嵐の前の、静けさよ
『或る、穏やかならざる日』
ここ数日、奥州筆頭・伊達政宗は精力的に政務をこなしていた。
領内の視察、兵馬の鍛錬、茶会の開催。
一国を預かる者として申し分ない働きぶりであった。
「随分と苛立っておいででございますな、政宗様」
そう政宗の腹心、片倉小十郎が漏らしたのは慰労の宴席でのことだった。
杯に並々と酒を注いだ小十郎は、そっと主の様子を伺う。
言われた政宗は口の端を吊り上げ、音もなく笑った。
「おめぇにゃ隠せねぇか」
酒を一息に飲み干すと、小十郎へ杯を差し出した。
恭しく受け取り、返杯に預かる。
小十郎が飲み干すのを見つめていた政宗は、そのまま視線を庭へと移した。
「大して昔のことでもねぇのにな…アイツと斬り合ったのが大昔のことのように思えてくる」
伊達軍は上洛の途上、武田軍と対峙した。
総大将でありながら先陣を切る政宗はそこで武田の若虎・真田幸村と出会う。
両者にとって、それは運命的な出会いと言えた。
年の頃は近いが立場、信念全くといっていいほど違う彼らは己が強さだけを賭して戦った。
相手に勝つ。ただそれだけの想いが二人を熱くさせた。
時を移して幾度も激しくぶつかり合い、だが決着がつくことなく現在に至っている。
「アイツは会う度に強くなる。それが愉快でたまらねぇ。だからこそ倒し甲斐があるってモンだ」
左の眼は信州にいる政宗唯一の好敵手を見据えているのだろう。
首筋に未だ残る噛み痕に指を這わせている。
帯から扇子を抜き取ると、正眼に構えた。
「真田幸村はこの独眼竜が喰らう」
最高の好敵手を屠るその一瞬。
至高のひと時に胸躍らせる主に、小十郎はどこか憧憬を覚えた。
鋭く空を斬る、槍の切っ先。
二槍を構えた幸村は虚空の敵を睨み据えて両手首を翻した。
「真田の旦那、ちょっと振りが荒いんでないの?」
「・・・・・・・・・」
音もなく庭の樹の枝に降り立った佐助に、幸村は振り返りもせず稽古を続ける。
力強いと言えば聞こえはよいが、いつもに比べて穂先がぶれていた。
佐助は呆れ顔で肩を竦める。
「いらついてんのは分かるけどさ。どうしようもないでしょ?出陣の時期じゃないんだから」
慰めているのかいないのか。
軽い調子の佐助の言葉に幸村は漸く槍を収めた。
流れる汗を乱雑に拭う。
その眼にはまだぎらついた闘志が静かに燃え盛っていた。
「そうだな…。だがじっとしておれんのだ」
上洛を目指し、武田に合戦を仕掛けてきた伊達軍。
その総大将である伊達政宗と幸村は幾度も死闘を演じてきた。
決着がつかぬまま、次に死合うはいつだろうかと指折り数えている。
幸村はあくまで武田の一武将に過ぎない。
お館さまと慕う信玄が出陣の命を出さぬ限り、伊達が攻め込んでこない限り、政宗と戦う機会は訪れないのだ。
今まではお館さまの御為に槍を奮えればそれでよかった。
今はそれが歯痒い。
「戦を、斯様に待ちわびたことはない。ただ、あの者と戦いたい」
切っ先の彼方に、隻眼の竜が見える。
幸村の瞳に映るのは、奥州の独眼竜。それだけだ。
佐助の大きな溜息が、夜の庭に滲んで消えた。
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奏人さんからのお題『苛立ち』で書かせていただきました。
微妙に前回のお題『ダンデライオン』とつなげてあります。
奏人さん、ありがとうございました。
(2007/12/16)
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