第六十八回:Boφwyと私


この間、隣町の S 君のクルマに乗りながら、

S 「…はドラスティックな効果を狙ってさ…」
り「ドラスティック…? …ドラスティック・ドラマチック?」
S + り「ちゃっ んちゃちゃちゃちゃちゃ ちゃっ つちゃちゃっっちゃらーら♪」

てな感じでBoφwyの DRASTIC? DRAMATIC! を二人して口ずさんでいたのだが、 ってこうして冷静に書いてみると二人とも馬鹿過ぎて心配になってしまうが、 とにかくBoφwyの話題になった。

よっしゃ一発コピーバンドやるか!え、おれ? なんで高橋まことなんだよっ。 氷室に決まってんじゃん!んシャワーぁあぅをぅあぁびぃてぇー、とか言ってたら、 S 君の日記に 書かれてしまった。シャレの分からない男である。

ちなみに「Boφwy Perfect Gigs」という番組が年始に NHK BS で放映され、 をを、グッドタイミング、とばかりに見てみたんですが、氷室、表情も仕種も イッてます。

「サンクス!…愛してるゼ!」
「じゃ…お前らが日本で一番にしてくれた最高のロックンロールを送ります… MARIONETTE!」
「誰がなんといおうと、日本で一番カッコいいバンドだと」
「フォークのバンドじゃねぇんだ!ジメっとすんな! 最後にビシッと送るぜ Dreamin'!」

これを照れずに、冗談抜きの100 % 本気でやるのは至難の技だろう。 おれが悪かった。謝る。許して。

Boφwy。 氷室京介(vo)、布袋寅泰(g)、松井常松(b)、高橋まこと(ds) の四人で 1981 年に 結成。BEAT EMOTION、PSYCHOPATH などヒットアルバムを残し 1988 年に解散。 80 年代日本ロック・シーンを駆け抜けた名バンドである。私が大学にいた頃、 バンドブームの波にも乗り大ブレイク。そこら中にコピーバンドがあった。

同級生にも、コピーバンドを組んでいるエサカ君というヤツがいた。 決して上手いヴォーカリストではなかったが、歌も振る舞いもみょーにえっちで、 「街できれいな女を見たら、そりゃ声をかけなきゃ失礼ってもんだろう」と きっぱり言い放つような男であった。氷室京介の、クセのある歌い回しを上手に掴んで 雰囲気を出していた。ちなみにバンド名は「Elite」だったんだけど、 このスカした名前も似合ってるというか、あーおめぇならそーゆー名前 付けるかもなーってな感じだった。すごく面白いヤツだった。 ちなみにBoφwyの 1st アルバム "Moral" に Elite という曲が入っているので、 そこから取ったのかもしれないけれど真相は知らない。

この Elite の演奏で、私はBoφwy(の曲)を知ったのだ。 だからBoφwyを聴くとエサカのことを思い出す。

その頃、部室にひょいと遊びに行くと誰かがBoφwy演ってるなんて しょっちゅうだった。当時私は洋楽信仰が強く、まぁ今でもその傾向はあるが、 ニッポンの流行りモンロックなんてよーとか思っていたが、 そのうち自然に覚えてしまい、結局セッションで叩けるぐらいにまでなってしまった。 Image Down, No.New York, Dreamin', Baby Action, ホンキー・トンキー・クレイジー, ハイウェイに乗る前に, Cloudy Heart, わがままジュリエット, Justy, B.Blue, Only You... 少しさらえば今でも叩けるだろう。

本物のBoφwyの演奏を聴いたのは随分経ってからだ。Elite の 連中と飲みながらビデオを見せてもらったのだと記憶している。 その時の自分のセリフ「をを、ホンモノはかっちょいいじゃん!」だけを やけに生々しく覚えているんだけれど、その後どうなったかは全然覚えていない。 ひょっとして、ヤバい記憶を無意識のうちにシャットアウトしているのかもしれず。 ぶるぶる。

悔しい思い出もある。ある年、確か四年生の時、の大学祭。 エサカのバンドのドラマーが急遽来れなくなってしまった。 迫る出演時間。しょうがねぇ、昔演ってたBoφwyを ブッツケ本番でやろう。ドラムはりお、頼むよ、ということになった。 慌ててコードや構成をさらうメンバー。私はってーと、 ま、みんなで合図しあって。わかんなくなったら、まぁドラムに合せるとか。 えへらえへら。という態度。緊迫感がまるでない。

というバンドがですね、多分私が大学時代で経験したライブでもっとも 盛り上がったのではないか。熱狂する観客。絶叫する婦女子。地を揺るがすような アンコール。いやその、かなり脚色入ってますが。ウケたというのは事実で。

地道にリハを積み、アレンジに熟考を重ねたオリジナルバンドなんてウケやしません。 対して準備 15 分ブッツケのコピーバンドがこの盛り上がり。音楽を演奏するという 行為の意味を、この時私は一段階深く理解した。多分、ちょっと歪んだ形で。

楽しかった大学時代は儚く終わり、会社勤めにも随分慣れた頃。 大学の友達とは随分疎遠になってしまった頃。 休日を利用して数日間ふらりと旅行に出掛け、帰ってくると電話があった。

エサカが、死んだという。

癌の一種だったらしく、発病からあっという間だったらしい。 葬式は終わってしまった、何度か電話したんだが、お前家にいなくてさ、と。

実感が湧かなかった。全然。

そして、私はその年の秋に結婚した。結婚式の二次会に Elite のメンバーが ひょっこり来てくれて、一本のカセットテープを手渡してくれた。 卒業した後もエサカ+ベーシスト、ギタリストは細々と曲を作り、録り貯めて いたんだそうだ。テープにはそれらの曲が収められていた。

Boφwyの曲を激しく歌っていたことなど想像できない、静かで優しい曲 ばかりだった。けれど、声はエサカだった。間違うはずのない声だった。 この声の主が最早この世にいない?そんなばかな。 エサカの病気と、曲作りやレコーディングの時期に関する詳細は分からない。 しかし、どんな状況下に、どんな気持ちで、こんな歌詞の歌を歌ったんだ?

青く晴れ渡った空が雲に覆われて
雨に降られるのは嫌だから
雲が白いうちに 雲の上へ昇ってしまおう

誰かと共に生きることは 余りにも苦しくて
一人きりになるのも嫌だから
別離れが来る前に 雲の上へ昇ってしまおう

僕の身体は雲の上 遠い遠い雲の上
眼が醒めたら何もかもが
素敵に変わっていてくれないか

(雲の上 / a lad)

初めて、涙が出た。

Boφwyを聴くと、楽しかった大学時代とエサカを思い出す。
けれど私は、エサカの墓がどこにあるのかさえ知らない。
そのことが、恥ずかしい。
そう思いながら、今日も安穏と暮らしている。

Boφwyを聴くとそんな風に、甘くて、苦い気持ちになる。


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