかい?」
「大丈夫だよ」


フィールとヴィティスも気絶から回復し、食事に手をつけている。
ジュジュは申し訳なさそうな視線を送りつつも、素直になれない性格が災いしてフィールに謝れなかった。
美味しいと言ってもらいたかったのに、そんな気持ちは隠してつっけんどんにしか話しかけられない。


「もうあたし作らないからね」
「ごめんよジュジュ。辛いものは君ほど得意じゃなくて…」
「べ、別に謝らなくていいわよ」
「今度は私が作るね、お兄ちゃん」
「ドロシーが?」
「うん。いつもお兄ちゃんのお手伝いしているし、作ってみようと思うの」


ドロシーはジュジュのように極端な味の好みではない。
それに安心して一同は次の食事当番をドロシーに任せることにした。





あくる日、食卓に並べられたのはハンバーグであった。
芳しい匂いが食欲をそそる。


「ごめんなさい。ちょっとコゲちゃったの…」


確かにやや焦げが強いが、食べられないほどではない。
フィールはしゅんとしているドロシーの頭を優しく撫でてあげた。


「大丈夫だよ、ドロシー。ハンバーグは焦げ目がついてるくらいの方が美味しいんだから」
「本当?」
「ああ。だから早く食べよう」
「うん!」


味の方はなかなかに美味しかった。
トトは「絶品ですな、ご主人」とひたすら褒めちぎっている。
多少焦げていようとも、最年少のドロシーが作ってくれた料理にとやかく言う者はいなかった。

ただ一人を除いて。


「…おい。何で俺のだけこんなに黒いんだ?」


レオンの前に置かれた皿にあるのは焦げを通り越した黒い物体だった。
好物の肉もここまで炭化してしまっては食べられない。
故意にやったとしか思えないが、言ったところでどうにもならないということをレオンは学習していなかった。


「レオン。ドロシーが作ったものに文句があるなら私が聞くよ?」
「文句も何も明らかに炭だろ、コレじゃ」
「多少の失敗は誰にでもあるものさ。ところでレオン」
「何だよ」
「食後の運動でもしないか?たまには動かないと体が鈍ってしまってね」
「俺はまだメシ食ってねぇぞ」
「君に拒否権なんてないんだよ」
「私も片付けが終わったら行くね」
「ああ。待ってるよ、ドロシー」


カインは優雅に立ち上がると、レオンの襟首を引っ掴んだ。
何が何だか分からないという顔をしたフィール以外はこれから起こるであろう惨事を思ってレオンに同情する。
同情はするが誰もカインを止めようとはしなかった。
そんなことをしようものならどんな目に遭わされるか分かったものではない。

触らぬ魔王に祟りなし、である。


「あ、ちょっと父さん!」
「そうだフィール。明日は私が食事を作るよ。」


フィール専用の優しい笑顔でそう告げると、カインは裏庭へと消えていった。
その日の夜、レオンは戻って来なかった。





翌日、カイン作のポトフが食卓に上っていた。
意外にもマトモな料理の登場に、胃腸薬を用意しようか悩んでいたヴィティスの心配は杞憂に終わった。


「お前の母さんが教えてくれたんだ」
「母さんが?そうなんだ…」


肖像画の母の顔を思い出し、フィールは目頭が熱くなりそうなのを堪えていた。
涙脆いガルムも涙腺を緩ませている。

湿っぽいのはそこそこに、一同は食べ始めた。
味付けは薄めにしてあるが、味が具によくしみこんでいて美味しい。
煮込み料理ならどの皿でも同じだろうと昨日筆舌に尽くし難い凄惨な目に遭ったレオンも食べ始める。

レオンはまだまだ甘かった。
どちらかというとカインがとっても辛かった。


「ぐああああああっ!!」


レオンは気を失った。
皿に顔を突っ込み、体は小刻みに震えている。


「レオン!どうしたんだ?!」


慌ててフィールが助け起こし、レオンは一命を取り留めた。
アルミラが持って来てくれたタオルで顔を拭いながらカインを睨みつけるものの、カインは胡散臭い穏やかな笑顔を寄越すばかりだ。


「こんなんじゃ命が幾つあっても足りねぇ!次は俺が作るぜ!」
「えぇ!!レオン、料理なんて作れるのかい?」
「まあな。腰が抜けるほど美味いモン作ってやるよ」


さり気なくフィールの腰に回した手の甲に、深々とフォークが突き刺さった。
誰が投げたのかなど考えるまでもない。
当然フィールの死角になっているところから投げている。
レオンはフォークを抜き取り、加害者にガンを飛ばした。


(てんめぇ!俺に何の恨みがあるってんだよ!!)
(可愛い我が子の貞操を守るのは親としての責務だからね)
(同意の上だろうが!)
(そんなこと、知ったことではないよ。君とは長い付き合いだけれどそれはそれだ)
(俺のどこがいけないっつーんだ!!)
(君のことは嫌いじゃないが…フィールに関することとなると気に食わないんだよ。それにほら、君もスリルがあっていいだろう?)
(こんなスリルいらねぇっての!!)


「…まるで嫁をいびる姑だな」


アルミラの発言に新OZメンバーだった三人は深く頷いた。





翌日、食卓を飾ったのはカレーライスであった。
焦げた様子もなく、一見マトモなカレーであった。


「貴様にしては食べられそうなものを作ったな」
「まあ食ってみろよ。レオン様特製カレーだ!」
「……やっぱり…オズ・ライオンだったのか…」
「どうしたの?お兄ちゃん」


フィールは複雑な表情でレオンを見つめていた。
不思議そうに見上げてくるドロシーに何でもないよと言いながらも、フィールの目はレオンとアルミラから離れなかった。

一同は席に着くと、とりあえず食べ始めた。
だが一匙目でそのカレーのおかしさに気付く。


「貴様ァ!何だこの肉しか入っていないカレーは!!」
「肉が多い方が美味いだろ?」
「これでは風味も何もあったものではないな…」
「特製と言ったのはその所為か」
「これ、辛くないんだけど」
「中辛だぞ!この味オンチ!!」
「お父さん、あんまり美味しくないね」
「こんなものを食べさせるなんて…覚悟はいいかい?レオン」
「だーーっ!!ゴチャゴチャ煩ぇな!おいフィール!お前はどうなんだよ。美味いだろ?」


ぐるりと振り返り、レオンはフィールを見据える。
いきなり話を振られて驚くフィールであったが、表情を繕うでもなく自然に答えた。


「すごく美味しいと思うけど」


ほらみろ、と言わんばかりに一同を見回すレオン。
皆が信じられないものでも見るようにフィールの顔を凝視する。
フィールはどうしてそんなに皆が驚くのか不思議でならなかった。


「僕…そんなに変なこと言ったかな…?」
「変よ!あんた味覚おかしいんじゃない?」
「フィール、はっきり言ってやった方がレオンのためだ」
「妙な気を遣うな、小僧」
「君の息子は君に似なかったようだな」
「親友といえど、私は容赦しないよ。ヴィティス」
「お兄ちゃん、具合でもよくないの?」
「お前らなぁ!フィールが美味いって言ってんだからそれでいいだろ!」


レオンがテーブルをひっくり返しそうな勢いで喚いた。
だがアルミラに足の甲を思いっ切り踏まれ、仕方なく座る。
文句を言いながらも全員完食はした。

結局、料理当番は当初のままフィール、ヴィティス、ガルムの三名に落ち着くこととなった。
ヴィティスとガルムは栗原は●みのすてきレシピを購入して家庭料理を研究するという。
ジュジュもこっそり料理の勉強をしようと思った。





「ったく。このカレーのどこがマズイっつーんだよ…」


乱暴に皿を洗いながらレオンはぶつくさ文句を言っていた。
結構自信作だったらしい。
手伝っていたフィールは暫しその横顔を見つめていたが、やや恥かしそうにしながら口を開いた。


「ねえレオン。もしよかったらまた作ってくれないか?」
「あぁ?構わねぇけどお前、そんなにカレー好きだったのか?」
「いやそういう訳じゃ…僕はイエローじゃないし…」
「何言ってんだ?お前」
「え?ああ、独り言だから気にしないで。あははは…」


フィールは食べ物の好き嫌いがない。
特別嫌いなものがなければ特別好きなものもなかった。
だからまた食べたいと思うものがあることは稀である。
カレーくらい自分でも作れるのになぜだろうと考え込むフィールであった。


「ま、作るのはいいけどよ。それなりにこっちもいただくぜ?」


黙り込んでしまったフィールの腰を抱き寄せて耳元で熱っぽく囁く。
フィールの頬がほんのり赤くなった。
だがその余韻を味わう間もなくレオンの後頭部にフライパンが投げ付けられる。
レオンに安息の時が訪れるのは、カインの気分次第だった。



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