鍛錬をしていた伊達成実の元に来客があったのは、抜けるような蒼天のある日のことだった。
『越えたい背中』
「あんれ?重坊じゃん。どうしたよ?」
振るっていた棒を縁側に立てかけると、成実は流れる汗を拭いつつ先日より伊達軍に加わった少年に声をかける。
少年はやや憮然とした表情ながらも丁寧に頭を下げた。
少年、片倉重綱の端麗な顔には何箇所も擦り傷がついている。
以前、父である小十郎から穿月を食らった折の傷ではない。
よく見ると服もあちこち擦り切れている。
傷はまだ新しいものであった。
折角の顔が台無しだと言いたい所だが、不思議と美貌を損なっていない。
強い彩光を湛えた瞳が更に輝いてみえるようだった。
重綱は眉間に皺を寄せ押し黙っている。
そういう表情をすると父親に似ているな、と成実は思った。
「まぁ茶でも飲みながら話そうぜ。上がれよ」
「成実殿…」
「ん?」
言い淀むが辛抱強く成実は待ってやる。
重綱はやや躊躇いがちに口を開いた。
「俺に…六爪流を教えていただけませんか?」
流石の成実も絶句した。
「六爪流って…藤次郎様がやってるあれ?」
「はい」
冗談で言っている様子はない。
切れ長の目は至って真剣だった。
「あんなの、普通の人間にできるわけないっしょ」
やはりそうなのか。
重綱はがっくりと肩を落とした。
「そうですよね。殿でなければ出来ませんよね」
「そうそう。あんな人間離れした握り方、普通やらないって」
「普通の者では出来ないことをなさるなんて…やはり殿は素晴らしい!」
「そうそう。すば…へ?」
斜め45度上方をカッ飛ぶような返答に思わず声が裏返る。
重綱はうっとりと政宗の居室の方向を見つめていた。
陶然とした表情は少年の整った容貌と相俟って、なかなかに蠱惑的である。
こんな子上杉の忍にもいたな、と成実は遠い目になった。
だからといって傷の原因といい、このまま捨て置くわけにもいかない。
この面倒見のよさが成実の長所であり、貧乏くじを引きやすい原因であった。
「あ、あのさ。何でまた六爪流な訳?異国語ならまだしも、あれまで真似するのは無謀なんじゃない?」
「そうかも知れませんが…どうしても会得したいのです。殿に、一歩でも近付くために。そして…あいつを越えるために…」
「なるほどねぇ〜」
気持ちが分からぬ訳でもない。
重綱はあの竜の右目・片倉小十郎の子息だ。
どうしても小十郎と比較されてしまうのは仕方の無いことだった。
素質はあるが、どう足掻いても経験の差は埋めようがない。
「ま、可愛い後輩の頼みだ。六爪流は教えらんないけど、話くらいは聞いてやるよ」
結局、新人が入ろうと成実の苦労は減らないようであった。
寧ろ増えたのかも知れない。
重綱は成実に礼を言うと、並んで縁側に腰を下ろした。
事の発端は鍛錬場での出来事だった。
「まだまだだ。そんなヤワっちい腕前で戦場に出ようなんざ、百年早ぇんだよ」
「くそ…!」
板の間に片膝を付いた重綱は、己を見下ろす父を鋭く睨み返す。
小十郎の容赦のない太刀を悉く喰らい、全身打ち身やら擦り傷やらでいっぱいだった。
「小十郎様、今日も容赦ねぇな〜」
「あれだけ稽古つけられて起きてられる重綱も大したモンだけどよぉ」
広い鍛錬場、中央の二人を取り囲むように囁きが交わされる。
小十郎の特訓、通称「地獄の釜の底」を日々受けている伊達の兵士達ですらへばる右目の稽古は、実の息子に対しても容赦がなかった。
実の息子だからこそ、と言うべきだろうか。
「ナマっちょろい腕で、一丁前に六爪流か?戦場をナメるのもいい加減にしろ。ハンパな覚悟で刀を持つ気なら、この場で俺がその首叩っ斬ってやる」
「ま、待て!くっ…!!!」
立ち去る父に食い下がるが、全身を走る痛みに耐えかね、重綱はその場に頽れた。
悔しさに歯噛みする。
駆け寄る周囲の者の気遣いを断り、重綱も鍛錬場を後にした。
「ふ〜ん。小十郎さんに六爪流練習してるとこ見つかって、こっぴどく叱られたワケね。しっかし小十郎さんも人の親かぁ…結局重坊が心配なんじゃん」
「どこがですか。あいつが刀持たせてくれないから、仕方なく木刀で練習してたのに…」
「そういうとこが、なんだけどね」
つい最近になって初めて対面した親子だ。
多少ぎこちないのは仕方がない。
例えそうでなくとも小十郎が言葉に出したりはしないことを、成実は幼少からの付き合いで分かっていた。
重綱の剣技はその歳にしては切れ味鋭いものの、実戦経験は皆無だ。
個人の勝負と戦場は全く違う。
木刀でも命を落とすことはあるが、戦場で必要なのは自軍を勝利へ導くことだ。
強さだけでは意味がない。
敵を倒し、生きて帰らねばならなかった。
命あっての物種であることを、小十郎は伝えたかったに違いない。
「やはりあの時、殿を振り払ってでもこいつで引導を渡しておけばよかった…!」
「チョットォ!重坊!お前何持ってんのぉ!」
どこから取り出したのだろう。
重綱の手には塗り鞘に納められたドスが一つ、握り締められていた。
「母が護身用にとくれたものです」
「護身用なら人刺しちゃ駄目!ノーモアドメスティックバイオレンス!」
「刺しませんよ。…あいつの命も殿のものですから……」
政宗と小十郎の間には他者には入り込めない絶対的な絆がある。
それが重綱にも分かっているから、余計に父に反発したくなるのだろう。
成実は目の据わっている重綱の心情を慮った。
でも刃傷沙汰は止めて欲しい。
因みにこの護身刀、小十郎から重綱の母へと渡されたものである。
恋仲の女性への贈物としては武骨過ぎるが、小十郎なりに無事でいて欲しいと願ってのことだったようだ。
このことを、重綱は知らない。
「ドスねぇ…そうだ。まずはそれから始めてみたら?」
「これ、ですか?」
塗り鞘を眺めていた成実が徐に口を開いた。
成実の指先を追って、重綱はドスを持ち上げる。
「いきなり日本刀六本は無理だから、まずは短刀二本から慣らしてみなよ。お前まだ重さが足りないし、手数稼げる二刀流はいいかもよ?」
「二刀流…」
なかなか良い提案に思えた。
絶賛成長期の重綱は、上に伸びる分肉がつかない。
短刀で慣らし筋肉がある程度ついてから日本刀に切り替えれば、戦闘中にスタミナ不足でバテることもなくなるだろう。
「刀の稽古もつけてやるからさ」
「ありがとうございます!両手で得物を扱うのに慣らしていけば、いつかは六爪流に」
「ならなくていいから!あんなの自軍に二人もいらないし!」
「ほ〜ぉ、藤五。おめぇ、随分エラくなったモンだなぁ…」
「と、ととと藤次郎様!い、いいいいつの間に?!!」
目立つ存在のくせにこんなときだけは気配を消すのが上手い。
知らぬ間に背後に陣取っていた政宗は、成実にヘッドロックをかました。
人外技の六爪流を使う男の腕力は伊達じゃない。
全裸のザビーの背に翼が生えた生き物が、成実の視界を黄泉路へのメリーゴーランドよろしくくるくると回った。
「ぎっぎぶぎぶぎぶ!マジでぎぶ!」
「まだイけんだろ?根性見せろよ、藤五」
「そんな根性仕込んでないって!おい重坊!見てないで助けろ!」
「成実殿…う、羨ましい…」
「だぁー!!!戻って来ーい!」
かくして、片倉小十郎が一子・重綱は長ドス二刀流使いとなったのだった。
(2008/02/05)
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