その日、伊達軍に激震が走った。



   『重綱が来た』



「て、敵襲っ!!!」
「数は?!」
「分からねっす!ただシメに行った10名以上を瞬時に撃破されました!」
「随分荒っぽいな…どこの連中だ?」


知らせを受けた成実は愛用の棒を引っ掴むと城外へと飛び出した。
内門まで駆け抜けたところで不敵な闖入者と遭遇する。


「へぇ…こりゃあまた…」


その姿を見た成実は思わず感嘆の声を漏らした。
どんな剛の者が来たかと思えば、端麗な容姿の少年だったのだ。

年の頃は14、5歳といったところだろうか。
絹を思わせる黒髪の下、気の強そうな双眸が印象的だった。
背丈は成実より低く、線の細い体躯は成長期独特の危うさがある。
抑え難い殺気が溢れているものの、良家の子息のような気品を漂わせていた。

まさかこの少年が単身伊達の居城にやって来て、荒っぽい精鋭達を撃ち破ったというのか。
俄かには信じ難いが、少年の足元には蹲っている者、気絶している者が累々と横たわっていた。


「片倉小十郎はどこだ」


少年は成実の姿を認めると桜色の唇を開き、硬い声音で問う。
出された名を少々意外に感じながらも、成実は問い返した。


「その前に名乗ったら?うちの連中を可愛がってくれたみたいだしさ。聞いとかないと」
「あんたに名乗る必要はない」
「可愛気ないなぁ」


軽口を叩く成実に眦を聳やかせ、少年は鋭い目つきを更に険しくする。


「早く片倉小十郎を出せ。他の人間に用はない」
「“片倉小十郎”に会ってどうすんの?」
「それも言う必要がないだろう」
「やれやれ…仕方ないか」


成実は肩を竦めると手中の棒を握り直した。
気配の変わった成実に、少年も転がっていた槍を足で掬い上げ、身構える。


「わけ分かんないのを城に入れられないんでね!」


地を蹴って跳躍すると成実は木製の棒を鋭く突き出した。
少年は拾った槍でそれを横に凪ぐと、返す動作で石突を成実の顎目掛けて繰り出す。
細身の少年にそぐわぬ力強い一撃だった。
体を反らせて避けた成実は少年の技量に内心舌を巻きながらも、上体を戻した反動で今度は胴を狙う。
立てた槍で受け止め弾かれ、お返しとばかりに鋭い穂先が成実を強襲した。
両者一歩も引かず、応戦が続く。


「おめぇが梃子摺るなんて珍しいなぁ、藤五!」


響き渡る声に顔を上げると、この城の主である伊達政宗が門の上から二人を見下ろしていた。
いつもの甲冑と陣羽織姿ではなく、濃紺の着物に煙管を銜えているだけである。
六爪どころか一本も刀を差していない。


「んげっ!藤次郎様、いつの間に…」
「こんな面白ぇ事になってるのに見物しない手はねぇだろ?」
「そう言うと思ったから俺が治めたかったんだよな」


成実としては騒動がこれ以上大きくなる前に穏便に片付けてしまいたかったのだが、懸念していた通り御大将自ら出張って来てしまった。
嘆息するもどうにもならない。

門から飛び降りた政宗は二人の傍に降り立つと、槍を構えたままの少年に向き直った。


「おめぇ、小十郎に用があるんだってな」
「片倉小十郎を呼び捨てにしてるって事は、あんたが伊達政宗か」


少年は臆することなく政宗を睨み付けている。
政宗は楽しそうに喉奥で笑うと、煙管を一息吸った。


「生憎小十郎は俺のモンでな、出せと言われて簡単に出す気はねぇ」
「なら奴を引きずり出すまでだ」


言うなり少年は政宗に向かって突進した。
成実が棒を水平に構えて防ぐが、身を屈めてそれをすり抜けると逆袈裟に槍を振り上げる。
凶刃が政宗を捕らえた刹那。


「政宗様!」


横合いから必殺の突きが飛来した。
辛うじて槍を引き寄せ直撃だけは防ぐも、少年の痩身では受け止めきれずに吹き飛ばされる。
木の葉のように宙を舞い、地に叩きつけられた。


「小十郎さん!」
「遅ぇよ、小十郎」


寸でのところで政宗を救った小十郎に成実は安堵の、政宗は揶揄半分の声をかける。
小十郎は納刀すると政宗に頭を下げた。


「申し訳ございません、政宗様。遅参の段、平にお許しいただきたく」
「重役出勤とはいいご身分だな」
「う…」


心温まる二人の会話を遮るように、小さな呻き声が聞こえる。
小十郎の穿月を喰らった少年がぼろぼろになりながらも立ち上がっていた。
綺麗な顔に出来た擦り傷から血が滲んでいるのが痛々しい。
口の中が切れてしまったのか血を吐き捨てると、現れた小十郎を睨み据えた。

政宗を庇うように小十郎が抜刀する。
刃先を少年に向けて、ドスの利いた声を発した。


「政宗様に刃向けるとは、死ぬ覚悟は出来てるんだろうな?」
「あんたが片倉小十郎か」
「?」


少年の瞳が一瞬、切なげに揺らめく。
だが口を固く引き結ぶと激情を抑えて静かに言葉を紡いだ。


「俺の顔に見覚えはないか?」
「…!お前、まさか…」


小十郎の顔が驚愕に歪む。
少年は不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「こいつはかなり面白ぇ事になってきたな」
「面白がってる場合じゃないと思うんすけど」


政宗と成実を置き去りにしたまま、両者の対峙は続く。


「その…あいつは息災なのか…?」
「教えてやる義理はない。俺はあんたを殺しに来た。それだけだ」
「そうか…。理由はどうであれ、政宗様の御前で狼藉を働いた罪はその命で以って償って貰う。覚悟はいいな」


小十郎は少年に突きつけていた刀を上段に構えた。
土を踏みしめ、臨戦態勢を取る。
少年も刃先を地に向け槍を構え直し、腰を落とした。


「あんたこそ、俺に殺される覚悟は出来てるんだろうな」
「てめぇに殺されるほど柔じゃねぇよ」


同時に二人が飛び出す。
殺気を孕んだ互いの斬撃が交錯した。
甲高い金属音が響き渡る。


「二人とも、そこまでだ」


凛とした声がその場を支配した。
二人の間に入った政宗が小十郎の突きを煙管で受け止め、少年の手を槍ごと掴んで止めている。


「政宗様!止めないで下さい!こいつは」
「おめぇの子、なんだろ?なら尚更殺させる訳にゃいかねぇ」
「ですが!」
「俺の言う事が聞けねぇのか、小十郎」
「くっ…!」


そう言われてしまっては小十郎は逆らえない。
大人しく刀を納めた。
それを見届けると、政宗は少年に向き直る。


「おめぇも収めろ。父親を殺そうなんて考えるな」
「放せ!こいつは母上を棄てたんだ。だから殺す!」
「それは違う!あいつは」
「言い訳なんざ聞くか!」
「おめぇらなぁ…も、ちっと落ち着いて話できねぇのか?」


政宗は煙管を懐に仕舞うと、空いた手で少年から槍をもぎ取った。
成実に投げて渡し、両手で少年の手を押さえ付ける。
少年は激しく抵抗したが、六爪流の握力には敵わない。


「んで?こいつの母親棄てたのか?色男さんよぉ」
「断じて違います!…確かに15年ほど前、縁がありましたが突然姿を消し、方々探しましたが行方知れずだったのです」
「小十郎はこう言ってるぜ?事情を話しちゃくれねぇか?」


少年はむっすりと押し黙っていたが、観念したのか口を開いた。


「…母上は父親の事を、俺には何も教えてくれなかった。ただ“片倉小十郎”の名を聞いたとき、表情が変わったんだ。それで分かった。そいつが俺の父親なんだってな」


小十郎を見据える瞳は、それだけで人が斬れそうなほどに鋭く強い。
政宗に封じられた手が怒りからか震えていた。


「そうか…」


一つ頷くと政宗は手を放し、今度は少年の頭の上に乗せる。
そのままぽんぽんと二、三度撫でてやった。
少年の瞳が驚きに丸くなる。


「母上が何も言わねぇから、小十郎が母上を棄てたと思ったんだな。それで母の仇を討ちに来たんだな」


今まで父親の事を黙り通してきた母に問い質す事も出来なかったのだろう。
それならばせめてと、小十郎を討ちにやって来たのだ。

片倉小十郎は奥州筆頭・伊達政宗の腹心中の腹心だ。
母を棄てた男が出世していると知った少年の胸中の苦しさは如何許りであろう。

重苦しい空気が流れる。


「小十郎、お前は今すぐ嫁さんを迎えに行け」
「政宗様…」
「つべこべ言うならこの場で叩っ斬るぞ」


端的に命じると政宗は少年の頭から手を退かせた。
吹き飛ばされた時に顔にこびり付いた土を払ってやる。


「おめぇはまず手当てだな」


小十郎の必殺の一撃を受けた体は、立っているのもやっとの状態の筈だ。
肋骨の数本は折れているに違いない。
父を討ちたい一心で立ち上がった少年の気迫に感服する。

なるべく傷口に負担をかけぬよう少年の体を抱き上げると、政宗は成実を振り返った。


「藤五、こいつのwelcome partyの支度は任せたぜ」
「了解。綱元さんにとっときの酒出して貰いますね」


政宗の言葉に小十郎は唖然とする。


「政宗様!この者をここへ置くおつもりか?!」
「たりめーだろ」
「なりませぬ!政宗様に刃向けた者をこのままにはしておけません!」
「そんでおめぇも腹切るってか?」


左の眼が、己が右目を射抜く。
その光の強さに、小十郎はたじろいだ。


「俺は同じ事は二度言わねぇ。おめぇもこいつも死ぬ事は許さない。てめぇらの命はこの独眼竜政宗が預かる」


小十郎同様唖然としている少年を抱えたまま、政宗はきっぱりと言い放った。
そしてそのまま城内へと入ってゆく。
なおも小十郎は政宗に食い下がろうとしたが成実に止められた。


「小十郎さん。親子の事に口挟む気はないけどさ、あんたは藤次郎様の右目だ。藤次郎様が天下統一を成し遂げるまで、いや、成し遂げてからも藤次郎様と共にいなきゃならない。二人の命は藤次郎様が預かるって言ったんだ。それに従いましょうよ」


成実に諭され、小十郎も後を追うのを止める。
がっくりと力の抜けた小十郎の肩を、成実は元気付けるようにぽんと叩いた。







城内に戻ると、政宗は手ずから少年の看病をしてやった。
少年は無言のまま政宗に手当てされている。


「…なんで俺を殺さない。あいつの子だからか?」


手当てが終わったところで漸く少年が口を開いた。
不貞腐れたような少年の口調に政宗は苦笑する。


「そんなんじゃねぇよ。強いて上げれば…あの藤五とそこそこ互角にやり合ってたから、とでもしとくか」
「なんだよ、それ…」


政宗の答えに少年は怪訝な顔をした。
気にせず政宗は続ける。


「ウチは実力主義なんだよ。母上の為に仇討ちしに単身乗り込んでくる心根だけでも、腕っ節の強さだけでもダメだ。両方兼ね備えてこそ、奥州伊達軍だ」


母を思うその心に感服した。
未熟ながらもその技量に惚れ込んだ。
見所のある人材をみすみす逃すようなことは政宗はしない。


「おめぇはもっと強くなる。親父を越えるほどに強くなれ。だからウチへ来い」


優しく微笑むと、小十郎によく似た硬質な髪を撫でてやる。
少年は大きな瞳で政宗に見入っていた。
それにな、と冗談めかして政宗は続ける。


「俺は面白ぇ事は放っとかねぇ性質なんだ。これで暫く小十郎で遊べるからな」
「殿…」


初めて少年が笑った。
その笑顔に満足し、改めて政宗が問う。


「さぁて、そろそろおめぇの名前を聞かせて貰おうか?」








   ― 1週間後 ―


「つー事で新入りの重綱だ!おめぇら、面倒見てやれよ!」
「Yes, sir!!!」


片倉小十郎が一子・片倉重綱は伊達軍の一員となった。
盛大な歓迎の宴が催される。


「あの子がこじゅくんの子ですか。どことなくこじゅくんに似てますねぇ」
「小十郎さんにもあんな頃があったんだ…」
「いや、雰囲気が」
「ああ」


二人の視線の先には人だかりの中心で次から次へと酒を注がれる重綱がいた。
小十郎とは顔立ちの系統が違う重綱だが、やはりどこか似ているところがある。

視線に気付いた重綱は人々の輪から抜け出し、二人の近くへとやって来た。
やや気恥ずかしそうにしながらも二人に酒を注ぐ。
年相応の可愛気を見せる新入りに成実は笑顔を返した。


「さんきゅー」
「さん…?」
「ああ、悪い。藤次郎様が使う異国語で“ありがとう”って意味なんだけど、うつっちゃったんだよ」
「殿が…」


政宗の名に重綱は反応する。
そんな重綱の様子に、成実と綱元は顔を見合わせた。
重綱は何やら思案しているのか眼を伏せ気味にしていたが、ずいと成実に顔を寄せると意を決して問う。


「その…成実…殿は異国語にお詳しいのですか?」
「へ?藤次郎様ほどじゃないけど、ちょびっとなら知ってるかな」


新しい異国の書物を手に入れたと言っては見せびらかしに来る政宗のお陰で、成実は伊達軍の中では政宗の次に異国語に詳しかった。
その返事に重綱は顔を輝かせる。


「是非俺にも教えて下さい!」
「え、いいけど」
「ありがとうございます!」


勢いよく頭を下げ礼を言うと、政宗にも酌をしようと立ち去ってしまった。
政宗を見る重綱の表情は、先程礼を述べたときよりも輝いている。


「綱元さん、これは…」
「政宗さまも罪なお方だ」


二人はぐいと酒を飲み干した。



(2007/9/17)

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