「…それからというもの、その村には夜な夜な花嫁の首が現れ、男の家の上をゆらゆらと飛んでいるのだそうです」
「怖ぇ!!!普通に怖ぇえッス!綱元のアニキ!!」
「おめぇら…ナニやってんだ…?」
『妖怪なんて、怖くない』
奥州は青葉城の控えの間。
宿直にしては多すぎる人数が蝋燭の前に座る綱元を囲んでいた。
「秋の夜長に軽い寝物語でもと思いまして」
「軽くねぇッス!小十郎のアニキの拳より重てぇッス!!」
蝋燭の灯に照らされた綱元の顔にはいつものぼけぼけした感がなく、リーゼントでバリっとキメた若衆がビビるに十分な迫力を湛えている。
綱元は秋の夜長を若い連中でもからかって過ごそうと決めたらしい。
そういう顔は戦場で作れとばかりに、政宗はわざとらしく溜息をついてやった。
「それより綱、聞きてぇことが…」
「むぅわさむねどのぉおおおおおっ!!!」
「Oops!」
突如脚にしがみ付かれ、政宗は受身も取る間もなく倒れ込んだ。
背中の痛みに顔を顰めつつも上体を捻って起こす。
加害者は膝の関節をへし折りそうな勢いで抱きついていた。
「真田ァ…てめぇ、風呂に行ったきり戻って来ねぇと思ったら、こんなところで油売ってやがったのか…」
「おっ鬼庭殿がっ…!鬼庭殿の首が…!!」
「いやだなぁ真田殿。私の首じゃなくて許婚に裏切られて死んだ花嫁の首ですよ。こう…今夜みたいに月の明るい晩は一際悲しげな啜り泣きの声とともに鬼火を纏った若い娘の首が…」
「ぎゃーーーーー!!!!」
「Shut up!怪談くらいで喚くんじゃねぇ!!」
半月板の危機を感じた政宗は、幸村の脳天に地球割りもかくやという一撃を叩き込んだ。
信玄との師弟愛確認で鍛えられた幸村がこの程度で撃沈するはずもないが、力の緩んだ一瞬をついて腕挫十字固へと持ち込む。
手ぶらDE乗馬に慣れた脚の締め付けは伊達じゃない。
「うぉお……!!ぐるじぃ…」
「天国見せてやろうか?Baby」
「決まった!筆頭のSubmission!」
「ありゃあキツいぞぉ…」
「“すきんしっぷ”もそのくらいになさったらいかがですか?失神されたら困るのは政宗さまでしょう?」
「Oh、そうだった。コイツ探しに来たんだっけか」
政宗の大腿筋を以ってすれば失神くらいでは済まなかっただろう。
幸村がどう反撃してくるか楽しみなところもあったものの、仕方なく放してやった。
オトしてしまっては元も子もない。
「さっさと戻んぞ。酒が温くなっちまう」
「あ、政宗さま。少々お待ちを」
息も絶え絶えに「羽根の生えたザビー殿がたくさん見えた」と呟く幸村を引っ張り起こし、部屋へ戻ろうとする政宗を綱元が引き止める。
生来の勘の良さからか、政宗は綱元がロクでもないことを言い出すであろうと読めてしまった。
「綱。大人しくそいつらと遊んでろ」
「おや。私まだ何も申しておりませんよ?」
「どうせ『今から肝試しをするのですが、ご一緒にいかがですか?』とか言うんだろ?」
「流石は政宗さま。ご慧眼、感服仕りました」
「独眼竜はダテじゃねぇよ」
ぱちぱちと手を叩いてみせる綱元に鼻で笑って返してから、幸村を引き摺って控えの間を後にする。
だが、すんなり帰してくれない連中がここにはわらわらいた。
「筆頭!そりゃないッスよぉ!!」
「そうッスよ!一緒に肝試ししましょうよ!」
「俺らだけじゃ怖ぇッス!!!」
「お前らなぁ…」
政宗は収まりの悪い髪をがしがしと掻く。
部下にせがまれるとどうにも断りづらい。
「一応客が来てんだぜ?お前らと遊んでやるわけにゃ行かねぇの」
「真田殿なら肝試しに参加なさるそうですよ」
ねー、とばかりに満面の笑顔の綱元の隣では、いつの間にやら復活した幸村が顔を縦に振っている。
「アンタ、さっき綱の怪談話にメチャクチャビビッてたじゃねーか」
「妖怪ごときに怯んだとあってはこの幸村、お館さまに顔向けできませぬ!見事肝試しに打ち勝ってみせましょう!!」
「いや、打ち勝たなくていいから。そもそも打ち勝つもんじゃねぇから。それ以前に妖怪いねぇから」
ごく正論を述べているだけなのに酷く疲れるのは何故だろう。
「妖怪役ならこじゅくんとしげくんにお願いしてありますよ」
「こういうことに関しちゃ手回しがいいんだな…」
「たまにはこんな戯れもよろしいでしょう?」
「よくねぇよ」
結局、政宗も参加する破目になってしまった。
「はーい、皆さん。くじは引きましたか〜?」
「Yeaaaaaah!!!」
「では順番に境内を一周してきて下さいね。暗いですから提灯を忘れずに」
「Yes, Sir!!!」
伊達家家臣の威勢よい声が暗い森の中に響き渡った。
例え妖怪や幽霊がいたとしても、この喧しさで逃げ出してしまうだろう。
因みにこの肝試し大会の会場は小十郎の実家の神社である。
「あ〜ダリ。さっさと帰っぞ」
「政宗殿!何番目でしたか?」
「Ah?13番目だな」
「何と!某もでござる!」
場違いなほど明るい幸村の笑顔に、たまにはお遊びに付き合ってやるのも悪くないかという気になってくるから不思議だ。
子供と動物には勝てないというが、まさにそんな心境であった。
「なんたる偶然であろう。これもお館さまのご加護でござろうか」
「軍神みてぇな台詞吐くな」
「ならお二人で最後ですね」
「綱…お前、何か細工したろ?」
「いやだなぁ。何のことやら」
伊達家で一番信用ならないもの。鬼庭綱元の笑顔。
疑うということを知らない幸村がちょっと羨ましい政宗だった。
一組、また一組と若衆が鬱蒼とした森へと消えてゆく。
そしてとうとう政宗たちの番がやってきた。
「では政宗さま、お気をつけて」
「ああ…」
何に気をつけろというのか甚だ疑問だが、順番が来た途端に緊張し出した幸村の背を蹴り飛ばして、政宗は出発した。
提灯の明かりを頼りに、闇に包まれた境内を進んでゆく。
「ううっ…ぅお館さばぁ〜…」
「んなに怖ぇんなら来なきゃいいだろが」
「いやしかし、逃げるというのは武士として…」
「肝試しくれぇやんなくたって逃げたうち入らねぇよ。…つーか、何でそんなにspecterが怖ぇんだ?」
ぎこちない足取りでついてくる幸村を振り返り、政宗が尤もな質問をした。
戦場で赤い修羅とまで恐れられる男が、怪異の類に怯えるとは何とも奇妙な話だ。
「お恥ずかしい話なのですが…その…」
幸村は政宗の視線に居心地悪そうに頬を掻きながらも答えた。
「どうにも得体の知れない、はっきりしないものは苦手なのです。相手が人であれば話し合うなり刃を交えるなりできる。狐狸もまた然り。ですが幽霊・妖怪の類となると、どう対処してよいやら…」
幸村らしい答えだった。
政宗の瞳が少しだけ柔らかく、提灯の明かりで揺らめく。
「アンタらしいな。…俺は人間の方が怖ぇぜ?例え対処法が分かってるとしても、な」
「政宗殿…」
政宗の心中を慮り、幸村は苦しげにその名を呼ぶ。
余計なことを口にしたと自分に舌打ちしたい気分だったが、幸村に当たっても仕方がないので政宗はわざと明るい口調で話題を変えた。
「そもそもさっきの綱の話はこの辺りの話って訳じゃねぇんだろ?そんなに怯える必要ねぇじゃねぇか」
「あの花嫁の話はそうですが…その前にもう一つ、この神社に出るという妖怪の話を聞いてしまったものですから…」
「Shit…まだあんのかよ」
自身が妖怪並みに若作りな家臣の顔を思い浮かべて、今度こそ盛大に舌打ちをした。
彼の博識は買っているが、余計な知識は仕舞っておいて欲しい。
「一応、聞いといてやろうか?」
「忝い。それでは…」
話したところで怖さを克服できるものでもないが、一人だけ知っているというのも嫌なものだ。
幸村は綱元の話を思い出しながら、ゆっくりと話し始めた。
それは鏡のような妖怪なのだという。
元々は何もなかった。
この神社に丑の刻参りに来た人々の恨み辛みが凝り固まって生まれたのだそうだ。
丑の刻参りは本来、願掛けのためのものであって、呪詛に限ったものではない。
しかし神仏に縋りたくなるほどの願いというものは、怨恨が絡んだものが多いらしい。
それゆえ丑の刻参りは呪詛の代名詞となったのだ。
夜更けの神社にやってくる人々の怨嗟の声が言霊となり、寄せ集まったのがここに現れる妖怪の正体である。
決まった姿はなく、見た人の数だけ姿が存在する。
「それを見た者にとって、最も怖いものの姿となって現れるのだそうです」
「どこにでもありそうなstoryだな」
「えぇ!!!そんなにたくさんこの妖怪は存在するのですか?!」
「いや、怪談なんて似たような話がゴロゴロしてんだろ。どれもこれも恐怖心が勝手に想像を膨らませて作り上げただけのモンだ。所詮、それだけのものなんだよ」
「政宗殿は冷静でござるな」
「Coolじゃなきゃ奥州の頭なんざ張れねぇだろ。All right?」
妙なところで感心している幸村の額を小突いて、先へ進むよう促した。
怪談などというものは人が作り出したものだ。
人の中にある恐怖や鬱屈が妖怪という名の実体のない姿を借りて、表面化しただけのものである。
人がいなければ怪談など生まれはしない。
結局怖いのは人間だ。
そう政宗は思うのだ。
「しっかし、小十郎にも藤五にも会わねぇな。道間違えたか?」
「木が茂っているとはいえ、ここまでは一本道でござった。暗くとも間違える筈は…」
「…おい、真田。アレ…何だ?」
突然立ち止まった政宗の指を追って、視線を前方へと送る。
だが、幸村には何も見えなかった。
「申し訳ない。某、夜目は利く方でござるが何も見えませぬ」
「う、そだろ…」
「政宗殿?」
「何で…アンタが……」
尋常ではない政宗の声音にそちらを振り返れば、政宗は一点を見つめたままがたがたと震えていた。
視線の先には何も見えない。
「政宗殿?!いかがされたのだ!!」
幸村の呼びかけに答えることもなく、痛々しいほど顔を引き攣らせている。
何が見えているというのだろう。
怯える政宗を見るのは初めてだった。
「政宗殿!!返事をして下され!!!」
腕を掴み必死に名を呼ぶが、返ってくるのは震えばかり。
嫌な汗が背を伝う。
幸村は政宗の肩を掴んで自分の方へと向けた。
虚空を見たままの政宗の目を見つめ、声の限りに訴える。
「しっかりしろ独眼竜殿!!!このような…物の怪如きに心囚われるなど、俺の認めた御仁ではない!!」
骨が軋むほどに力を込め、幸村は唯一の好敵手へと呼びかけた。
対峙したとき以上の強さで、政宗を見据える。
「ゆ…き、むら……?」
「政宗殿!気付かれたか!」
ほっと胸を撫で下ろした幸村の顔に、困惑の表情を浮かべる政宗。
「俺は…」
「早く参りましょう、政宗殿。皆が待っておいでだ」
「あ、ああ…」
政宗に笑顔を返すと、幸村は歩き出した。
今だ呆然としている政宗であったが、先へ進む背に向かってそっと呟く。
「Thank you…幸村…」
聞こえるか聞こえないかの小さな声であったが、幸村には確かに届いていた。
「あーっ、藤次郎様やっと来た!」
「ご無事でしたか、政宗様。あまりにお戻りが遅いゆえ、案じておりましたぞ」
政宗たちが出発地点である本殿まで戻ってくると、脅かし役の二人が駆け寄ってきた。
もう誰も来ないだろうと判じて戻ってきたところ、政宗たちがまだ戻っていないと聞かされ大いに慌てたそうだ。
「Sorry…」
「黒脛巾を連れて来るべきでしたな。小十郎が甘うございました」
「いや「申し訳ござらん、片倉殿。某、道によく迷うゆえ、佐助にも怒られてばかりでして」
政宗が何か言おうとする前に、幸村に阻まれてしまった。
先程の一件は黙っておいてくれるつもりらしい。
政宗の微妙な表情の変化に気付かない小十郎ではなかったが、ここでは言及しないことにした。
「とにかく、お二人ともご無事でよかったですよ。綱元さーん、そろそろ引き上げますよー」
成実が離れたところにいた綱元に声をかける。
彼の足元には何故か疲れきった顔の家臣たちがへたり込んでいた。
「Ah?何かあったのか?」
「いや〜…それが実は…」
ちらと小十郎に視線をやってから、成実は話し始めた。
「くくくくっ…小十郎、お前相変わらずだな」
「私は何もやっておりませんが」
「何もやらねぇで、ってあたりがお前らしいよ」
成実の話によると、やってきた家臣たちを脅かすのは成実が担当し、小十郎は誘導だけを行っていた。
だが二人の待ち構えていた折り返し地点までやってきた家臣たちは、皆が皆提灯に照らされた小十郎の顔に慄き、成実には目もくれず一目散に帰ってしまったのだという。
「藤五も散々だったな」
「本当ですよ。折角かつらまで用意したってのに」
くるくる回る長い髪のかつらに視線を遣らないようにしつつ、政宗は全員に撤収を命じた。
「だぁーっ!!Goddamn!この俺としたことがっ!!!」
政宗は彼の特等席、小十郎の背中に抱きついていた。
詳しく聞かなかったものの、どうやら真田幸村に借りを作ってしまったらしい。
悪態を吐きながら額を擦り付けてくる主が、小十郎にはたまらなく可愛かった。
「真田殿は強い意志をお持ちのようだ」
「情けねぇぜ…妙なモン見ちまうなんてよ…。幸村のヤローは平気だったってのに」
「そういう意味ではございませんよ」
「Ah?」
厚い肩に顎を乗せ、顔を覗き込んでくる政宗に小十郎はこんな話をした。
「政宗様、言霊というものをご存知ですか?」
「言葉にゃ力がある、ってアレか?」
「はい。強い意志を持って発せられた言葉には力が宿ります。真田殿の言葉は、政宗様にとってそれだけ強かったのですよ」
「…………………………」
政宗は凄まじく不服そうな顔をした。
分かってはいても認めたくないのだろう。
そんな政宗の様子に、小十郎は笑みを深くする。
そのとき。
「むぅわさむねどぬぉおおおおおおおっ!!!!」
夜の静寂を突き破って、日の本一暑苦しい男が廊下を駆けて来た。
政宗は舌打ちを一つして立ち上がると、城内の人々の安眠を守るために六爪流で鍛えた手でもってマウスクローをお見舞いする。
幸村は鼻にも大ダメージを喰らった。
「ふごおっ!!」
「夜は静かに。廊下は走るな。O.K.?」
「ひゃい」
「よし」
政宗が手を離すと、幸村は顔の痛みで蹲った。
しきりに顔を擦っている。
「んで?どした?」
「おおっ!そうでござった!!政宗殿は言霊というのをご存知か?」
「あ、ああ…」
妙にタイムリーな話題に少々ドキっとした。
そんな政宗の様子に気付かないのか、幸村はそのまま話を続ける。
「先程、綱元殿に教えていただいたのでござるが、気合を込めて言葉を発すれば妖怪なぞ造作もなく退けられるのだそうです」
「へぇ〜…」
違いはあれど、小十郎の話とよく似ていた。
問題はこの話を幸村に教えたのが綱元だということである。
「綱のやつ、他に何か言ってなかったか?」
「妖怪祓いの祝詞も教えていただきましたぞ!」
「あんま聞きたくねぇけど、ちょろっと言ってみろよ」
「では…」
大きく息を吸って、幸村は祝詞を紡いだ。
死霊も目を覚ましそうな凄絶な音程に加え、あの声量である。
本人は朗々と歌っているつもりだが、聞いていられるものではない。
「Shut up!!!このド音痴がぁ!」
渾身のツッコミを込めて、政宗はHELL DRAGONをブッ放した。
星空目掛けて幸村が飛んでゆく。
「すげー納得いかねぇ…」
「『納得したくねぇ』の間違いでは?」
「るせぇよ」
持て余した感情のままに、政宗は小十郎の首に噛み付いてやった。
「旦那〜ァ。大丈夫〜?」
「ううっ…すまん、佐助」
「忍使いが荒いのも、程々にしてよね。時間外手当貰っても足りないくらいなんだから」
盛大に溜息をつく佐助の右腕には先程政宗によって天高く吹き飛ばされた幸村がいた。
そのまま鴉を使って屋根の上に降り立つ。
夜の澄んだ空気を伸びと共に吸い込み、「そういえば」と切り出して苦労性の戦忍は主に問うた。
「何で旦那は神社で何も見えなかったの?俺様みたいに幻術に耐性があるわけじゃないし、かなりビビってたじゃない?」
実際のところ、政宗が見たものが何だったのかは佐助にも分からなかった。
忍の使う幻術ではなかったようだし、本当に妖怪が出たとも考えにくいが、佐助にも見えなかった『何か』が見えたことは間違いないのだろう。
そうでなければあの伊達男が怯える姿を幸村に見せるはずがない。
何故幸村が無事だったのか。
これは佐助のちょっとした興味だった。
「ん?ああ、政宗殿が『妖怪なんていない』とおっしゃっていたのでな。そう思い込んだら何も見えなかったのだ」
「うわ〜…ここはゴチソウサマって言っとくべき?」
主人の真っ直ぐぶりに額を押さえつつ、そこが羨ましくもある佐助であった。
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