第七回:勝ち負けと私


音楽は勝ち負けだ。

などというと目を剥いてお怒りの方もいそうだが、私が楽器を習得して いく過程において勝ち負け、特に「負け」は大きな影響をおよぼしてい たように思う。

「勝ち」の定義は難しいのだが、「負け」は簡単である。自分の叩きた くて叩けないフレーズを叩かれちゃったら負け。

あれは高校二年の秋。

私の母校、都立武蔵高校の軽音部は、同じ都立の立川高校の軽音部と年 に一回、秋にジョイントコンサートを行うのであるが(今も続いている のだろうか・・・)、その際に立川高校のとあるハードロックバンドの ドラマーと知り合いになった。

彼は、下手であった。

フィル・インの度にもたるし、シンバルばかり大きく叩いてセットのボ リュームバランスも取れていない。肩に力は入り、きっと周りの音など 聞こえていないのだろう・・・

彼の演奏終了後、一つ年下の彼に、私は「まぁ、がんばれよ」などと声 をかけたものであった。

なんのことはない、そういう自分だってバンドを組んで活動し始めてか ら一年程度しか経っていなかったのだ。今思えば私はその頃二つ打ちだ ってまともに出来ないようなレベルだったのだから思い上がりも甚だし い。

私の周りには、幸か不幸か巧い人がいなかったのだ。さらに、プロミュ ージシャンのライブにちょくちょく行くわけでもなかったし、年に一度 行くか行かないかの武道館の二階席から、豆のように見えるドラマーを オペラグラスで拡大しても何がなんだかわからないし、ミュージシャン のビデオが簡単に入手出来る時代でもなかった。自分がどれだけ下手だ ったのか、私は全く客観的に把握出来ていなかったのである。

無知ほど恐いものはない。無知に敵はいないのである。

何がなんだかわからないならば、少しは恐れとか畏敬とか興味とか、そ ういう感情を持ってもいいようなものだが、無知な上に自分が結構巧い などと思っている馬鹿に付ける薬はないものだ。

私はその頃、例えばディープ・パープルというハードロックバンドのコ ピーなんぞをしていたのだが、余りの耳の悪さゆえ、パープルの名ドラ マー、イアン・ペイスと自分の差が分からなかったのである。

なんか適当に曲になってるし楽勝じゃないか、ドラムなんてものは練習 しなくたって叩けるもんだ。スティック持ってる暇があったらギターの 練習するぜ。リッチー・ブラックモアは速くていかすよな。ハイウェイ・ スター演るならギターしかないじゃないか、と、そんなことを思いつつ、 脚光を浴びるギタリストのバックでもんもんとハイウェイ・スターを叩 いていたのであった。

まぁ私の馬鹿はいくら書いてもきりがないのでこの辺にしておく。そし て一年が過ぎ、高校三年の秋。高三だというのに複数のバンドを抱え、 既に浪人が予感され、河合塾のパンフレットと一緒に何故か今は亡き青 山レコーディングスクールのパンフレットもチェックしつつ、吹く風を 冷たく感じていたあの季節。

再び合同コンサート。立川高校の彼は帰ってきた。ハイウェイ・スター を引っさげて。

いや彼は一年で随分うまくなりましたよ、なんていう立川高校勢の評判 を聞いて、ほう面白いじゃないのどれどれと軽い気分で客席にいた私は ドラムを始めて以来最初の完敗を味わうことになる。

イアン・ペイスと同じだ。

彼のドラムセットからは、レコードで聴くあのハイウェイ・スターのフ レーズがそのまま轟いてくる。俺の叩くハイウェイ・スターとは全然違 う。そこそこ似ている、のではなく、同じ、だ。愕然。

いやもちろん「同じ」なわけはないのだが、その時の私にはそう聞こえ た。

演奏後、彼が汗だくになって笑顔で話し掛けてくる。どうでしたか、僕 のドラムは? 彼は自分が勝利していることを知っている。こちらはた だ一言、うん、全然凄くなったよ、とだけ言葉を残し、哀愁の背中を見 せながら教室を(コンサートは高校の教室で行われるのだ)去る。

この時は、本当にもうドラムを止めようと思ったものであった。

その一方でいったいなぜ彼のドラムはイアン・ペイスにそっくりだった のかという好奇心もあったし、そして何より、一年前にがんばれよと声 をかけた後輩に今は打ちのめされて、このまま引き下がれるかという変 な負けん気が自分を引っ張った。

私は受験を目前にして、初めてドラムにまじめに取り組み始めたのであ る。

この辺のタイミングの悪さには親も頭を抱えたであろうが、人生がそう いう流れだったのだから仕方がない。そういえば受験した大学から不合 格通知が来た後最初にやったことはお茶の水に行ってドラムの練習台を 買ったことであった。

その後大学に入ってからも先輩ドラマー達と「力哉(当時ナニワ・エキ スプレスというバンドに在籍していた東原力哉氏)のこのフレーズ出来 るか?」「出来ますよ、3 日待って。そういえばニール・パート(Rush というバンドのドラマー)のあのフレーズ出来るようになりました?」 なんてことばかりやって勝った負けたを繰り返していた気がするが、と にかく私を駆り立てていた大きな要因の一つが勝ち負けだった。

この環境、今思えばすごく恵まれていたのかもしれない。いつも負ける ばかりでも勝つばかりでもない、競争相手がいたということは。

そりゃ、音楽はパーソナルな物である。芸術に勝ち負けは決められない。 自分なりの価値観が良い悪いを決めるのだ。演奏に関しても、相手の演 ってるあのフレーズは出来ないけれど、自分の演っていることはそれな りに自分で気に入ってるから、まぁいいじゃないの、っていう考え方も あるし、それは正しいと思う。

でもね、そうやって丸く収めてばかりじゃつまらないじゃないの。

人と競いあって自分の技術力を思い知ることもきっと何かの役に立つ。 そういう切磋琢磨が糧になる。悔しさがバネになる。私は、そう思う。

だから、いろんなプレイヤーに会いたい。

まぁでも最近は歳も食って、最後は自分が相手なのかなとしみじみ思っ たりもして、寒くなると腰痛ひどくて腰痛体操したりして、うん確かに 自分が相手だと思ったりして。ごほごほ。


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