「なぁ佐助、知っておるか?」
「何がです?」
「異国では挨拶の際、頬に接吻するそうだ」
「ふ〜ん…」


佐助はとても嫌な予感がした。
そして九分九厘佐助の感は当たるのだ。
特に幸村が何かやらかしそうなときには。


「異国の文化に通じている政宗殿ならこのこともご存知だろう。そこで異国式の挨拶を試して来ようと思う」
「旦那…止めませんけど鼻血は拭いてから出かけなさいよ」


懐紙を渡してやりながら、佐助は盛大に溜息を吐いた。




奥州青葉城。
草木の生い茂る庭には空を斬る音だけが聞こえている。
ここの主である政宗だ。
多趣味でいつも何かしていないと落ち着かない性質の彼は只今鍛錬中であった。

政宗が六爪流などという荒業をやっているのはその隻眼ゆえである。
両手に得物を携えることで隙の出来やすい右側を補っているのだ。
今は六本も持っていないが、六爪流は握力が不可欠なので日々の鍛錬が欠かせない。
正眼に構えた木刀には錘が巻きつけてあった。
それを脇に引き寄せ、虚空に向かって突き出す。


「……来る」


次の瞬間。


「むぅわさむねどのおおおおおおっ!!」


土煙と共に幸村が現れた。
政宗は挨拶代わりに木刀で殴り飛ばす。
走り込んで来た勢いもそのままに、幸村は植え込みに頭から突っ込んだ。
何故かとても嬉しそうな顔をしている。
幸村は即座に回復すると、政宗の前まで駆け戻ってきた。


「よぉ、久しぶりだな」
「お邪魔致します!本日はお日柄も良く!!」


どこの見合いの台詞だ、と突っ込みたい気持ちを抑えて政宗はちらちらとこちらを窺う幸村を見遣った。
だが目が合えば恥かしそうに目を伏せてしまう。
顔まで赤くなっており、正直扱いに困った。


「しかしアンタもよくのこのこと奥州までやってくるよな」
「政宗殿にお会いするためなら地の果てまでも参る所存!」


真っ赤な顔で叫ぶ幸村にくつくつと笑う政宗。
傍から見ればそれなりに仲良く見えないこともなかった。
たぶん。


「まぁ上がれよ。茶くらい出すぜ?」
「あ、あのっ!その前に政宗殿にお聞きしたいことがあるのですが…」
「Ah?何だ?」


先程からこちらを盗み見ていたのは何やら聞きたいかららしい。
とりあえず聞いてやることにした。


「そのっ…政宗殿はい、異国の挨拶の仕方をご存知でござるか?」


意を決して幸村が尋ねる。
何を言い出すんだこの熱血爆走男はと訝しんでいたが、幸村の言わんとしていることが読めた政宗はニヤリと口元を歪めると幸村に向き直った。


「ああ。知ってるぜ?」
「で、ではその…」
「俺にやって欲しいのか?」


暴走野郎の幸村が思わず固まる。
まじまじと政宗を見つめた。

まさか政宗から異国式の挨拶をしてくれると言い出すとは。
思いもよらなかった展開に、幸村は鼻血を噴きそうになった。


「ま、政宗殿?それは真でござるか?!」
「Ya. Kissくらいしてやるよ」


幸村は勢いよく鼻血を噴き出した。
さっと避けながら、政宗は幸村に手を伸ばす。
これ以上ないくらい甘い笑みを浮かべ、幸村の頬に触れた。
真っ赤になった頬の熱に、笑いが込み上げてきそうになった。

どくどくと、これ以上ないくらいに心臓が早鐘を打つ。
幸村は緊張のあまりぎゅっと目を瞑った。
政宗の唇が、頬に近付いて来る。
頬はますます熱を持った。

薄い唇が、頬を掠めようとしたその刹那。


「…まさか本当に俺がKissしてやると思ったのか?」


強烈なアッパーカットが鼻血に塗れた幸村の顎にクリティカルヒットした。
放物線を描いて幸村が宙を舞う。


「十年早ぇんだよ」


鼻血と共に紅蓮の弧を描いた幸村を庭に放置し、政宗は一風呂浴びようと立ち去っていった。





「旦那〜…いい加減独眼竜の旦那の考えそうなことは読みましょうよぉ〜。アンタ仮にも智将なんでしょ?」


幸村を引き取りに来た佐助は、うっとりした表情で地面に転がっている上司の姿を見てまた胃の腑がきりりと痛むのを感じた。

心労は労災に含まれるのか。
そもそも労災など出るのだろうか。
佐助の苦労は続く。



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