第六十五回:Don't Trust Anyone Over 30 と私


暑いんだから静かにして欲しい。風鈴とヒグラシ以外は黙るのだっ。

会社帰り、汗で張り付くジーンズの気持ち悪さをどうすることも出来ず、 身体を引きずるように歩いているおれの横を通ったジャッキー大山(仮名)。 君は間違いなく貴重な一票を失った。

米米党、米米党から出馬いたしました、ありがとうございます、 ご声援ありがとうございます、ジャッキー、ジャッキー大山でございます

…うるさい。米米党はキライだが益々磨きがかかってキライだ。当社比 250% 比で キライだ。あっち行け。

明日の日本を切り開きます、ジャッキーです、改革を推し進めてまいります、 皆様の生活を守ります、バイクから手を振ってのご声援 ありがとうございます、米米党のジャッキー、ジャッキー大山です、 政界に新しい風を吹き込みます、若い力が政治を動かします、ジャッキー大山、 米米党のジャッキー大山、皆様のお力添えを

…生活守ってないよ。静かにして。不快指数上がるから。風ね。今吹かせて くれるとありがたいんだけど。しかしまあ何故こう通り一遍のことしか 言わないんだこいつら。こういう仕事にこそ個性的な主張が必要なんじゃないの。 失った Tower Record を再び呼び戻し、さらに HMV と Wave を誘致します、とか そういう地域住民の生活に密着したですね。 ところで誰だ。バイクを片手で運転するなっ。

ジャッキー大山、三十二歳、よろしくお願いします

…なぬ?

32 歳?

おれより若いの?

考えてみれば別におかしくもなんともないんだけど、ちょっとびっくり。 政治家ってーと年寄り、とまではいかなくてもある程度年食ったおっちゃん おばちゃんのイメージがあって。アタマが固くていかんなぁ。え、32 は 十分おっちゃんだ? あぅぅ。

この手の「ふと気付くと、いつのまにかこっちが年上」でびっくりするものの 代表といえば、やはり高校野球であろう。 テレビに映っていたのは高校生の「お兄ちゃん」だった。いつしか、同級生が 地区予選ベストエイト、なんて妙に近いところで盛り上がったりして、 その数年後、大学そばの定食屋でラーメン啜りながら店のテレビ見て「あー、こいつら 年下なんだなぁ」としみじみするというのが典型的なパターンなのではないかと。

個人的な話をすると、やはり気になるのはミュージシャンの年齢だ。

1957 年生まれのエディ・ヴァン・ヘイレンがデビューしたのが 1978 年。 当時 21 才。ライト・ハンド奏法を引っさげて華々しく登場、世界は震撼。 ロックギターの歴史に大きな足跡を残し、数え切れないフォロワーを生む。 片やおれが 21 才ってーと、大学でちまちまとバンドやってた頃である。 メインの舞台は教室だ。客なんてヒマな学生がちょぼちょぼ。 外向きの活動ってーと East&West (っていうバンドコンテストがあったのだ) の 地区予選を一回だけ通過するとかしないとか、そんな程度。 世界どころか東京神田地区さえ震撼しない。

1944 年生まれのジミー・ペイジが Led Zeppelin でデビューしたのが 1969 年。当時 25 才。ファースト・アルバムでいきなり ビルボード・チャート 10 位、続くセカンドアルバムは予約だけで 80 万枚を突破し、 もちろんチャート第 1 位。なんとも派手なデビューだ。 片やおれが 25 才ってーと、サラリーマン兼週末ミュージシャンを やっていた頃だ。って今もそうだけど。時々ライブハウスに出て、義理堅い友達が 見に来てくれる。ライブハウスに金を払い、ウチアゲで一騒ぎして、終わってみれば いつでも赤字。取り敢えずレコーディングなんてしてみたりしても、配るメディアは カセットテープだ。

比べるまでもなくおれは凡人、ヤツらは天才なワケだけど、 実際に比べてみるとその差の大きさが身に沁みる。

悲しき凡人の 21 才や 25 才は何も生み出さないまま過ぎて行き、27 才、そう、 ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンやジム・モリソンや ブライアン・ジョーンズやカート・コバーンがこの世に別れを告げたあの 27 才、 ミュージシャンたるもの、27 才に気を付けねばならぬと肝に銘じていた あの 27 才の一年も、やっぱり風のように通り過ぎていった。 ちなみにカート・コバーンとおれは同い年のような気がする。

嗚呼。おれときたら、 ダニー・ハサウェイが死んだ 33 才を過ぎて、 いつの間にやら 34 で、 ジャコ・パストリアスが死んだ 35 才、 ジョン・ボーナムやボブ・マーリーが死んだ 36 才が射程距離だ。 彼らが一番輝いていた頃と同じ年齢だった当時のおれは、 いったい何をしていたのか。そしてこの後何が出来るんだ。 それとも、自分の可能性なんてモノを考えるのも馬鹿馬鹿しいと思うように なっちまってるのか? 熱さはどこへ行った? 冷めちまったのか? それは「渋さ」や「味」なんかじゃない。枯れるには早すぎる。言い訳考える前に スティックを握れ。弦を弾け。音を聴け。遅すぎるなんて誰が言える? 振り返れば後悔が山積みだ。 けれどそいつらを見つめてたって過ぎた時間は塗り変わったりしない。

そんな風に毎日もがき苦しみ悩んでいる…のかどうかさえを、 三十半ばのおっちゃんは他人にも自分にも見えないようにこっそり隠して、 今日も図々しく生きてるのね。 へらへら。

けれど、もしかするとある日、 隠し、溜め込んでいたものが、何かの拍子にぱちんと弾けてしまうかもしれず。 そんな時には、

冬の海まで車をとばして 24 時間砂を食べていたくなったり
長い線路をひとり歩いてそっと枕木に腰をおろしたくなったり (*)

するのかもしれません。困ったもんだ。

三十代を信用するな、ってのは、多分本当。

ふとしたきっかけで、つい先日、自分が赤ん坊の頃の写真を見ることが出来た というか見るハメになったというか。 アルバムの中には、おれを抱っこしている親父がいて。 時代を感じさせる太い黒ぶちの眼鏡や髪型で多少老けて見えるけれど、 この時の親父は、今のおれより若いのだ。

親父、嬉しそうだな。
こういう顔、できてるのかな。今のおれ。


(*) 「Don't Trust Anyone Over 30」/ Moon riders


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