第六十三回:カセットと私


私事で恐縮だが、ってここには私事ばかり書いてるのだが、我家では今 「部屋の整理と模様替え」が熱い。ブームと言ってもよいだろう。 不動と思われたオーディオラックや PC デスクが場所の変更を余儀なくされ、 洋服やスキー用品が廃棄処分のターゲットとされている。

その荒波の中、真っ向から立ちはだかっているものがある。 技術の進歩が彼らの存在意義を打ち崩し、時代が容赦無く置き去りにしようとしている アナログ時代のモンスター。それはカセット・テープである。

1964 年、オランダはフィリップス社で産声を上げたコンパクト・カセットは 70 年代に入って高音質化が進み、徐々にオープンリールテープの座を奪ってゆく。 そして 1979 年にソニーからウォークマンが登場。音楽をパーソナルなものとして 扱うというライフスタイルが確立されたその中心にカセットはいた。

その時代の中に私の青春があった。

ちょっと前に話題になった“「捨てる!」技術”という本では、ラベルを見ずに、 ダンボールに入っているならダンボールを開けずに、選別などせずに、 とにかく捨ててしまえ、と教えているらしいんだけど、 どうしたって目に入っちゃうよ。ラベル。 そしてラベルの文字からは甘酸っぱい青春の日々が蘇ってしまうのだ。

CD 化されているものは、どうしても聞きたくなれば CD を買えばよい。 エアチェックしたライブ録音や、自分のバンドが演奏した記録は金を出しても 入手は出来ないから残す。という大まかな基準を設けて整理を始めてみる。

LONG AFTER DARK、ね。Tom Petty and the Heartbreakers だっけ。 南町にあった貸しレコード屋「友 & 愛」で借りたんだよな。 借りるときにお店のお姉さんに「最近これ良く出るんですけど売れてるんですかあ? かっこいい?」と聞かれて、そのお姉さんがとってもチャーミングで どきどきしたなあ。あのお姉さんは今何処…取り敢えずキープね。

えーと次は…いつぞやのセッションを録音したテープだ。いつだろうな。 日付ぐらい書いとけよ。ちょっとした手間を惜しむからこうやって後で困るんだ。 まったく馬鹿だ。どこのどいつだ。俺か。あ、このピアノはひょっとして、 現在プロとして活躍中の某氏ではないか?格の違いみたいなものをヒシヒシと 感じつつも楽しいひとときだったなあ。無理して捨てることもないよな。キープ。

さてこれは…Spring Session M。Missing Persons ですか。 これは LP を落としたものだ。だったら捨てていいよな。でも LP ってめんどくさい んだよなあ。聴く度に擦り減って悪くなるし。てなわけでその昔、手持ちの LP は ほとんどカセットに落として聴いてたんだよな。考えてみればマメだなおれって。 なんたってドラムはテリー・ボジオだし。時々聴くよな。 いや近々 MD には落とすとして、それまでは一応キープしとくか。

むう。こりゃなんだ。ラベルを見ると「フランク・ザッパ/井上陽水」とある。 どういう取り合わせだよ。そう言えば先輩の手伝いで井上陽水のコピーバンドって 演ったことがあったな。思い出してきたぞ。ザッパバンドと同じ頃だったわけだな。 8 つのバンドを掛け持ちしていたのはこの頃かもしれないなあ。その年の学祭は、 パンクバンドで出演した直後に別サークルでカシオペアのコピーバンド、 なんて感じだった。 10 時 〜 12 時、15 時 〜 17 時、19 時 〜 21 時、21 時 〜 尽きるまで、で 一日 4 バンド練習したりとか。若かった。 いやいや、歴史をひも解くとつい時間が経ってしまうな。キープ。

一通り整理が終わってみると一向に数が減っていない。上述の通りなのだから 当たり前だ。

カセット。我々バンドマンの必需品だった。お世話になっていないバンドマンは いないんじゃないか。良くあるパターンだと、まずはコピーバンドですな。 この曲を演りたい!とメンバーに配るのはもちろんカセット。カセットってヤツは いい加減なところがあって、テープの速度が機械によって若干違ったりしている。 速度の遅いデッキで録音されたテープを、速度の速いデッキで再生すると、 平気で半音ぐらいピッチが上がっちゃったりする。「ばっちり採ったぜ!」 と意気揚々リハに乗り込み一緒に音を出してみると、 凄まじくテンションの効いた和音、つーかただの不協和音、当たり前だ、 半音ズレてるんだから、が鳴り響いちゃったりする。

「ロックだぜ? こう開放弦ゴンゴン鳴らすんだぜ? E に決まってるじゃんかよバカ。 なんだよ F ってよ!」
「知らないわよそんなの!ギターの都合でしょ!E って "#" が四つも付くんだよ!F は "b" が一個で弾きやすいじゃないの!」

とケンカになり別れたカップルは数知れず。そうするとバンドの維持も大変。 てなわけでバンド内恋愛は止めましょう。役に立ちますねこの雑文も。 あ、ハナシがズレてますか?そうですか。えっ?いや上記は私の話じゃないですよ。 違いますって。先人の知恵としてですね、受け継がれるべき、いや、そのなんだ、 とーにーかーくー、そういう痛い経験が「コピーする前にキーを確認しましょう」 という暗黙のルールを生み出す、そんな時代だった。

曲をコピーする時の相棒もやっぱりカセット。それも、オシャレな電子制御 フェザータッチ、なんてデッキじゃなくて、がっちゃんと押し込む機械式ボタンの ヤツがよろしい。速いフレーズや難解なコードを採る際には、採りたい音が 出た瞬間にカセットを一時停止して頭の中に残る音を探り、またほんの少し 巻き戻して、という作業の繰り返しになるが、この「出た瞬間に一時停止」 「ほんの少し巻き戻して」という作業は機械式がっちゃんボタンの方が レスポンスが良くて適しているのだ。当然テープにもデッキにもダメージを 与える作業だ。続けていると、その箇所だけテープがヨレちゃったりするし、 実際デッキを壊したこともある。

カセット時代が終焉を迎えた今でも、 この悪習が私の体内に密かに生き続けていることを、一昨年だったかに 確認してしまったことがあった。MD 付きミニコンポを選ぶ際に自分の MD を持参して、 一時停止ボタンのレスポンスや巻き戻しのキメ細かさを電気屋店頭で片っ端から チェックする馬鹿がどこにいるというのだっ。ここにいます。とほほ。

そう言えば、現在所有しているカセットデッキには「ピッチ・コントローラ」が 付いている。上述の「テープスピードの違いによる悲劇」の記憶が私を突き動かし、 結果このカセットデッキがここに存在するのであろうと推測されるが、 今時カセット配らないだろ。MD や CD-R といったデジタルメディア時代に なり、この悲劇は最早過去のものだ。

染み込んでるんだよな。おれの身体にはカセットの文化が。古いカセットには おれの通ってきた道が。

例えば写真にあまり執着はない。古い手紙も取ってあるけれど、捨てなきゃいけない 状況になったら大半は捨てられると思う。けれども、古ぼけたカセットに ハードロックの曲が集めてあって、その中の例えば、Van Halen の "Eruption" なんて 曲の、難しいフレーズの所でテープがヨレちゃったりしてるともう駄目だ。 鮮やかに時代が蘇ってしまう。 ヨレたカセットテープなんてゴミ以外の何物でもない。 そして、そんなものに染み込んだ「青春」なんてロクなモンじゃないのにさ。 まったく。

まぁ、遅かれ早かれ、決別の日は来るだろう。 それはいつ、どんな形なんだろう、と 結局部屋に積みあがったままの数百本のカセットテープを ぼんやり眺めながら思ったりする休日の午後。

それにしても難しかったな。Eruption は。


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