明治から昭和初期まで活躍した合の子船です。
明治政府の帆船の洋式化指導にもかかわらず、この合の子船が多数造られました。
船体は洋式船の製造技術が未熟であったことと、従来の和船の方が税制で有利なこと、
コストが安いこと、造りやすかったことなどで弁財船型やだんべえ船型が多数造られました。
セールは操帆性能の優秀なことから洋式のジブや縦帆が多く用いられましたが、同時に従来軽視されていたジャンク様式の笹子帆(伸子帆又は朝鮮帆)の操帆性能の良さが再評価され、これも多くの船に使われました。
参考にした資料は、鞆の浦資料館の説明資料、野本謙作氏のテキスト、絵葉書等です。
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