政宗は不機嫌そうに腕を組んでいた。
目の前には赤い風呂敷が一つ。
「どういう風の吹き回しだ?武田の忍」
「俺にも佐助っていう名前があるんですがね…。独眼竜の旦那を信州見物にご招待しようかと思って」
そう言うと佐助は政宗の前に姿を現した。
「Ha、この俺が信州くんだりまで行くと思ってるのか?」
「折角信州名物のきなこ餅を持ってきたってのに、つれないねぇ」
「そういうモンはアンタの上司にでもやれよ」
「その上司殿が流感にかかってさー、寝込んでるんだよね〜」
政宗の目が微かに瞠られた。
「ざずげ〜…めのまえがぐるぐるずるぞ〜…」
「完全に風邪だねぇ。大人しく寝てなさいよ、旦那」
ナントカは風邪ひかないと言うが例外もあるらしい。
幸村が風邪をひいた。
これは有史以来の珍事と言っても過言ではないだろう。
佐助は薬草を煎じて飲ませ解熱を試みた。
だが熱は一向に下がらない。
薬湯に続き、玉子酒やら生姜湯やらも片っ端から飲ませてやった。
正に「何でもアリさ」の看病を続けたが効果は現れなかった。
「熱も下がらないし…あの人健康だけが取柄なのにねぇ」
「バカでも風邪ひくんだな」
「うん、まあ、その通りなんですけケド…」
真田忍隊の長は上司が多少憐れになった。
「ところでさ。うちのお館様、鮑の姿煮が好物で大量に作らせたんだよ。旦那も食べに来ない?」
「餅の次は鮑か。姿煮くらいいつでも作れるが…アンタの熱意に免じて食べに行ってやるよ」
「悪いねぇ。恩に着ます」
素直じゃないねぇと内心思いつつ、佐助は政宗を伴って信州へと戻っていった。
「あ゛〜…でんじょうがゆがんで見える…」
熱の所為で体が酷く重い。
眠ろうにも筋肉と関節が痛み、寝付けなかった。
幸村の記憶にある中で、これほど寝込んだのは初めてだ。
冬場でも薄着で十分なほど体温が高い所為か、病気というものをしたことがない。
薬とも無縁の生活だったというのにここ数日で一生分の薬を飲んだ気がした。
「あれ?ざずげぇ〜?どごにいっだんだ…」
苦い薬湯を片っ端から飲ませた張本人の姿が見えない。
特に欲しいものがあった訳でもないが、近くにいつもいる気配がないと妙な感じがした。
こうして床に就いていると城内に自分しか居ないような気さえしてくる。
今まで味わったことのない感覚が軋む肺腑に満ちるようであった。
「Hey、随分情けねぇツラしてんな」
「へ……?」
障子を静かに開いて姿を現した人物に、幸村の目が大きく見開かれる。
庭からの光を背に受けたその人物は咽喉の奥で笑うと後ろ手に障子を閉めた。
「あの、どうじでまざむねどのがじんじゅうにいらっじゃるのでずが?」
「鮑を馳走になりに来ただけだ。姿煮が美味いから食いに来いってしつこいヤツがいてな」
政宗はどかりと座り込むと煙管を取り出そうとしたが、流石に病人の前なので思い止まった。
手持ち無沙汰そうに腕組みをして黙り込んでしまう。
そんな政宗を幸村は不思議な気持ちで眺めていた。
数え上げるのが大変なほど多い政宗の趣味の一つに料理も含まれることは知っている。
その政宗が鮑の姿煮くらいでわざわざ信州まで来るだろうか。
熱で働かない頭でも奇妙に思えた。
だが、そんなことはどうでもよくなるくらいに嬉しかった。
政宗から自分を訪ねてくれたのだ。
もしかしたらもう二度とこんなことはないかも知れない。
いつもと勝手が違うことに戸惑いながらも、幸村は頬が緩むのを止められなかった。
幸村の視線に気付いて、政宗が憮然とした顔をする。
いつもならMAGNUM STEPでも食らわせているところだが、へらへらと笑う幸村を見ていたら殴る気が失せてしまった。
「Shit…調子狂うぜ」
溜息を一つ吐くと腕を解いた。
そのまま手を幸村の額へと持っていく。
常とは違う政宗の行動に、幸村は硬直してしまった。
長い指が汗で湿った前髪を掻き上げる。
ただでさえ高い体温が今は燃えるようだ。
「随分高いな。咽喉もやられてるみてぇだし」
「めんぼぐない。ぜっがぐぎでいだだいだどいうのに…」
「別にアンタに会いに来た訳じゃねぇよ」
口調はいつも通りなのにそっと触れる手は優しい。
掌の冷たさが心地良かった。
「なぁ、知ってるか?風邪は人にうつすと治りが早いらしいぜ」
どことなく落ち着かない様子の幸村に、政宗は悪戯を思いついた子どものような表情で話しかける。
相変わらず冴えない幸村の頭には政宗の台詞がどこか遠くのことのように思えた。
するりと頬を撫でる手の冷たさだけが現実だと教えてくれる。
幸村は政宗の薄い唇が弧を描くのをぼんやりと見つめていた。
「旦那〜。伊達の旦那がお粥作ってくれたけど食べる…って寝てたのか」
薄暗い室内に聞こえる寝息に、佐助は胸を撫で下ろした。
そっと障子を閉じて幸村の部屋を後にする。
「起きてきたら食べさせてあげるとしますかね」
欠伸交じりに呟くと、自室へと下がっていった。
看病であまり休んでいなかったのだ。
政宗が風邪をひいたかどうかは幸村のみぞ知る。
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