第六十四回:弦と私


ここを読む方は音楽ファンであることが多いと思われ、さらにギタリスト濃度も それなりに高いと思われるので、いやまて私はドラマーだがそれはさて置き、 あまり細かい説明は恐縮なのだが。

弦の話だ。ここではエレキギター弦を取り上げる。弦は太さによって 種類分けされている。所謂「レギュラー」と呼ばれるのが、1 弦から 6 弦の順に 0.010, 0.013, 0.017, 0.026, 0.036, 0.046 インチの太さとなっているセット。 それから、少しライトな 0.009, 0.011, 0.016, 0.024, 0.032, 0.042 という セット。私の愛用しているアーニーボール製の弦だと「スーパー・スリンキー」と 呼ばれているものだ。大抵は 1 弦の太さ、0.010 や 0.009 を省略して、 それぞれのゲージを「イチゼロ」「ゼロキュー」などと呼んだりする。 他にもいろんなゲージが揃っているが、ポピュラーなのはこの二つだと思う。

少なくとも私の生息するエリアでは。

中には「イチイチより細い弦にはブルーズが宿らない」とか「私の 1 弦はナイロン製 ですが?」とか、いろんな世界が存在していることは認識しておりますのでその穏便に 一つ。

さて、私がソリッドボディ、つまり中が空洞になっていないエレキギターを 手にして十数年。 一貫して愛用してきたのは上記「ゼロキュー」ゲージの弦だ。 ところが先日、この守り続けた習慣を打ち砕かんとする出来事があった。 とあるイベントにギターで参加することになり、 私は「ただひたすらカッティングをし続ける」というパートを担当することに なったのだ。

というわけで練習していると、弦が切れるのですね。 どうにも切れる。張り替えたその日に切れたりする。 こんなスピードで金属を浪費していては環境問題へと発展しそうである。 鳥を愛するナチュラリストとしては憂慮すべき問題だ。 切れないためにはどうするか。太ければ良いのではないか。というシンプルな思考に 基づき、買ってきました。イチゼロの弦。

さぁ、張り替えるぞ、と思ってレスポールを抱え、しばしネックを握り、 弦の感触を確かめたりするのだが、どうも決心がつかない。そうだな、 まぁ次に切れたときにでも、なんて自分を納得させながら、 結局部屋の片隅に置き去られるイチゼロの弦でありました。

弦のゲージを変えるというのは、実は結構面倒だ。当然、太さで張力が変わるので、 ネックの反り具合が変わってくる。従ってネックや弦高の調整が必要だ。その辺りの 設定を変えるとさらに、オクターブ調整(この調整をやらないとギターが音痴に なってしまうのだ)も必要となる。トレモロユニットが付いている場合はその 調整も行わねばならぬ。

本当にそんなに変わるものなのか。 弦のメーカであるダダリオの WEB サイト には、弦の張力に関する情報があったはずだ。ひも解いてみよう。えーと、 こりゃキログラム表示じゃないな。なんだ?ポンドか?多分ポンドという ことに決め付けて、我々日本人が直感的に理解しやすいキログラムに換算したものを 表にしてみよう。

ゼロキューのゲージは、

ゲージ 091116243242
張力(kg) 6.05.06.77.27.26.7

となり、対してイチゼロは、

ゲージ 101317263646
張力(kg) 7.47.07.58.48.98.0

である。合計するとゼロキューが 38.8 Kg、イチゼロが 47.2 Kg。その差 8.4 Kg。 8 キロといえば 8 リットル。さすがの私もこんな量のカルピスは飲めない。 というほどの大きな差だ。ギターの状態が変わってしまうのも無理からぬ話である。 つーか飲むなっ。

つまり、私がゲージを変えなかったのは、 ゼロキューというゲージに特別な意味があったというよりは、 「買ったときに付いていた」が大きな理由なのであった。 喝!より良い音を追求するためには煩わしい調整も厭わず、と こうあるべきではないのかっ。 ミュージシャンとしての根本的な態度が、今、問われている。

というかですね、これは言い訳なんですが、調整は嫌いじゃないんですよ。私。 手塩にかけた調整が、ゲージを変えることでやり直しになる、というのが イヤなのかもしれません。さらに「太くしてネックが反っちゃったらどうしよう」 というペシミスティックな一面も。つーか小心過ぎですか? でも 8 キロですよ? ネックに悪そうな気がするじゃないですか。するよなっ。すると言えーっ! うえーん! するんだいするんだい!

さて、「ミュージシャンとしての根本的な態度」なんて シリアスな気持ちなどカケラもないのんびりとした土曜の夜、 つまびいていたレスポールの弦が一本、ぷつりと切れた。 と、その時目に入ったのは、ああ置き去りにしたままのイチゼロの弦、 その黄色いパッケージ。

張りましたよ。イチゼロ。ううむ。確かにテンションはぐっと上がる。 しかしそれと引き換えに得られたハリのある音色。さらにガンと強く弦をヒットしても 変に音程が上ずってしまうことなく、しっかり応えてくれる感触。素晴らしい。 チョーキング(弦の張力を意図的に上げて、音程を上げるテクニック)も慣れれば 問題なくこなせる気はするし。イチゼロ愛用者が多いのもうなずける。 レスポールというギターとの相性も良いのではないか。 思ったほど大きなセッティングの変更も必要なさそうだ。 ビバ、イチゼロ。ブラボー、イチゼロ。

と、持ち上げておいてなんですが、結局ゼロキューに張り替えちゃいました。 その間わずか 90 分。哀れ、一時間半の命。環境問題完全無視。ナチュラリスト失格。 しばらくイチゼロを弾いていて思ったのは、「音色の差異」とか、あるいは 「柔らかい弦を制御しながら弾く、細い弦なりの弾き方」とか、 理屈を付けようと思えば付けられそうなんですが、とにかくまず

「こりゃおれのギターじゃねえ」

だったのですね。他人の靴を履いているような違和感。気持ちの悪さ。 しばらく弾けばあっさり慣れてしまったかもしれません。 いや、きっと慣れたでしょう。なんだけれど、もう一度ゼロキューを張り直した時の、 ぬるま湯にじゃぼーんと飛び込んだような感覚が、そりゃ心地良くて。

この手の「ぬるま湯の快楽」って、アタマが固いみたいでイヤだなと 思ったりもするんだけど、 まぁこと弦に関して言えば、例えば手持ちのハコ(中が空洞になっている)のギターには イチゼロどころかイチイチ(.011〜.048)を張ったりしているわけで、太い弦の 世界を知らないわけではない、と。

嗚呼、なんか言い訳がましいな。いや、実はですね、問題の 90 分の間に、 手持ちのとある資料をひっくり返していたのですよ。シンコー・ミュージックから 1977 年に発行された、斉藤節雄著「J.ベック奏法」。その 7 ページ目には 「弦は、『トゥルース』当時アーニー・ボールのスーパー・スリンキー(1 〜 6 弦の ゲージが 0.009 〜 0.042 のセット) を愛用していた」という記述がくっきりと…

…結局はそこか。おれ。

えっ? そこのお客さん、何か? 最近のベックはイチイチを張っている? えーと、その、あっ、ちょうど時間となりました。それでは今日はこの辺で。 また来週。すたこらさっさ。


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